第82話 死と絶望の果て⑤ ~ありがとう~
薄暗いワンルームの一室。
侑斗は、割れた写真立てにむかって、ゆっくりと語り始めた。
「本当、バカだよなー俺。飛鳥を、ミサのところに置いてきた時に、お前に怒られて懲りてたはずなのに、子供たちの気持ち無視して勝手に決めて、また同じこと繰り返そうとしてた」
当時のことを反省してか、妻の写真を見つめ、侑斗は苦々しい笑みを見せた。
いつまでたっても、
妻を亡くしたあの悲しみも、華と蓮を手放そうとしたあの後悔も、飛鳥の悲痛な声も
今でも、しっかり刻まれてる。
「でも……あれから、俺も頑張ったんだよ。会社やめて、子育て支援に前向きな街を探して引っ越して、節約しながら勉強して資格とったりしてさ。前の会社の取引相手だった社長さんが、いい仕事紹介してくれなかったら、正直どーなってたか」
当時のことを思い出すと、侑斗は「褒めてほしい」と言わんばかりに、小さく笑う。
飛鳥と話した後、それから先は、とても慌ただしい毎日だった。
なりふりかまっていられなかった。
家事も料理も、できないなりに頑張って覚えた。
失敗もいっぱいした。
支援センターや役所に相談して、なんとか保育所があくまで一時保育をお願いして、不規則な仕事を辞めて、定時に上がれる仕事にもついた。
理解してくれる人もいたけど、それでも子供がいるからと、定時であがる俺を見て、同僚からキツイ言葉や視線を向けられた時もあった。
それでも、たまに残業すれば、子供たちには寂しい思いをさせた。
働く時間が減った分、給料も減った。
やりくりするのも大変だった。
華と蓮はイヤイヤ期にはいって、環境がかわったのもあり、飛鳥と二人頭を抱えた。
正直、育児って、こんなに大変なものだったのかと、心が折れそうになったこともあったけど
そんな時は、いつも飛鳥が側に来て笑うんだ
───まるで、君みたいに。
「飛鳥には、本当に助けられた。アイツがいなかったら、ここまで頑張れなかったと思う。だけど、今思えば、あの時、お前が死んで一番つらかったのは、飛鳥だったんじゃないかって思うんだ……飛鳥にとってお前は、本当に本当に──"大切な人"だったから」
飛鳥は幼い頃から、全く手の掛からない、しっかりした子だった。
いや、きっと、俺たちがそうさせてしまった。
でも、そんな飛鳥も、お前にだけは、わがままをいったり、弱音をはいたり、年相応に子供らしい姿を見せてた。
それなのに―――
『華と蓮を、連れてかないでッ』
俺がまた、それを奪ってしまった。
あんな小さな子に「母親の代わりをする」なんて言わせてしまうほど、追い詰めてしまった。
俺がもっとしっかりしていれば、あの時、華と蓮を手放すなんて、愚かなことを考えさえしなければ、飛鳥に、あんな重荷を背負わせることはなかったのかもしれない。
誰よりも優しくて
誰よりも家族を大切にするあの子は
あれからまた、甘えることをしなくなった。
わがままを言うこともなく
弱音を吐くこともなく
「母親になる」と言った、あの日の言葉を
今でもずっと守りつづけてる。
そう考えると、華と蓮を手放そうとしたことを、あの優しい息子に甘えてしまったことを
───深く後悔してしまう。
「本当ダメだよな。俺なんかより、子供たちの方が、ずっとしっかりしてるんだから」
また呆れたように笑って、侑斗は当時のことを思います。
あのあと、目を覚ました華と蓮は、俺と飛鳥が泣いてるのを見て、驚いた顔をして頭をなでてきた。
『にぃに、とーと、いたいのー?』
なんて、つたない言葉をつかって、小さな手で、だけど、凄く凄く───温かい手で。
妻と一緒にいられたのは、たったの4年ほどだった。
──たったの4年。
でも、その4年間で、君はたくさんの愛情を、俺たちに注いでくれた。
あの子たちが、こんなにも頼りない父親を、未だに見捨てないでいてくれるのも、きっと、君が注いでくれた、その愛情と優しさのおかげなのだろう。
そして、君のその愛情は、飛鳥にしっかり受け継がれて、華と蓮に注がれて、あの子たちは、あんなにも他人を思いやれる
──優しい子に育った。
後悔もした。
辛い時も、苦しい時もたくさんあった。
でも、それでも「守りたいもの」があれば「側で支えてくれる誰か」がいれば
きっと人は、どんな苦難も乗り越えてゆくことができるのかもしれない。
「はは、なんだか子供たちの声が、聞きたくなってきちゃったな~」
棚の上にある子供たちの写真を見つめて、にこやかに笑うと、侑斗は再び妻の写真に視線を移し、ゆっくりと瞳を閉じた。
妻が亡くなって──13年がたった。
生きていてほしかったと、今でも思う。
だけど、それ以上に
俺は、君に出会えてよかったと
心の底から思う。
ひとつだけ心残りがあるとすれば
「ありがとう」の言葉を
もっともっと伝えておけばよかった。
でも、それも、失ってから気づいた。
最愛の人の「死」は、俺に"かげかえのないもの"を、たくさん教えてくれた。
ありがとう
ありがとう
ありがとう
俺は、そんな君を
今でもずっと、愛してる
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます