第230話 華と倉色さん
「怪我、してない?」
その柔らかな声に、華は一瞬目を見張ると、次の瞬間、慌ててその場から立ち上がった。
「は、はい! 大丈夫です!!」
まだ痛みの残るスネをかばいながら、必死に取り繕う。だが、立ち上がった瞬間、破れた袋の切れ目から、中の荷物が更に溢れ始めた。
「あ、わっ……!?」
恥ずかしい!! まさか、こんなマヌケな姿を、このお姉さんに、見られてしまうなんて……
「あ、袋やぶれちゃったんだ」
「あ、その……」
「ちょっと待っててね」
「?」
すると、その女性は自分のバッグの中からそっと何かを取り出すと「使って」と言って、華に差し出してきた。
丁寧に折りたたまれたソレは、シンプルなデザインのショッピングバッグだった。華はそれをみると
「え!? あの」
「この前、このスーパーがオープンした時に景品で貰ったの。予備のつもりで入れてたんだけど、私は自分の持ってるし、あまり使わないから、貰ってください」
そう言うと、女性は袋を広げ、破れた袋ごと中に入れるよう促してきた。
困った所を助けて貰い、華の胸には温かい気持ちがジーンと流れ込む。
(なに、このお姉さん、めちゃくちゃ優しい!!)
さっきだって、迷子の女の子の手を引いて、母親を一緒に探してあげていた。
思っていた印象と違うばかりか、穏やかに笑うその女性の雰囲気は、なんだかとても柔らかなもので
「あ、ありがとうございます!」
「いいえ」
華がお礼を言うと、その女性はまたニコリと笑った。
その姿は、やはりどことなく『母』に似ている気がした。
(あ……でも、このお姉さん、飛鳥兄ぃと…っ)
だが、先日のことを思い出し、華は再び複雑な顔をする。
こんなに優しいお姉さんが、なぜ兄と危ない関係を築いてるのか?
とてもじゃないが、信じられなかった。
だが、兄がこのお姉さんを部屋に連れ込んだのは、確かなこと。
(もしかして、飛鳥兄ぃ。このお姉さんが優しいのをいいことに、なにか危ない関係を強要してるとか!?)
もしくは、何かこのお姉さんの弱みを握っていて「ばらされたくなければ、言うこと聞け」みたいな感じで、部屋に連れ込んで無理やり──
「あの、大丈夫?」
「へ!?」
「いや、難しい顔してるから、やっぱり怪我でも……」
「あ、いいえ! 怪我なんてしてません!大丈夫です!本当に!」
頭の中では、兄とお姉さんのR18指定な光景が悶々と繰り広げられていた。
だが、その動揺を隠しながらも、華はお姉さんこと『あかり』に慌ててそう言うと、ショッピングバッグをうけとり、溢れた荷物を中に詰め込み始めた。
それから、華が荷物を全て移し終え、大丈夫なのを確認すると、あかりは
「じゃぁ、気をつけてね」
と言って、華に背をむけた。
(あ……どうしよう──!)
去っていく、あかりの後ろ姿を見つめ、華は手にしたバッグをぎゅっと握りしめた。
このまま、聞きたいことも聞けないまま、この人を帰してもいいのか!?
「あ、あの!!」
「?」
すると、再度張りあげた華の声を聞いて、あかりが振り返る。
「あ、あの、このエコバッグ、ちゃんと返します!」
「え?……あはは。気にしなくていいよ。貰ってていったでしょ?」
「で、でも……っ」
そういうあかりに、華は一瞬口ごもる。
だが
「でも、兄に頼めば、返せると思うので!!」
「兄?」
「あ、はい、私……神木 華と言います。か……神木 飛鳥の……妹です……っ」
「…………」
神木 飛鳥の──妹。
そう言われ、今度はあかりが瞠目する。
暫く沈黙し、あかりはじっと華をみつめた。すると、どうやらやっと理解したらしい。あかりは、慌てて頭を下げると
「え!? 神木さんの!? あ、あの、先日は挨拶もなく勝手に上がり込んで、すみませんでした!」
「あ! いえ、あれは、うちの兄が連れ込んだ──じゃない、招き入れたみたいなので気にしないでください!!」
二人して、先日のことを思い出して、あたふたする。
申し訳なさそうにするあかりに、狼狽える華。
だが、せっかく声をかけたのだ。ここで兄との関係をハッキリさせておきたい!
そう思った華は
「あ、あの……お姉さんは、その……うちの兄と……どのような、ご関係なんでしょうか?」
「え?」
顔を赤くし、ボソボソと問いた華の言葉に、あかりは、きょとんと首をかしげた。
(ど、どのようなって……あれ、神木さん、もしかして、また誤解といてないの?)
部屋に二人っきりだと思われているなら、あらぬ誤解を受けているかもしれない──と、あかりは先日、飛鳥に釘をさしたはずだった。
だが、この様子をみれば、どうやら誤解はとけていないらしい。
(……うーん。これってやっぱり、彼女と勘違いされてるのかな?)
