第396話 髪と贖罪
「それに、来年の春には、髪を切ってると思うので、今以上に似合わなくなりますよ!」
「は?」
その言葉に、飛鳥は耳を疑った。
「え……髪、切ちゃうの?」
予想外の返答に、飛鳥は素直に驚いた。
あかりの髪は、飛鳥と、あまり長さが変わらず、腰の辺りまで伸びていた。
少し明るめの栗色の髪だ。それは、優しい輝きを放つ穏やかな色合いで、綺麗に手入れをされているがわかった。
だが、その綺麗な髪を、来年には切ってしまうなんて……
「なんで? すごく似合ってるのに、もったいなくない?」
「もったいなくはないですよ。私、もう少し伸びたら、寄付するつもりでいるんです」
「寄付?」
「はい。ヘアドネーションって取り組みを知りませんか? ガンや不慮の事故などで髪を失った子供たちに、無償で医療用ウィッグを提供する取り組みです」
「あぁ、それは聞いたことあるけど。あかり、寄付するために伸ばしてたの?」
「そうですよ。どうせ切るなら、少しでも誰かの役に立ちたいと思って。だから、髪の手入れには、それなりに気を使ってるんです」
ふわりと優しげな笑みを浮かべたあかりは、人のためになることを、心から喜んでるように見えた。
だけど、その目的が、あまりにも眩しすぎて、飛鳥は無意識に視線をそらす。
(寄付するためか……俺は、そんなこと考えたこともなかった)
ただ、自分のために、伸ばしているだけだった。
幼い日のトラウマを克服するためだけに、何年と伸ばし続けた髪。
だから、あかりのような崇高な目的は、一切なく……
(なんか、悔しいな……)
あかりは、自分よりも、ずっとずっと大人だ。
一人暮らしをしていて、更にはバイトまで始めて、髪を伸ばすにも、しっかりとした目的がある。
自立しながらも、他の誰かを気にかける余裕すらあって、そんなあかりは、自分のことで精一杯な俺とは、全く違う。
そして、そんなあかりとの違いが、飛鳥の心を、さらに傷心させる。
こんなにも弱い俺を、あかりが選ぶことは、初めからなかったのかもしれない──と。
(そう言えば……俺、あかりの前で、みっともない所ばかり見せていた気がする)
これまでの、あかりとのアレコレを思い出す。
出会った時は、お姉さんと勘違いされていて、二度目に本屋で再会した時は、お互いに辛辣なやり取りを繰り返した。
初めの頃は、まるで天敵扱いだ。にも関わらず、ミサさんを見かけた時は、倒れて介抱までされてしまった。
しかも、今に至っては、女装をして、女の子以上に可愛く変身してしまったわけで……
(なんか、思い出せば思い出すほど、いい所がないような?)
あまりにも情けない自分に、飛鳥は、まるで現実から目をそらすように飲みかけのティーカップを手に取った。
だが、揺れるカップの水面には、これまた可愛らしいツインテールの美少女が映っていて、飛鳥は、またもや落胆する。
(俺、こんな格好して、何やってるんだろ……っ)
好きな女の子の家で女装をして、その上、失恋までしてしまった。
考えていたら、さすがに辛くなってきた。
「あ、神木さん」
「……!」
すると、飛鳥が俯いた瞬間、長い髪が肩から滑り落ちた。
高級な糸のような金の髪が、そのまま紅茶の中に入りそうになる。だが、それを間一髪のところで、あかりが受け止めてくれた。
再び、触れたあかりの手。そして、急に距離が近づいたことで、また心拍が早まった。
自分なら、異性には決して許さない距離。それなのに、あかりはその距離に、平然と入ってくる。
何の警戒もなく、無防備に笑って。
だけど、それはきっと、俺が何もしないとわかっているから──
「よかった。もう少しで、髪が濡れちゃうところでしたね。ツインテールだと食事をする時、不便だってこと忘れてました。今から、ハーフアップか、お団子に結び直しますか?」
「いや、いいよ。それより、やっぱり着替えたい」
「え?」
全く意識していないからか、ついには、女の姿でいることに耐えられなくなって、その距離のまま飛鳥が問いかければ、あかりは、少し驚いた顔をした。
「……やっぱり、嫌ですか?」
「嫌というか、動きづらいかな。袖もスカートもヒラヒラしてるし」
「そ、そうですよね」
すると、少しガッカリしなような、それでいて、どこか不安げな顔をしたあかりは、その後、優しく笑って
「分かりました。私の方こそ、わがまま言ってすみません」
「いや、こっちこそ、ごめんね」
動きづらいなんて、ほとんど嘘のようなものだから、少し申し訳なくなった。
だが、この機会を逃がす訳にはいかないと、飛鳥は軽く謝り、立ち上がる。
──グイッ
「えッ!?」
だが、立ち上がろうと膝をついた瞬間、スカートを踏み、前のめりになった。
バランスを崩し、そのままあかりの方へと倒れこむ。すると、飛鳥はドサッと、あかりを巻き込むような形で、二人一緒にカーペットの上に倒れ込んだ。
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