第471話 迷いと大人


(……なんだか、いつも通りだな)


 隆臣と蓮を追い出したあと、飛鳥は自室で一人、着替えをしていた。


 なんの気兼ねなく服を脱ぎすて、ベッドに放り投げると、その後、鏡の前にたち、浴衣に袖を通した。


 さらりとした色白の肌に、木綿もめんの浴衣が、するりとすべる。


 そして、淡々と着付けながら、飛鳥は、あかりのことを思いだしていた。


 二週間ほど前、飛鳥は、あかりに電話をかけた。


 夜11時頃の話だ。

 酔った勢いで、不作法にもかけてしまった。


 そして、電話に、あかりが出ることはなく、声一つ聞けなかったことに落ち込んでいると、横にいた父に言われたのだ。


 しばらく、あかりちゃんのことは、考えるな──と。


(……言われた通り、距離を置いてみたけど)


 あれから、あかりにメッセージを送ることはなくなった。


 そして、気づいたのは、あかりがいなくても、世界は変わらずに回っていくということ。


 華と蓮とは、相変わらず馬鹿やってるし。

 隆ちゃんとも、くだらないことで喧嘩してる。


 だから日常は、いつも通り穏やかで、なにも困ることはなかった。


 きっと、このまま何もしなければ、あかりへの気持ちも、ゆっくりと消えていくのかもしれない。

 

 いや、消えてくれるなら、むしろ、その方がいい。


 あかりにとって、俺のこの気持ちは、迷惑でしかないから……


 それに、俺は知ってる。


 どんな痛みも悲しみも、時間が、解決してくれるということを──


 母さんを亡くしたあの悲しみが、時間と共に癒えていったように、身を割くような日々が、永遠に続くわけじゃない。


 人は、いつか乗り越える。


 生きて、進んで、時折、振り返りながらも

 

 過去を乗り越えていく。


 そして、それが『大人になる』ということなのかもしれない。

 

 だけど、それと同時に思うのは、ここであかりを諦めたら、一生、後悔すると言うこと──


(後悔はしたくないけど……今の俺って、一歩間違えたら、ストーカーだよな?)


 帯を締めながらも、飛鳥は、自分の行動を振り返り苦笑いを浮かべた。


 嫌がってる女の子に強引に迫るなんて、両想いじゃなければ、完全にアウトだ。


 だからこそ、あかりに会って、まだ、好きかどうかを確かめたい。


 きっと、声を聞けばわかる。

 それなのに、あかりは、声一つきかせてくれない。

 

「今頃、家族と楽しくやってるのかな?」


 ポツリと呟けば、鏡の中の自分が、寂しそうな顔をしていた。


 今のあかりの中に、俺はいるの?

 その心に、まだ俺への恋ごころは残ってる?


 もう一度会えば、答えがでる気がした。


 3ヶ月間避けられていたとしても、まだ、その心に、俺への想いが残っているなら


 きっともう、迷うことはないと思ったから──

 


 ◇


 ◇


 ◇



 久しぶりに、浴衣を着た。

 

 最後に着たのは、あや姉が生きていた頃。


 あの頃までは、よく浴衣を着て、みんなで夏祭りに行っていた。


 そして、そこには、仲睦まじい、あや姉と蒼一郎さんの姿があった。


 よく食べるあや姉を見て、蒼一郎さんは幸せそうに笑っていた。


 だから、想像もしていなかった。


 あんなに明るかった、あや姉が、亡くなってしまうなんて──…


 *

 

「はい、終わり」


 着付けを終えると、母の稜子が声をかけた。


 黒地に桜柄の浴衣を着たあかりは、とても大人っぽく変身していた。

 

 長い髪を編み込み、清楚にまとめあげた装いは、とても奥ゆかしく品がある。

 

 一方、弟の理久は、浴衣ではなく、甚平を着ていた。これは、甚平の方が楽だからと、理久が自分で選んだからだ。


「姉ちゃんの浴衣姿、久しぶりに見た」


「そうね。とても似合ってる。それに、大学生になってから、あかりは、一気に大人っぽくなった気がするわね」


「そ、そうかな?」


 母と弟の言葉に、あかりが頬を赤らめた。

 

 前に、蒼一郎にも『綺麗になった』と言われたが、少しは垢抜あかぬけて来たのだろうか?