さすがに、それはマズい。
するとあかりは、その誤解を解くため、改めて華に自己紹介を始めた。
「あの、挨拶が遅れてすみませんでした。私は、お兄さんの友人で、"
「く、くらしき……さん?」
丁寧に自己紹介をされ、華はその「倉色さん」を改めて見つめた。
教育学部の1年ということは、兄が言っていたとおり、後輩であることに間違いはない。だが……
「ほ、本当ですか!? 本当に、ただの友達ですか!? 兄になにか弱み握られてるとか! 不純な関係、強要されてるとか! そんなことはありませんか!? もう、この際だから、ハッキリ言ってください!! もし、兄がヤバいことしてるなら、家族として責任もってとめますから!!」
「え!?」
だが、どうやらまだ信じていないのか、切羽詰まった表情で詰め寄る華に、あかりは困惑する。
弱み?強要??
どんな勘違いをしてるんだ、この子は。
「あ、あの、本当にただのお友達で」
するとあかりは、苦笑いで、再度弁解するのだが、華は、まだ納得出来ないようで
「じゃぁ、この前、兄の部屋で何をしてたんですか!?」
「ッ……え!?」
その問いかけに、あかりは口篭る。
(な、なにをって……どうしよう。エレナちゃんのことは言えないし……っ)
あんな複雑な事情。第三者の自分が告げるわけにはいかない。
だが、何をしてたかなんて聞かれて、どう答えればいいのか?
「えと……それは……っ」
(ッ……やっぱり、言えないことしてたんだ!)
突然、言葉を詰まらせたあかりを見て、華はある意味確信したのか、頬を赤らめ、慌ててあかりから視線をそらす。
「あ、あの、すみません。変なこと聞いて。その……今のは、忘れてください…っ」
「!?」
すると、恥ずかしそうに俯いた華を見て、あかりはハッとする。
想像するのも恥ずかしいが、なんとなくイケない想像をされているような気がした。
「あ、あの、違いますよ!? 確かに部屋にはいましたけど、本当にお友達で! せ、先日は、その……相談にのって貰っていたというか……」
「相談? それって、どんな……」
「あ、それはちょっと言えないというか」
(ッ……やっぱり、あやしい!?)
聞けば聞くほど、あやしい!!
「でも、本当に友達なんです! 信じてください!」
だが、再度、あかりが訴える。しかし、信じろと言われても、華には、そう簡単に信じることができず
「じゃぁ、なんで大学で話さないようにしてるんですか?」
「え?」
「兄が、前にそんなこと言ってて……でも、友達なら、別に話したっていいですよね?」
「……あ、それは」
すると、あかりは、申し訳なさそうに
「ごめんなさい。それは、私が避けてるからというか……あんなにモテまくってる人と大学で仲良くしていたら、絶対に女子の揉め事に巻き込まれるし。私、できるなら平穏無事な生活を送りたくて……」
「あー、なるほど!? うちの兄が、ご迷惑かけてすみません!!!」
正論すぎて、納得せざるを得なかった。
確かに、あの兄と親密にしていたら、噂はすぐに広まりそうだし、下手をすれば、過激派なお姉様方に睨まれてもおかしくない!
(……じゃぁ、本当にお友達なの?)
だから、大学で話さないようにしてるの?
だから、わざわざ家に呼んで、相談にのってたの?
このあかりさんを、厄介事に巻き込まないために?
でも、それって──
「お兄さんのこと、大好きなんですね」
「え?」
だが、次に聞こえたあかりの言葉に、華は目を丸くする。
「え、あ、それは」
「心配?」
「え?」
「お兄さんに彼女ができるのが、嫌なのかなって?」
「ッ……」
そんなことない──と、胸を張って言えたら良かった。でも、自分の"本心"を自覚したからか、上手く言葉を繋げられなかった。
言われた通り、本心では「嫌だ」と思ってる。
だから、わざわざ、この人のあとまで付けて───
「大丈夫ですよ」
「え?」
だが、俯く華をみて、あかりはまた優しく声をかけてきた。
「心配しなくても、私は神木さんの彼女ではないし、この先もずっと、お友達のままですから」
「え?」
この先も──ずっと?
「え!? でも、あの顔ですよ!? 私が言うのもなんですけど、すっごい整った顔してて、しかも、見た目だけじゃなく、中身もまぁまぁいいというか! そんな兄と、ずっと友達でなんて言いきれますか!?」
まるで兄の名誉を守らんとばかりに、身を乗り出し、力説する華。
そんな華に、あかりはまた苦笑いを浮かべる。
「別に『お兄さんに魅力がない』とかいってるわけじゃないの。むしろ、とても素敵な方だと思います。でも、それでも私は──絶対に、彼のことを好きになったりしないから、心配しないでね」
「……っ」
その言葉に、華は息を詰めた。
ハッキリと断言されたその言葉は、全くの迷いのない言葉のようにも感じて
(絶対にって……このお姉さん、本当にお兄ちゃんのこと──)
友達としか、思ってない──
(あれ……なんで?)
ずっとモヤモヤしていたはずだった。
だけど、それがその瞬間、チクリとした痛みに変わった。
お兄ちゃんに彼女がいなくて、嬉しいはずなのに。この人が、ただの友達で、安心したはずなのに──
なんで、こんなに
────胸が、痛いの?
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