第530話 覚悟と電話
握り返された手に、心がほんのり熱くなった。
音楽室から出る時に、半ば強引につないだ手は、階段を上る時とは違い、しっかりと握り返してくれた。
自分よりも、ほっそりとした女の子の手が、そっと寄り添うように自分の手を包み込む。
それは、とても満たされた瞬間で、いつまでもこうしていたいと思うくらい幸せだった。
(少しは、心を開いてくれたのかな?)
あかりを見つめながら、飛鳥が微笑む。
ずっと考えていた。
あかりが、なぜ、俺を拒むのか?
だけど、どれだけ考えても、明確な答えが出なかった。
だから、さっき伝えた言葉が、正解だったのかもわからない。
だけど、こうして手を握り返してくれたことを思えば、少しくらいは、心を開いてくれたのかもしれないと思った。
「……あの、神木さん」
「ん? なに?」
あかりが声をかけ、飛鳥が、そっと目を合わせた。
その優しい飛鳥の瞳は、とても落ち着いた色をしていて、あかりの心をほっとさせてくれる。
だが、安心しつつも、あかりは、ずっと迷っていた。
(話しても、いいのかな?)
もう、嘘はつきたくない。
これ以上、神木さんを悲しませたくない。
だけど、この話をするのは、あかり自身、とても覚悟が必要だった。
冷静に話せる自信がなかった。
彩音のことを思い出すと、とてもとても、苦しくなってしまうから──…
(やっぱり、ここで話すのは、やめた方がいいかな?)
ここは、お化け屋敷の中で、みんなと一緒に来た夏祭りの最中。
状況を考えると、今ではない気がした。
できるなら、二人っきりで、ゆっくり話をしたい。
誰にも、邪魔されない場所で──…
(『また、うちに来てください』と言ったら、神木さん、来てくれるかな?)
話をするなら、家に呼ぶのが一番いいと思った。
二人っきりだし、誰もいないし、ゆっくり話せる。
だけど、それが最適だと考えつつも、二人っきりになるのか思うと、急激に恥ずかしくなるのは、なぜなのか?
いや、なぜって、理由はよく分かっている。
よくよく考えてみれば、これまでとは状況が、全く違うのだ。
今までは、両想いではなかったが、今は、お互いに両思いだと自覚しているのだから──…
(ど、どうしよう……両想いだってバレてるこの状況で『家に来てください』なんて言ったら、変な期待を持たせたりとか…するのかな?)
どんなに綺麗でも、相手は男の人で、それは、今繋がっている手が、しっかり証明していた。
だからか、同じ状況でも、友達といて家に呼んだ時とは、違う緊張感が漂ってくる。
「あかり?」
「……!」
瞬間、飛鳥が声をかけ、あかりは瞠目する。
きっと、声をかけたにもかかわらず、ずっと黙り込んでいたからだろう。
飛鳥は、心配そうにあかりを見つめていて、このまま悩んでいるわけにもいかないなと、あかりは、とりあえず、別の話を投げかけることにした。
「あの……いくつか、聞きたいことがあるんですが」
「聞きたいこと? うん。いいよ。なんでも聞いて」
そういって、飛鳥が快く応じる。
どうやら、この三ヶ月の間に、あかりはあかりで、聞きたいことが、増えていたらしい。
すると、あかりは、少々、遠慮がちに
「どうして、電話に出てくれたんですか?」
「電話?」
そう言われ、飛鳥は、ふと先ほどのことを思い出す。
きっと、あれだろう。
エレナが迷子になり、探しに出た後、あかりが、華とエレナの居場所を電話で知らせてくれた。
だが、どうして?といわれても──
「出ないわけがないだろ。俺が、あかりの電話に」
キッパリと、自信満々に答えた飛鳥は、一切の迷いがなかった。
なにより、あの状況だ。出ないなんて選択肢、ひとかけらすら浮かばなかった。
それに、飛鳥にとって、あの電話は、あかりの心の中を、映し出すようでもあった。
三ヶ月も既読スルーを続けておきながら、あの時だけは、自分の意地を通さず、電話をかけてくれた。
それは、あかりにとって、華とエレナが、とても大切な存在なのだと伝わるもので、飛鳥にとっては、それは、とても嬉しいことでもあった。
「むしろ、お礼を言いたいくらいだったよ。ありがとう、俺に電話をかけてくれて。おかげで、華とエレナを助けられたよ。全部、あかりのおかげだ」
「……っ」
そういって、優しく微笑む姿は、とてもお兄ちゃんらしいもので、あかりへの感謝が、嘘偽りない本心だという事が伝わってくる。
だけど、あかりの方は、それでも納得できず……
「でも、私は、あなたの電話に出なかったのに……っ」
「え?」
再び、電話といわれ、飛鳥は首を傾げた。
(なんのはなしだ?)