「都会に染まっちまったんだな、姉ちゃんも!」


「な、なによそれ。別に染まったわけじゃないし、それに、桜聖市は、そこまで都会じゃないと思う」


「えー、でもかがり町よりは都会じゃん!」


「あっちが、田舎すぎるだけでしょ?」


「ふふ、二人とも相変わらずね」


 すると、母の稜子が、懐かしむように目を細め


「いくつになっても喧嘩ばかりで、仲良し姉弟は健在ね。でも、あかりも、半年後には二十歳になるのよね? もうすぐ、大人だなんて信じられないわ」


「大人……?」


 母の言葉に、あかりは、ハッとする。


 確かに、来年は二十歳だ。

 でも、大人と言われると、なんだか不思議な感じがした。


 早く、大人になりたかった。

 

 家族に心配をかけなくてすむように、一人で生きていける立派な大人に──


 でも、私は、ちゃんと大人になれてるの?


「なんか、姉ちゃんは大人って感じしないよなー。すげー頼りないし!」


「な!?」


 すると、理久がズバリと言い放ち、あかりは打ちひしがれた。

 

 確かに頼りないかもしれないが、そんなに、ハッキリ言わなくても!?


「ちょっと! 私、一人暮らしもできてるし、バイトだって始めたのよ!」


「でも、なんか、危なっかしいじゃん、姉ちゃんて」


「そ、そんなことは……て! なんで、小学生の理久に、そんなこといわれなきゃいけないのよ!?」


「えー、だって、姉ちゃん、隣の人にも付きまとわられてたしさ! あれ、どうなったの? 本当にもう大丈?」


「……っ」


 だが、その瞬間、あかりは息を詰めた。

 

 大野さんのことは、家族には『大丈夫だ』と伝えていた。

 

 だが、その後も、まだ諦めてはいなかったらしく、できるなら、今すぐにでも引っ越したいくらいだった。


 でも、そんなことをいえば、また心配をかけてしまう。


「だ、大丈夫。ごくごく普通の、ご近所付き合いを続けてます!」


 なんの問題もない──そうあかりが伝えれば、母と弟は、どこか安心したように笑った。


「そっか、良かった。女の子の一人暮らしは、危険なことも多いし」


「そうだよ! 姉ちゃんに何かあったら、父さんが泣くぞ」


「わ、わかってるわよ! でも、危機管理能力は、かなりある方だし、ご心配なく!」


 あかりは、心配かけまいと、強く反論する。


 だが、それと同時に思い出したのは、飛鳥のことだった。


 ずっと、守ってくれていた。

 恋人のフリをしながら──…


 だから、これまで大丈夫だったのは、全部、彼のおかげだ。


 でも、これからは、自分一人で、何とかしなきゃいけない。


(……しっかりしなきゃ。一人で生きていくって決めたんだから)

 

 そう、一人で生きていくと決めた。

 だから、自立した大人になりたい。


 それなのに、どうして、恋をしてしまったのだろう?


 この恋は、あかりにとって、予想外のことだった。


 そして、その恋のせいで、今、とてつもなく苦しい。


 『嫌い』と嘘をついたことも。

 彼からのメッセージを無視し続けたことも。


 そして、なにより、が、こんなにも苦しい。


 まるで、全身がバラバラに、引き裂かれてしまったかのように、ずっとずっと、激しい痛みを発してる。


(失恋って、こんなに辛いのね……っ)


 鏡を見つめれば、浴衣姿の自分が映っていた。


 綺麗に着飾って、祭りを堪能する陽気な姿。

 それなのに、その表情は、どこか寂しそうだった。


(……ちゃんと笑わなきゃ、家族が心配する)


 あかりは、口角をあげると、その悲しげな表情を無理やり変えた。


 いつもと同じように、ふわりと笑って、元気な姿を装う。


 だが、そんなあかりに理久が


「姉ちゃん。なんで、鏡見てニヤけてんの?」


「え!?」


 などと茶化してきて、あかりの顔は真っ赤になる。


「ちょっ、別にニヤけてないから!? ていうか、それじゃナルシストみたいじゃない!?」


「浴衣着たら、ナルシストにもなるよな」


「違うから! 別に私、自分に見惚れて、笑ってた訳じゃないから!」


 賑やかな姉弟の声が、室内に響く。

 そして、それは、普段と変わらない倉色家の姿だった。

 

 だが、その後、祭りに行こうと、三人が準備を始めた瞬間


 ──トゥルルルル


 と、突然、着信音が鳴り響いた。





https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16817330663515281552

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