第83話 蓮くんとお兄ちゃん

「失礼しまーす」


 放課後、蓮は学級日誌を手に、職員室の前に立った。


 騒然と並んでいる机の中から、担任である尾崎先生の席を探し当てると、蓮は教室で書き上げた日誌を手渡すため、尾崎の元へと進む。


「先生、終わりました」


「あー今日の日直は、神木だったな。おつかれー」


 蓮が日誌を手渡すと、尾崎はそれをパラパラとめくり、中の内容を確認する。


「よし、しっかり書けてるし、もういいぞ!神木はバスケ部に入部したんだってな。このあとは、部活か?」


「ぁ、はい」


 にこやかに話しかけてくる尾崎先生は、とても気さくで話しやすい先生だ。しかも、イケメンということもあり、生徒からの人気も高い。


 だが、蓮が尾崎と話をしている最中──


「神木お前、 "あの神木"の弟なんだってなぁ!」


 尾崎の向かいに座っていた、少し年配の相沢先生が、二人の会話に割って入ってきた。


「いやー、お前の兄貴は、色々とすごかったぞ!」


 相沢が、蓮をマジマジと見つめながら、腕組みをすれば、それを聞いた他の先生たちも、わらわらと集まり始めた。


「えー、神木君て、 "あの神木君"の弟なんですか? 同じ名字だとはおもってたけど」


「ああ、少し前に、神木が顔だしにきたんだよ。『妹に弁当届けに来た』とかいってな。妹弟きょうだいが入学したから宜しくとは言ってたが、あの頃からすると、また背も伸びて、更にイケメンになってだぞ!」


「え~そうなんですかー。残念、私も会いたかったなー。神木くんに~」


「…………」


 蓮を取り囲み、先生たちがワイワイと語りはじめると、蓮は少しばかり表情を曇らせる。


(やばいな、これは……)


「へー、神木、お兄さんいたのか!」


 だが、そんな兄の話を聞いて、今度は尾崎が、そう問いかけてきた。


「は、はい……います」


 ものすごく、厄介な兄が──


「あ、そっか! 尾崎先生は最近、赴任ふにんしてきたばかりだから知らないんですよね。3年前に卒業した生徒会の元副会長なんですけど、 生徒からも先生からも人気があって、本当すごかったんですよ~!」


「へー」 


「しかも、色々と要領もよくて、仕事も早くて丁寧だったし、おまけに、ものすっごいイケメンで! 贔屓ひいきしちゃいけないのわかってるのに、あの笑顔でお願いされたら、つい聞いてあげたくなっちゃうんですよね~」


「しかし、お前、弟なのに、神木とは全然似てないんだな」


「え? 似てないんですか? でも神木(蓮)も十分イケメンじゃないですか!」


「いやいや、尾崎先生! お兄ちゃんの方は、もうケタが違うんですよ! 男の子なのに線が細くて女の子みたいで、もう、いるだけで場が華やぐっていうか、本当に、桁外れて美人だったんですよー」


「…………」


 なんか、さっきから滅茶苦茶、グサグサ刺さる。


 目の前で飛び交う兄を賞賛する会話。それを聞き、蓮は顔をひきつらせた。


 だが、これは別に珍しいことではない。

 今までにも、こういうことはよくあった。


 あの兄は、同年代だけでなく、年配者にもよく好かれるのだ。


 そう、兄は老若男女問わずたぶらかす、魔性の男──とでもいえばいいのか?


 一見、金髪なので先生達から目をつけられやすくはあるが、兄の素行は一切悪くない。むしろ、どちらかといえば、優等生。


 その上、あの容姿に愛嬌のある笑顔。なんでもそつなくこなす、あのが、先生たちの人気を集めないはずがなかった。


 中学の厳しいと評判だった、生徒指導のあの半田先生ですら、髪色を注意した際に、兄に、にこやかに「地毛です♪」と言われただけで、あっさり折れたらしい。


 そして蓮は、そんな兄の弟ということもあり、幼い頃からよく比べられてきた。


 神木の弟──


 毎回いわれるのは、それだ。あの兄の"付属品"のような扱い。


 こういう時は、時々、兄が憎らしくなる。



「先生。俺、部活いかなきゃならないんで」


 ワイワイと盛り上がる先生たちをよそに、蓮は冷静に答える。


 このまま聞いていても、話がいつ尽きるか、わかりゃしない。逃げるが勝ちだ!


