第214話 狭山さんと飛鳥くん

「あー、全然見つからない!」


 その頃、狭山は公園の駐車場に車を停めたあと、エレナの家の付近を、必死になって探し回っていた。


 携帯は、何度かけても繋がらず、家に置いたままなのかもしれない。


 きっと、どこかで身を隠しているのだろうと、ここら一帯の公園や学校をひたすら探したが、エレナが見つかることはなかった。


「あ、やば……っ!」


 その後、時計で時刻を確認すれば、もう11時がすぎていた。


(さすがに、もう……っ)


 エレナがいなくなって、1時間半。


 オーディションから逃げ出した可能性が高いが、もしかしたら何か事件に巻き込まれた可能性だってある。


 狭山は、流石に潮時かと母親に連絡するため、スマホを手にした。


(……仕方ないよな)


 暗い表情をしつつ、改めて電話帳からミサの携帯の番号を探しだすと、狭山は、再び電話をかけた。


 ──トゥルルルルルルルルル!!


「おわっ!?」


 だが、その直前、突然スマホが鳴った。


 どうやら着信らしい。


 狭山がスマホの画面を凝視すれば、そこには、090から始まる未登録の番号が表示されていた。


(え? 誰だ?)


 一瞬、不振がりながらも、前に声をかけたモデル志望の子からという線もある。狭山は、とりあえず、その電話に出ることにした。


「はい」


《もしもし、狭山さん?》


「?」


 すると、電話越しに声が響いて、狭山が目を丸くする。


 高からず引くからず、耳に心地の良い声。

 そして、その声は──


《お久しぶりでーす! 神木飛鳥でーす♪》


「か、神木くん!? なんで!?」


 予想外の人物に、スマホが手から滑り落ちる。だが、間一髪スマホが落ちるのを阻止した狭山は、反対の手に持ち替え、酷く慌てた口調で問いかけはじめた。


「神木くん!? どうしたの!? もしかして、モデルする気になった!? 嬉しい! すっごく嬉しい──」


《とりあえず、落ち着いて。あと、俺モデルしたくて電話したわけじゃないよ》


「え?! そうなの!? じゃぁ、なんで……って、そーじゃなくて!! ごめん、せっかくかけてくれたのに! 実は俺、いま立て込んでて、後でかけ直してもいいかな!? 事務所の子が一人いなくなって」


《ねぇ、そのいなくなった子って……ちゃん?》


「!?」


 その名前に、狭山は瞠目する。


 なんで、彼が、エレナちゃんのことを知っているのか?


 だがその瞬間、狭山は、前に気になったことを思い出した。


 彼の容姿は、ミサさんに、あまりにもよく似ていた。


 そして、あの日、ミサさんが落とした写真に

 映っていた「赤ちゃん」


 彼女は、その赤ちゃんのことを『息子』と言っていた。


「やっぱり君、ミサさんの……っ」


 まるで確信をつくような問いかけ。


 すると飛鳥は、少し失笑気味に、返事を返す。


《へー……案外鋭いんだね、狭山さんて》


「……っ、でも、君のお母さん亡くなってるって言ってなかった?」


《あー、それはの方なんだ。それと、エレナなら今、俺の家にいるよ》


「え!? ちょっ、ちょっと待って!? エレナちゃん、今日オーディションがあって」


《……うん。知ってる。エレナから全部聞いてる。それより、聞きたいんだけど──エレナがいなくなったこと、もう、?》


「……!」


 少しばかり低く重い声が受話器から響いて、狭山は、何となく今の状況を察した。


「……い、いや。まだ……話してない」


《……そう》


 話してない──その返答に飛鳥は、安堵する。


 あの人がまだ何も知らないなら、今夜、エレナが怒られる事態は避けられるかもしれない。


「あのさ、エレナちゃん、大丈夫なのか? 最近なんか……」


《……気づいてたんなら、なんとか出来なかったの? モデルのケアするのも、あんた達の仕事だろ》


「ッ、そんなこと言ったって」


《……もう限界だよ。オーディション受けるどころか、もうモデルはしたくないって泣いてる》


「……っ」


 やっぱり──


 予想していたことが現実になり、狭山はきつく唇を噛み締めた。


「じゃぁ、エレナちゃん、このまま辞めるの?」


《いや、今はまだやめられない。あの人は許してくれないだろうし……それに、もし今日のオーディションを受けなかったとわかったら、あの人は、すごく怒ると思う……仮にさ。今から会場に行ったとして、オーディションには間に合うの?》


「……」


 間に合うのか?──その問いに、狭山は一度時計で時刻を確認し、苦々しげに眉をひそめた。


「……いや、会場は宇佐木市の方で、ここから1時間弱かかる。開始時刻は1時からだけど、受付を12時までにすませなくちゃならない。どのみち、今からいっても、間に合わない」


《……じゃぁ、狭山さんに一つお願いがあるんだけど、今日のオーディション『受けた』ってことにしてくれない?》


「は!?」


 その言葉を聞いて、狭山は瞠目する。


「ちょ、それって、ミサさんに嘘つけってこと!?」


《……大丈夫だよ。受けたってことにして、結果は『不合格』で伝えればいい。モデル経験あるあの人なら、楽に合格できる世界じゃないのは、きっと分かってるはずだし……それに、合否の通知は、基本的に合格者にしかいかないから、上手くやればバレることはないよ》


「……そう…だけど」


 スマホを握りしめたまま、狭山はそれを承諾するべきか躊躇する。


 オーディションを、逃げ出すほど嫌なのだ。


 なら、嘘をつくよりも、素直に話して、ミサさんに理解してもらった方がいい。


 だが……


「も……もし、嘘をつかず、正直に今日のことをミサさんに話したら、エレナちゃんはどうなるの?」


 ───あの母親には気をつけろよ。


 前に坂井から言われた忠告を思い出し、狭山は再び問いかける。


 すると、飛鳥は──


《さぁ……》


「さ、さぁ……って」


《何をするかから、怖いんだよ。閉じ込められるだけですむのか、物が壊れるだけですむのか。はたまた、それ以上か……》


「な、何それ……っ」


《だから今は、あの人の怒りに触れないように、少しずつ変えていくしかないんだよ。だから、どうか、エレナのためにも協力して》


「…………」


 電話越しでも、酷く心配しているのが伝わってきた。


 母親が同じなら、二人は「兄妹」なのだろう。


 突然のことに驚いたが、初めて会った時、彼が頑なにモデルを嫌がっていたことに、今更ながらに納得してしまった。


 きっと、彼も、昔モデルをしていた。


 いや、させられていたのだろう。



 ミサさんに───




「あー、もう、わかったよ!」


《あはは。さっすが狭山さん。頼りになるね! あと、俺がこの件に関わってることも、絶対にバレないようにしてね?》


「もう、なんなの君たち! 母親との確執が深すぎて、俺、胃に穴が開きそう!」


《まぁまぁ、好きでこんな関係になったわけじゃないんだよ、これでも》


「とにかく! ミサさんにはオーディション受けた定で話すけど、事務所にまで嘘つくわけにはいかないから、エレナちゃんは体調不良で辞退したってことになるよ。あと、もう1人の担当の先輩と社長には正直に話すけど、いい?」


《うん。そこは仕方ないだろうね》


「まぁ、ミサさんと話すのは、基本的に俺たち担当だけから、よっぽどの事がなければ、大丈夫だとはおもうんだけど……」


《その辺は狭山さんに任せるよ。上手くやってね?》


「はいはい。とりあえず、今からエレナちゃん迎えにいくから。俺もこれからのこと、エレナちゃんと、しっかり話をしたいし」


《……うん、分かった。ごめんね、迷惑かけて》


 その後、前に飛鳥を送り届けた場所まで来るからと、狭山が飛鳥に確認すると、ピッとスマホが音を立てて切れた。


 そんな飛鳥と狭山の話を、エレナは大人しく聞いていて、再び視線を合わさると、飛鳥はエレナを見つめて、安堵の息をつく。


「とりあえず、これで今日、怒られることはないよ、多分ね」


「うん。ありがとう」


 不安が全て消えた訳ではない。


 だが、それでも安心しているのは、帰ってから"いつも通りの生活"に戻れるからだろう。


 例えそれが、部屋に閉じ込められる苦痛な日常だとしても──


「いい、エレナ。今回は、なんとかなったけど、あの人に嘘をつくのは確かだ。バレたら、それこそヤバいことになる」


「……」


「でも、今はあの人を怒らせないように、少しずつエレナの気持ちを伝えていくしかない。長期戦になるかもしれないけど……できる?」


「……やってみる。私も、ずっとこのままは嫌だもの」


 ぐっと真一文字に口を結ぶ姿は、どこか覚悟を決めたように見えた。


(強いな……きっと、俺よりも)


 そう思いつつ、飛鳥はエレナの頭を撫でる。


「………」


 そして、そんな飛鳥の姿を、あかりはただ黙ったまま見つめていた。

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