第439話 弟と学校


「ふぁぁ~。おはよー」


 デート当日の木曜日。


 朝、目覚めた華は、欠伸をしながら、リビングにやってきた。


 今日も朝から、3人分の朝食をつくるのは、兄の飛鳥だ。髪をざっくり束ねエプロンをするお兄ちゃんは、今日も新妻感、満載だった。


 だが、その新妻っぽい兄が、今日は、好きな女の子とデートをする!


 だからか、華は、無駄に気合いがはいっていた!


「飛鳥兄ぃ! 今日は、頑張ってね! 素敵なデートにして、あわよくば、あかりさんのハートをゲット!!」


(ハートは、もうゲットしてるよ)


 だが、炊きたてのご飯をよそいながら、飛鳥が、平然と思考する。


 両思いなのだから、ハートはとっくに掴んでる。


 だが、両思いなのに、あかりが拒んでいるから、ややこしいことになっているわけだ。


「それより、ご飯できたよ。食べる準備して」


「はーい」


「……おはよー」


「あ。おはよう、蓮」


 すると、遅れて蓮が顔を出した。


 華同様、制服姿の蓮は、のそのそとリビングにやって来て、そのままダイニングのイスに腰掛けた。


「?」


 だが、その様子を見て、飛鳥がキッチンから小首を傾げた。


 のそのそと動作が遅いのは、いつものこと。


 だけど、その表情から、なんとなく気になった飛鳥は、そのまま蓮の背後に歩み寄り、弟の額に触れた。


「ぎゃ!? なにすんだよ、兄貴!」


「やっぱり。お前、熱あるじゃん!」


 なんとなく、表情がキツそうだと思った。


 そして、案の定、額に触れてみれば、蓮の体温は、明らかに高かった。


「いつから? 咳は?」


「ないよ、咳も熱もない! ちょっと朝から筋トレしてたから、体温が上がっただけだって!」


「お前が、朝から筋トレしてるところなんて、この16年、見たことないよ」


 日がな一日、ゲームばっかしてる弟だ。


 そして、さすが、お兄ちゃん。

 蓮のことは、なんでもお見通しだった。


「とりあえず、ちゃんと熱計って。解熱剤、飲んだ方がいいなら出すから」


「だ、だから、大丈夫だって……たいしたことないし、学校も行ける」


「学校は休まなきゃダメだよ。熱があるんだから」


「だから、熱ないっていってんじゃん」


「あるよ、どう見ても!」


「はーい、はいはい! 私、今日は休む!! 休んで、蓮の看病する!!」


「お前はお前で、何言ってんの。華は、学校行け」


「だって、それじゃぁ、蓮は」


「俺が、看病す」


「「ダメ!! それは、絶対ダメ!!」」


 瞬間、双子の声が、寸分の狂いなく重なった。


 そして、華には、蓮の気持ちが嫌というほどわかった。


 きっと熱もあるし、体もしんどい。

 それは、双子だからこそ、目にしただけで気づけた。


 だけど、その蓮が学校に行こうとしているのは、お兄ちゃんをデートに行かせるためだ!


「お兄ちゃんは、あかりさんとのデートがあるでしょ!」


「だからって、弟が寝込んでるのに、いくわけないだろ」


「だから、それが、ダメだっていってるんじゃん!」


 すると、バン!とテーブルを叩き、華は更に兄に詰め寄った。


「お兄ちゃんは、絶っっ対、デートに行かなきゃダメ!! 当日にドタキャンなんてしたら、完全に嫌われるじゃん!! それに、蓮の気持ちも分かってあげてよ! お兄ちゃんの足を引っ張りたくないから、無理して学校行こうとしてるんでしょ!」


「………」


 華の言葉に、飛鳥は黙り込んだ。


 蓮が、熱がないと嘘をついてまで、学校にいこうとしているのは、全部、兄のためだ。


 だけど、そのくらいの想像は、簡単につく。


「分かってるよ。でも、それとこれとは話が別だろ。熱があるのに、学校なんて行かせられないし、蓮を一人、ほっとくわけにもいかない」


「だから、私が休むっていってるんじゃない!」


「お前なぁ、そんな理由で、学校を休ませるわけないだろ」


「そんな理由!? 弟の看病の、どこがそんな理由なのよ!?」


「違う、そっちじゃない! 華が、学校休むっていってるのは、俺をデートにいかせるためだろ!」


「そうだよ! だって、そうしなきゃ、お兄ちゃん、蓮の看病するために、あかりさんとのデートことわっちゃうでしょ!」


 兄と双子の姉が、朝から口論を繰り返す。


 そして、その姿を見ながら、蓮は自分の間の悪さを嘆いていた。


(最悪だ……こんな日に、熱出すなんて)


 昨日、雨に打たれながら帰ってきたのが、いけなかったのか、昨晩から寒気がして、朝、目が覚めたら熱が出ていた。


 風邪をひかないよう、帰宅後、すぐに風呂にもはいったというのに、なんで、こうなってしまったのか?


「華も兄貴も……喧嘩なんてしないでよ」


 すると、見かねた蓮が、ついに口を挟む。


 二人とも、俺のために、学校を休むとか、デートはキャンセルするとか、いってくれてる。


 それは、とても嬉しくて、ありがたくて、胸がふんわりと温かくなる。


 まるで、愛されてることを、実感でもするように。

 だけど──


「俺、大丈夫だから、華は学校いって」


「え? でも、熱があるのに!」


「あるけど、寝てればすぐに良くなるよ。それに、もう高校生だし、一人で何とかできる。昼飯だって、テキトーに食うし。それに、華の言う通りだよ。俺、兄貴の足を引っ張りたくない」


「………」


「兄貴はさ、今までずっと、俺たちを優先してくれたよ。まるで、母さんの代わりみたいに、いつも傍にいてくれた。だけど、もういいよ。俺、もう子供じゃないし、一人でも大丈夫だから……それに、いつまでも俺たちのことばかり考えてたら、掴める幸せも掴めなくなる。だから、今日のデート、絶対にいって」


「……っ」


 ハッキリと口にしたその言葉は、妙に重くて、飛鳥は、気だるげな蓮を見つめながら、静かに言葉を噤んだ。


 確かに、蓮は、もう高校生だ。


 もう少ししたら、こされるんじゃないかってくらい背も伸びてきたし、俺におんぶされてた頃のような、小さな小さな子供じゃない。


 なにより、そこまで言われたら、NOなんて言えるはずがなかった。


「うん……わかったよ」


 すると飛鳥は、小さく返事を返し、まずは熱を計ろうと、リビングの引き出しから体温計を取り出した。



 外には、微かな晴れ間が見えていた。

 昨夜の雨があかり、もう雨音すら聞こえないような。


 だけど、心の中には、微かに曇り空が覗いていた。

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