第333話 ボタンと視聴覚室


藤本ふじもとセンセー、神木さん、見なかった~!」


 高校の職員室にて、数名の女子が、藤本に声をかけた。藤本は、30代の体育顧問の先生で、飛鳥が在学中の時からいる男の先生だ。


「いや、見てないぞ。もう、帰ったんじゃないか?」


「えー、うそー! お兄さんに、チョコ渡してもらおうと思ったのにー!」


 行方をくらました華を探していたのが、女子たちは残念そうにする。


 だが、流石に諦めたのか、女子たちは残念~とか、帰ろ~などと言いながら、職員室からいなくなり、それを確認した藤本が、そっと机の下を覗き見る。


「神木、もう大丈夫だぞ」

「ふぇぇ、先生、ありがとう!!」


 藤本の言葉に、机の下に隠れていた華がひょこっと顔をだした。


 なんでこんな所にいるかと言うと、放課後、兄のせいで逃げ回っていた華が、ついに追い込まれ、先生に泣きついたからだ。


「しかし、相変わらずモテモテだなー、お前たちの兄貴は」


「もう、笑いごとじゃないですよ! 私、これ小1のころから続けてるんですから!」


「そうか、そうか。それは、兄妹弟揃って災難だなー。実をいうと、兄貴の方も、昔こうして机の下に隠してやったことがあるんだぞ?」


「えぇ!? 飛鳥兄ぃも!?」


 藤本の話に、華が一驚する。すると、その話を聞いて、隣にいた女の先生も話に加わり始めた。


「神木くんがいた頃は、すごく活気がありましたよね~」


「そうだなー。定期的に、神木絡みのトラブルが舞い込んできて、忙しかったし」


「トラブル?」


 だが、その後、飛び出した物騒な話に、華は首を傾げた。


 高校時代、あの兄に、どんなトラブルがあったのか。華が真剣に聞き入っていると


「"ボタン紛失事件"とか、やばかったですよね?」


「あー、あれは軽くホラーだったな。神木(兄)が高一の頃だったか、体育の授業を受けている間に、制服のボタンが、根こそぎなくなって」


「えぇ!?」


 根こそぎ!?

 根こそぎって、ブレザーも、シャツも全部ってこと!?


「そ、そんなことが!?」


「あら、知らなかったの、神木さん。1個や2個ならともかく、全部よ。あれ、怖いわよねー」


「ズボンまでだからな。可哀想に。神木、あのあと、しばらく家庭科室でボタンつけてたんだぞ」


「しかも、そのボタンを盗んだ男の子、それを『神木くんの第2ボタン』と称して他校の女子に売りさばいてたみたいで」


「かなり悪質で、結構、問題になってな。他にも、神木と二人っきりになった先生が、生徒にいやがらせされたりとか」


「ツイスタで、神木くんに成りすましたアカウントが発見されたりとか?」


「色々あったな~」


「あの、うちの兄が、ご迷惑をお掛けして、すみません……っ」


 もう、謝るしかなかった!


 ヤバイ兄だと思ってたけど、聞けば聞くほど、やばい事案が、いっぱい飛び出してくる!


「まぁ、確かに色々あったけが、それでも、神木がいた頃は、賑やかで楽しかったんだぞ。なんせ神木が卒業して、に陥った先生や生徒もいたくらいだからな!」


「神木ロス!?」


 しかも、卒業と同時に、ロスを引き起こすほどの兄!?どんだけ影響力与えてたんだ! うちの兄は!?


「でも、こうして神木くんの妹弟が入ってきて、賑やかさが復活したのは、ちょっと嬉しいですよね」


「そうだな。兄貴の時も色々助けてやってるから、神木も困ったことがあったら、すぐに頼って来いよ!」


「っ……先生!」


 華は涙目になり、藤本先生を見つめた。

 優しい言葉に、胸の奥が、じんわり熱くなる。


「ありがとうございます! あ、そうだ! 助けてもらったお礼に、何かお手伝いすることはありませんか?」


「お手伝い?」


「はい! 蓮の部活が終わるまで、まだ時間があるし、何か手伝います!」


「そうか? じゃぁ、あそこにある地図を、社会科準備室にいる杉澤先生に届けてくれるか?」


「はい!」


 藤本が指さしたのは、大判の地図だった。筒状になり、ビニールでくるまれた1メートルくらいの地図が3つほど。


 どうやら、届いたばかりの新しい地図らしく、華はそれを手にすると、女子がいないのを確認したあと、そそくさと職員室から出ていった。


 すると、そんな華の姿を見て、藤本の隣にいた女教師が、また頬をゆるませる。


「華さんって、顔は似てないけど、あーいう律儀なところは、神木くんにそっくりですよね」


「あー、やっぱり兄妹だよなー。神木(兄)も、お礼に何か手伝うとか言ってたし」


 懐かしくなったのか、ニコニコと穏やかな先生たち。


 厄介事が舞い込みはするが、明るく愛嬌のある神木兄妹弟は、なんだかんだ先生たちの癒しになっていたりする。





 ◇◇◇



(はぁ……やっと落ち着いたなー)


 そして、その後、職員室をあとにした華は地図を抱え、社会科準備室に向かっていた。


 社会科準備室は、特別棟の二階。


 この時間だからか、この特別棟に、生徒はほとんど見当たらず、華は、ほっと息をついた。


 今日は、朝から大変だった。


 もちろん、まだ戦いは終わってはいないが、それでも、あとは帰るだけ。ここまでくれば、あともう一息!


(あ、そういえば、エレナちゃんの方は大丈夫だったかな? この前の授業参観、飛鳥兄ぃがいったみたいだけど……)


 するとふと、エレナのことを思い出した。

 2月上旬にあった、小学校の授業参観。


 ミサが入院中のため、代わりに兄の飛鳥が見に行って、エレナはクラスメイトから、色々と質問攻めにされたらしい。


(まぁ、エレナちゃんは、まだ小学生だしね。いくらなんでも、大学生にチョコを渡そうとする、おませさんはいないよね?)


「来てくれて、ありがとう……っ」


「?」


 だが、その瞬間、通りかかった視聴覚室の中から、女の子の声が聞こえてきた。


 そして、その声は、華と同じクラスの今藤さんの声だった。……ということは


(え!? もしかして、今から告白!?)


 そう、今藤さんは、朝、告白すると騒がれていた女子生徒! どうやら華は、その告白現場に、みごと居合わせてしまったらしく


(わ、どうしよう! これ、聞いちゃまずいよね? でも、社会科準備室、この先だし……っ)


 先に進みたいが、視聴覚室の扉は全開で、前を通れば、絶対に気づかれる。


(どうしよう。でも、邪魔はしたくないし、一回もどろうかな? また、後で来れば……っ)


「私、さかきくんのことが好きです!」


「……っ」


 だが、華が逃げるまもなく、今藤さんは告白した。耳に響いたのは、恥じらいながら発せられた愛の告白。だが、気になったのは──


(さ、榊くん……?)


 今、今藤さんは、確かに『榊くん』といった。そして、その珍しい苗字に、華も覚えがあった。


 蓮の友人の、さかき 航太こうたくん。華の学年で『榊』という苗字は一人しかいない。


 だが、もしかしたら、他の学年の生徒かもしれない。華が、そう思った時──


「ごめん。俺、今藤さんの気持ちには答えられない」


 そう言って返したのは、確かに華の知っている


 ──榊 航太の声だった。

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