だが、その後、すぐにピンと来た。
あかりとの電話で、思い当たることがあるとすれば、二週間ほど前の話だろう。
飛鳥は、侑斗と一緒にお酒を飲んでいた時、なにを思ったか、深夜11過ぎに、突然あかりに電話をかけたのだ。
スマホが目に付いた瞬間、無意識に、あかりにかけていた。
酔いが回った思考で、ただただ、好きな人を求めた電話。
だが、その電話に、あかりは出てくれなかった。
そして、それは、とてもショックなことで、その後、父に慰められたのを、おぼろげに覚えている。
「もしかして、あれ? 夜にかけた……ごめんね。あんな時間に電話して」
「いえ、それは別にいいんです。ただ、なんの電話だったのかなって」
「うーん? 何って言われても、困るかな?」
「え?」
「酔っ払ってかけちゃっただけだよ」
「!?」
それは、あまりにも予想外の解答で、あかりは困惑する。
「よ、酔っ払って、かけただけ?」
「うん。なんか、ふらふら~と」
「ふらふらーって……本当に、それだけですか?」
「うん。そうだよ。あかりの声を聞きたくなっただけ」
「……っ」
そう言った飛鳥は『だから、何かあったわけじゃないよ?』と、いつもの調子で笑って、あかりは胸は、ほんのり熱くなった。
なにより、あかりは、あの時、電話に出なかったことを、ずっと気にしていた。
何かあったんじゃないか?
大丈夫だっただろうか?
今日、ここで会うまでの間、ずっとずっと、心配していた。
だから、酔ってかけただけだとわかり、とても安心とした。
「もしかして、心配してた?」
「……っ」
すると、そんなあかりを見て、飛鳥が茶化すように話しかけてきた。
あんなに前のことを、今、ここで持ち出されると、飛鳥は思っていなかった。
あかりにとっては、そんな気になることだったのだろうか?
でも、そこまで、気にかけてくれたことが嬉しくもあった。
そして、いつもなら『心配なんかしてない』と、あかりは嘘をつくところだった。
でも──
「心配、してました……ごめんなさい……私、いつでも、話を聞くと……約束したてたのに……っ」
それは、あかりの素直な気持ちだった。
決して嘘をつくことなく、吐露した純粋な想い。
そして、その言葉を聞いて、飛鳥の心拍も、伝播するように上昇すしていく。
(ずっと、気にしてたのかな?)
ただ、電話に出なかっただけで?
そこまで、自分を、大切に思っていてくれたのだろうか?
それに、もう嘘をつく気がなくなったのか?
素直な感情を伝えてくるあかりに、飛鳥は、ほっとしていた。
どうか、このまま心を開いてほしい。
何もかも、委ねてほしい。
ずっと、頼りないところばかり見せてきたからこそ、あかりに頼られたい。
あかりが頼りたいと、思えるような男になりたい──
「謝らなくていいよ。全く気にしてないから」
こんな風に伝えても、あかりは、気にしてしまうのかもしれないけど、少しでも、その心を楽にしてあげたかった。
もっと、あかりが、素直になれるように。
俺との未来を選びたいと思えるように──…
「そうだ。あかりの誕生日、猫の日だったよね?」
「え?」
「2月22日。覚えやすくていいね」
瞬間、ぱっと話題を変えた、飛鳥は、明るい話を投げかけた。
あかりの誕生日を知ったのは、大野さんの前で、恋人のフリをする時に、映画(ニャンピース)を見にいくという話になった時だ。
あかりが、何気なく話した「猫の日が誕生日」という言葉を、飛鳥はしっかり覚えていた。
「今年は、一緒にいてあげられなかったけど、来年は一緒にお祝いしよう」
「え?」
「20歳の誕生日は、俺が先に予約しとく。だから、一緒にお酒でも飲みながら、お祝いしよ?」
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