第268話 友情と信頼

 不意に服を引っ張られて、隆臣は足を止めれば、飛鳥は、ただ無言のまま、隆臣の服を掴んでいた。


「……何してんだ、お前」


「え?  あ……」


 隆臣に声をかけられ、そこで初めて、飛鳥は自分の行動に気づいたらしい。掴んでいた服からパッと手を離した。


「えっと、帰るよね。ごめん、こんな時間まで……ありがとう。バイバイ!」


 そう言って、小さく手を振る飛鳥を見て、隆臣は目を細める。


「お前、帰ってほしくないなら『帰らないで』って言えよ」


「なに、その別れ際の恋人みたいなセリフ」


 本当に、これが可愛い彼女から引き止められたら、どんなに良かったことか。


 だが、残念ながら、可愛い男からされても、なんのトキメキもおきなかった。


「別に、帰って欲しくないなんて思ってないよ! 今のは、ただ……」


「………」


「た、ただ……?」


 本当に無意識だったのか、飛鳥は引き止めた理由を必死に考えているようだった。


 人のことを、いつも振り回しているくせに、本当に飛鳥は、甘えるの下手なやつだと思う。


「たく……お前は、限界まで追い詰められなきゃ、素直に帰らないでも言えねーのかよ」


「っ……だから、なんで俺が帰って欲しくないみたいな話になってんの!」


「帰って欲しくないから、俺の服、掴んだんだろ」


「……っ」


 瞬間、飛鳥が口ごもった。

 それを見て、隆臣は小さく息をつくと


「お前、兄妹弟だけになるのが、んだろ」


「……っ」


「あの様子じゃ、エレナちゃん連れてくるの、華と蓮には伝えてなかったみたいだし……初対面同士の妹弟たちの間にたって話しなきゃいけないとなると、第三者がいてくれた方が、冷静でいられるもんな」


「………」


 違うか?──と、まるで心を見透かすような隆臣に、飛鳥は困惑する。


「うわ、怖い……隆ちゃん、エスパーかなんか?」


「ちげーよ。さっき華と蓮も似たようなこと言って、俺を引き止めてきたんだよ」


「え?」


「なんだかんだ、よく似てるよ、お前ら。考えることがそっくりだ」


「……そう……かな? 似てる、のかな……俺達」


 そう言って、少しだけ俯いた飛鳥は、驚いたような、だけど少しホッとしたような、そんな表情をしていた。


 散々『似てない』と言われ続けてきた兄妹弟だけど、隆臣からみれば、飛鳥と華と蓮は、本当によく似た兄妹弟だった。


 特に、家族を大事にするところは───


「いてほしいなら、ちゃんと言わなきゃ、マジで帰るぞ」


「……っ」


 隆臣が更に飛鳥をおい立てれば、飛鳥は隆臣を見上げたまま、キュッと唇をかみ締めた。


 少し意地悪な気はした。

 だけど──


「か……帰ら、ないで……くだ……さぃ」


 そう言って、少し悔しそうに、頬を染めながら、自分に頼み込む飛鳥を見ると、自然と頬がゆるんでしまう。


「あぁ、任せろ。最悪、お前達が仲違いして殴り合いになったとしとも、俺が止めてやる」


「いや! お前、どういう話し合い、想像してんの!?」


「な、殴り合い……っ」


「エレナ! こいつの話を間に受けなくていいから!」


 やたらと物騒な単語が聞こえてきて、怯えたエレナを落ちつかせながら、飛鳥が突っ込む。


「あのさ、隆ちゃん。小学生がいるんだから不安を煽るようなこと言わないでくれない。なるわけないだろ、そんなことに!」


「悪い悪い。でも、やたら暗い顔して帰ってくるから、どんだけヤベーな話なのかと思って……まぁ、例えどんな状況になったとしても、俺が仲裁に入ってやるよ。もう、昔みたいに逃げ出したりしねーから、安心しろ」


「……!」


 昔みたいに──そう言われて、ふと10年前のことを思い出した。


 あの頃、誘拐犯を相手に、成す術もなかった自分たち。だけど、あれから10年がたって、力もついて背も伸びて、お酒だって飲めるようになった。


 『大人』になったかといわれたら、全く自覚はない。


 それでも、あの時は飛鳥を一人残して逃げ出してしまったけど、今は、例えどんな状況になったとしても、絶対に逃げ出さず、そばにいてやると、隆臣は言いたいのだろう。


「ふ、はは……っ」


「?」


 すると、飛鳥がくすくすと笑いだした。こわばっていた表情が崩れて、いつもの穏やかな表情が戻る。


「隆ちゃんて、やっぱり頼りになるね」


 そう言って、微笑んだ飛鳥は


「ありがとう。正直、ここに帰ってくるの、かなり重くて。でも、隆ちゃんのおかげで、少し心が軽くなった」


 この先、どうなってしまうのかは、まだ分からないけれど


 それでも、今は、こうして自分を思ってくれる人がいることが、凄く嬉しかった。


「一応、聞くが……それは、俺が一緒に聞いてもいい話か?」


「……」


 すると、その隆臣の言葉に、飛鳥はゆっくりと目を閉じた。


 それを話してしまったら、この『友情という絆』だって、消えてなくなってしまうかもしれない。


 でも──…


「いいよ。……隆ちゃんは、俺の"親友"だから」


「……!」


 見惚れてしまいそうなほど、綺麗に笑って言った飛鳥に、隆臣は目を見開いた。


 なぜなら、それは、今までに一度だって、言われたことのない言葉だったから──…


「まぁ、かなり重い話になると思うけど、逃げずに聞いていってね?」


 すると、その後、またいつもの笑顔に戻って、からかい混じりにそう言った飛鳥は、エレナを連れて、リビングへと歩き出した。


 そんな飛鳥の後ろ姿を見つめながら


(っ……アイツ、今それを言うのは、反則だろ)


 不覚にも顔が赤くなって、相変わらず自分は、飛鳥のあの笑顔に弱いな──と、隆臣はつくづく思ったのだった。


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