第166話 罪悪感と不安


「あなたには、話しません!」


 その言葉は、飛鳥の耳にひどく響いた。


 それはまるで、自分には話したくないと言われているようで──


「っ……」


 そして、拒絶の言葉を発したあかりの目に、微かに涙が浮かんでいるのが見えて、飛鳥は無意識に唇を噛み締めた。


 そこまで、必死になるほど、自分に相談するのが嫌なのか?


 いつもとは違うあかりの表情に、胸の奥にチクリと痛みが刺す。


 だが、考えてもみれば、いくら泣きそうにしていたからといって、玄関先で女の子を無理矢理引き止めて、強引に聞き出そうなんて。


 ──これじゃぁ、まるで、俺が虐めてるみたいだ。


「ごめん……っ」


 その後、小さく一言だけ発すると、飛鳥はそこから先の言葉を全て飲み込み、掴んでいたあかりの腕から、そっと手を離した。


 あかりを見つめる飛鳥の瞳は、どこか悲しそうで、そして、そんな飛鳥の姿をみて、今度はあかりの心が、罪悪感でいっぱいになる。


「あ……ごめんなさい!」


 傷つけてしまったかもしれない。


 心配して、わざわざ、話を聞こうとしてくれたのに……


「あの、神木さんは、何も悪くないです! 今のは……っ」


 思わず出てしまった言葉に後悔し、誤解を解きたいばかりに、あかりは飛鳥を見上げた。


 このまま、また喧嘩別れにはなりたくない。


 そんな気持ちが先走って、あかりは、とっさに飛鳥の服を掴む。


 ミサのこと。

 エレナのこと。

 そして、飛鳥のこと。


 色々な感情が入り交じってか、あかりの瞳には、じわじわと涙が溜まっていく。


「あの……違うんです……今、のは……ッ」


 絞り出すように、喉の奥から声を出す。


 話したくないわけじゃない。

 話せないだけ。


 話すのが、不安なだけ──


 でも、その気持ちをうまく伝えられなくて、たまった涙が、今にも溢れだしそうになる。


「あの……ごめん、なさい……私……っ」


 ──ポン


「……!」


 すると、俯くあかりの頭に、そっと何かが触れた。


「謝らなくていいよ。あかりの悩みを誰に相談するかは、あかりが決めればいいことだし。今のは、俺が悪いから、謝らなくていい」


 頭を撫でられているのが分かった。

 慰めるように、優しく振れた手に、胸の奥が熱くなる。


「相談できる人は、いるんだよね?」


「…………」


 相談できる人──そう言われ、あかりは、そっと目を閉じると


「…………はぃ」


 そう言って、こくりと、頷いた。


「そぅ、ならいいよ」


 その返事に、飛鳥は、腑に落ちないながらも安堵の表情を見せると、その後、また困ったように目を細める。


 顔を赤くし、涙をためた、あかりの姿。


 泣かせたくて、声をかけたわけではないのに、何をしてるんだろう。


「ほら、もう泣くなよ」


「ご……ごめんなさいっ、あの、怒って、ますよね?」


「怒ってないよ。むしろ、俺が泣かしたようなものだし。ほら、涙拭いて」


「あ、あの! 神木さんは、本当に、何も悪くないですから、私が……ごめんなさい」


「だから、謝るなって」


「ッ、そんなこと言われても」


 飛鳥があかりから手を離すと、あかりも掴んでいた飛鳥の服から手を離した。


 二人の距離は、またいつもの距離に戻って、それから一呼吸おいて、あかりが、また飛鳥に声をかける。


「あの、神木さん……」


「ん?」


「心配かけて、すみません。あと、今日は本当に、ありがとうございました」


 そう言ったあと、あかりは、飛鳥を見つめ、またふわりと笑う。


 決して、大丈夫ではないのだろうけど、その笑った顔を見て、なんだか少しだけ安心した。


「あかりって、やっぱり、笑ってる方が可愛いよ」


「え?」


「それじゃぁ、俺もう行くから、引き止めてごめんね!」


「あ……いえ」


「見送りはいいから、中入って。ちゃんと戸締りしろよ!」


「あ、はい!」


 そういうと、飛鳥はあかりを家の中に押し込んで、玄関の扉を閉めた。


 それから暫くして、中からガチャっと鍵が閉まる音を確認すると、飛鳥は、その後玄関の前でふと考え込む。


(……俺、なんであんなに、ムキになってたんだろ)


 あかりが自分の悩みを、誰に相談しようが、俺には関係ないはずなのに──


『あなたには、話しません!』


 なぜかあの言葉は、酷く心に刺さった。


 胸の奥が、チクチクと鈍い痛みを訴えて


(……大丈夫、だよな?)


 自分に助けを求めていたように見えたなんて、きっと、気のせい。


 大丈夫。

 相談できる人もいるって言ってたし……



「あれー?」

「!?」


 直後、アパートの廊下に男の声が響いた。


 思考を遮られ、飛鳥がその声の方に視線を向けると、そこには、ジーンズにTシャツといったラフな格好で、買い物帰りなのか、袋を手に、こちらに歩いてくる男性の姿が目に入った。


 それは、先日、あかりの部屋に押しかけてきた隣人──大野さん。


「君、確か、あかりちゃんのの」


 廊下を進みながら、大野がマジマジと飛鳥を見つめた。


 すると、先日、付きまとわれて困っていたあかりを助けるために、恋人と偽り、大野を追い払ったことを思い出した。


(あ、そういえば俺……あかりのってことになってるんだっけ?)


 そのことを思い出した飛鳥は、そのまま彼氏を装うと、大野にむけ、ニッコリと笑顔で挨拶を返す。


「大野さんでしたっけ? こんばんは」


「こんばんは。君、名前は?」


「え? あぁ、神木です」


「神木くん。年は? 高校生?」


「…………」


 うん。よく言われるよ。高校生くらいとか


「……いや、20歳です。あかりより2つ年上」


「へーそうなんだー。俺は26歳。社会人ね!」


「へー……働いてるんですね?」


「そう、


「………………」




 ──は?


 どことなくトゲのある何かを感じ取って、飛鳥は笑顔を張りつけたまま、困惑する。


 君とは違う? 何が?


 すると、大野は、更に飛鳥を睨みつけると


「ていうか君、本当に、?」


「…………え?」


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