第73話 自立と面影
「前から気になってたんだけど……なんで、飛鳥兄ぃ、髪切らないの?」
風呂上がり、まだ半乾きの兄の長い髪を見つめながら、華が疑問の言葉を投げ掛けた。
兄の髪は、いつみても綺麗だと思う。
細くて、柔らかくて、キラキラしてて、女の自分からみても羨ましいくらいだ。
そんな兄が髪を伸ばし始めたのは、確か中学2、3年のころ。同性の姉妹がいない華ら、兄の髪を弄って遊ぶのが大好きだった。
男所帯で育った華が女の子らしくいられるのも、もしかしたら、この兄のおかげなのかもしれない。
だが、髪を伸ばせば、どうしても女性に間違えられやすくなる。
只でさえ、女顔の兄。
だが、そんな兄も、昔に比べると大分男性らしくなってきた。だからこそ、きっと髪さえ切れば、女性に間違えられることも、今よりははるかに少なくなるかもしれないのに……
「別に、のばしっぱなしなわけじゃないだろ……ちゃんと整えてはいるし」
だが、飛鳥は華のその問いかけに、少し違う返答をかえしてきた。
「いや、そうだけど……でも、髪が長いから今でも女の人に間違えられるんでしょ? それが嫌なら、切ればいいじゃん!」
「あ、それオレも気になってた」
「……」
何やら気になるのか、どうしても理由を聞き出そうとする双子。だが、そんな二人を見て飛鳥は
「別に、似合ってるなら何でもいいだろ? それにほら、長い髪が似合う男なんて、俺くらいの美男子じゃなきゃ無理だし」
「なにそれ!? ファンサービス的な感じなの!?」
「てか、自分でいうソレ!?」
「まぁ、実際に外見が良いのは確かだしね~。目の保養になっていいことだろ?」
「まー、確かに、そうかもしれないけど……」
顔をしかめる双子をみて、飛鳥はにこやかに笑うと、その後部屋に戻るのか、その場から立ち上がった。
「まー……
そして、華と蓮に「夜更かしするなよ」と一言忠告すると、飛鳥は二人に背を向けリビングから出ていった。
そんな兄をみて、華が小さく呟く。
「飛鳥兄ぃって、時々なに考えてるのか、わかんない時あるよね」
「そんなの今に始まったことじゃないだろ。兄貴はいつだって」
──笑いながら、"何か"を隠すんだから。
兄は、よく笑う人だ。
だが、それは同時に、兄の癖でもある。
兄は、きっと辛い時でも、無理して笑ってる。多分、自分達に心配をかけないために……
「蓮は……飛鳥兄ぃの子供の頃の話、聞いたことある?」
「いや、ないよ。多分聞いても」
「話してくれないよねー」
悩んでるなら、聞いてあげたい。
苦しんでるなら、助けてあげたい。
でも、兄は、決して弱いところを見せてはくれない。
「私たち、そんなに頼りないのかな?」
寂しそうに呟いた華の声がリビングにスーッと溶けていく。蓮はその言葉に、ただただ耳を傾けることしかできなかった。
◇
◇
◇
パタン──
自室に戻ると、飛鳥は静かに部屋の扉を閉めた。まだカーテンを閉めていない室内には、外から淡い月明かりが差し込んていた。
わずかな光が差すその薄暗い室内で、飛鳥は先程の華の言葉を思い出すと、ドアの前に立ち尽くしたまま、眉根を寄せた。
(人の気も知らないで……っ)
どうやら、あの幼く頼りなかった双子も、ついに、自立することを始めたらしい。
だが、それを直接口にされると、こうも心をえぐられるものなのか?
飛鳥は、深くため息をつくと体を預けるように、部屋の扉にもたれ掛かった。
『一緒にいられるうちに、思い出つくろうよ!』
二人が、自分から離れていこうとしている。
いや、むしろ、自立を始めるには遅いくらいなのだ。本来なら、思春期である中学生くらいで親や兄弟に対して反抗的になったりしながら、自立を始めるものだろう。
だが、華と蓮は、そうではなかった。
自分達は、今ある「幸せ」が、決して
だからこそ、家族がこれ以上傷つくことがないようにと、大事に大事に守り抜いてきた。
きっかけはきっと、自分が小5の時の例の”誘拐事件”だ。
今、思い出しても恐ろしいあの事件は、幼かった二人の価値観を変えてしまうほどの深い傷を与えた。
「幸せ」とは、常に隣にあるのもじゃない。
それは、自分たちにとって「いつ奪われても、おかしくないもの」となった。
だからこそ、この「幸せ」を、わざわざ自分たちの手で壊そうとは思わなかった。
今が幸せだからこそ、ずっと変わらぬ「不変」を望みつづけてきた。
そう、今までは──
だけど、そんな二人が、「今」から抜け出し「未来」を見つめ始めた。
「今ある幸せ」ではなく「家族の未来の幸せ」を願い「自立」することを選んだ。
親……いや、兄離れしようとしているなら、それはとても喜ばしいこと。
本来なら、喜んで送り出してやりたい。
二人を見守り続けてきた
『兄』として────
だが、そんな当たり前のことが、飛鳥にはできなかった。
依存しているのは、よくわかっていた。
いつかそれが、二人の……家族の首をしめてしまうかもしれないということにも。
その事に気づいたとき、なんだか、とてつもない焦りを感じて、このままではいけないと思った。
家族以外に、好きな人でもできれば、変われるだろうか?そう考えて、他人を好きになる努力もした。
だが、”大切なもの”を増やすのは、飛鳥にとって、また”失うかもしれないもの”が、増えるのと同義だった。
これ以上、増やしてどうする?
もう、あんな思いしたくない。
もう、なにも失いたくない。
もし、この感情をさらけだしたら、華と蓮は、どう思うのだろう。
「離れたくない」と「ずっと、このままでいたい」と願ったら、あの二人は、ずっと一緒にいてくれるだろうか?
「いや、ないよな……」
だが、実際にさらけだした後のことをリアルに想像すると、その想像上の双子のリアクションを思い描いて、飛鳥は顔をひきつらせた。
言えるはずないし、言うつもりもないが、兄に「ずっと一緒にいたい」なんて言われたら、普通なら顔をしかめてドン引きするだろう。
むしろ、そうであるべきだと思う。
兄妹弟である自分達は、ずっと一緒にいれるわけじゃないのだから
「っ……もう、寝よう」
考えるのが辛くなってきた。
飛鳥は、ひとつ深めのため息つくと、もたれていた扉から離れ、開けっぱなしだった部屋のカーテンを閉めるため、月明かりが差し込む窓へと近寄った。
明日の朝も早い。そう考えながらカーテンに手をかけると、窓ガラスに映る自分と目があった。
「……本当に、
さっきは、思わぬ質問をされて、正直困った。
『なんで、髪切らないの?』
髪を切らないのに理由があるなら、それはきっと”克服”するためだ。
幼い頃に焼き付いた、
幼かった自分は、成長するにつれて、その面影を宿すようになってきた。
記憶とは厄介なものだ。
まさか自分の顔に、その面影を思い出して、まともに鏡すら見れなくなるなんて思いもしなかった。
髪の色が違ったら
瞳の色が違ったら
もっと簡単に、忘れられたのだろうか?
自分はこの顔が、未だに苦手なのだ。
幼い頃に焼き付いて離れない
「あの顔」が───
だけど、そんな自分が嫌で、いつまでも、過去に囚われている自分が情けなくて、あえて髪を伸ばして「あの人」に似せた。
きっと慣れたのだろう。自分の顔をみて怯えることはなくなった。鏡を見るのも平気になった。
でも、これで本当に克服できたのか?
わからない。
わからないから、切ることができない。
(もし……)
もし、また
俺は、今のままの自分でいることが、できるだろうか……?
ガラス窓に映る自分を見つめながら、飛鳥はひどく苦痛な表情をし、そして、そっと目を閉じたのだった。
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