「部活か、お前も 兄貴みたいになれるように、がんばれよ!」


 すると、また相沢先生が口を挟んできた。


「善処します」

「政治家か、お前は!」


 ぶっきらぼうに返事をすると、蓮は職員室をでて、教室へとむかった。



《兄貴みたいになれるように、頑張れよ!》


 悪気はないのだろうが、やはりグサリとくる


 なれと言われて、なれる気がしないから余計に。


 弟である俺は、よく兄貴と比べられることが多かった。


 全く似てない容姿に、愛想がいいとも言えない性格。周りから、兄のようにと期待をかけられても、それには全く答えられない。


 昔はそれが、たまらなく嫌だった。


 だけど「兄貴と比べられて嫌」だなんて言う資格は、俺にはないと思う。


 俺たちは、兄貴がのを、よく知ってるから。


 昔、父さんから、母さんが死んだ時は、かなり悲惨だったと聞いたことがある。


 あの明るい父が、食事も取らず、部屋に閉じこもっていたらしい。


 そんななか、兄貴が一人で、俺と華を見てくれていたといっていた。


「飛鳥がいたから、頑張れた」と、なにげなしに話した、あの懺悔するような父の悲しげな顔は、今でも、忘れられない。


 兄貴は、まるで、俺たちに一生懸命尽くしてくれた。


 料理だって

 裁縫だって

 家事だって

 勉強だって


 はじめから、できてた訳じゃない。

 影ながら努力してた。


 火傷しながら料理して、手に怪我しながら裁縫して、自分の時間削って家事して、空いた時間に勉強だって真面目にしてた。


 それを母が亡くなった小学2年生のころから、ずっと続けてきたんだ。


 正直、すごいと思う。


 今思えば、兄貴がやって来たことは、やる気になれば、俺にだって出来たのかもしれない。


 なろうとしていれば、俺も兄貴みたいになれたのかもしれない。


 でも──


 兄貴の優しさに甘えて、のは、俺だ。


 兄貴を「なんでも一人でこなせる人」にしてしまったのは「誰にも甘えられない人」にしてしまったは


 他でもない───俺達だ。


 そんなことに、今更、気づくなんて。




「れーん! 部活いくぞー」

「!」


 教室に戻ると、航太が蓮の荷物をもち、教室の入り口に立った蓮に声をかけてきた。


 蓮と、そう背の変わらない航太。不意に目が合うと、どこか淀んだ顔をしている蓮に気づいて、航太は首を傾げる。


「どうした蓮? 暗い顔して」


「いや、別に……職員室で兄貴の武勇伝、聞かされてただけ」


「あー、それでへこんでんのか?」


「へこんでないから!」


 蓮が航太から荷物を受けとると、二人は、教室をでて、バスケ部が部活をする、体育館に向かう。


「そういえば、、あれから、なにか進展あった?」


 すると、その道中、蓮が問いかける。


「っ……なんだよ。その棘のある言い方」


「そりゃ、どこぞの馬の骨にはやれないし」


「馬の骨!? ったく、なにか進展があったようにみえるか? ドラマやマンガでありがちな進展イベントが、そこいらに転がってると思うなよ」


「だろうな」


「それに、神木(華)は俺のこと、 弟の友人としか思ってないみたいだし、下手に告白なんてしたら、今の関係くずれそうだしなぁ……」


 ため息まじりに、そう呟いた航太は、まさに恋する男子だった。


「まー、普通にいけば、このまま一切進展しないで、卒業前に慌てて告白して、玉砕するパターンかな?」


「なんで、玉砕限定なんだよ!?」


「そっちこそ、なんでよりによって、華なんだよ!?」


「それは…っ」


 航太が、華を好きになった"きっかけ"はなんだったのだろう。

 蓮は、ふと気になって、航太に問いかけた。すると航太は、ほんの少しだけ顔を赤らめたあと──


「それは多分、おまえのせいだぞ」

「……え?」

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