6. 「告白」編

第537話 選択と母親


『倉色さーん! 本当にすみませんでした!』


 午後7時48分──あかりに家で、仕事をしていた倉色くらしき 陵子りょうこは、スマホで電話をしながら、パソコンの電源を切っていた。


 夕方、突然、職場からトラブル発生の電話が入った。


 なんでも、月曜日に提出する企画書のデータを、謝って削除してしまったらしい。


 しかも、データを復元できないかと、あれこれ試したが、それもうまくいかず、結局、作り直すことになってしまった。


 そして、数人がかりで企画書を作成し、先ほど、やっと完成したところだった。


「いいのよ。無事に完成してよかったわ。それに、困った時は、遠慮なく電話して」


『ありがとうございます。相談できそうな人、倉色さんくらいだったから、本当に助かりました。でも、せっかくのお休みの日に、こんな電話をしてしまって……夏祭り、間に合いそうですか?』


「大丈夫よ。まだ8時だし、花火が上がるのはこれからよ」


 明るく返事をし、失敗した部下を励ました後、稜子は電話を切った。


 そして、窓の外を見て、我が子たちのことを考える。


(あかりたちは、大丈夫かしら?)


 トラブルが発生したため、稜子は、あかりのパソコンを借りて仕事をし、夏祭りには、子供達だけで送り出した。


 せっかく浴衣を着付けたのに、祭りを楽しめないのは、可哀想だと思ったからだ。


 それに、あかりは、もう大学生だし、理久も小学生とはいえ、とてもしっかりしている。


 それに、何かあったら、連絡してくるだろう。


 だが、特に心配することはないと思っていたが、さすがに8時を前にすると、少々、心配になってくる。


「さて、私も追いかけなくちゃ」

 

 祭りは、近くの神社で行われていた。

 

 稜子は、スマホでマップを開き、さかき神社の位置を確認する。


 あかりのアパートから神社までは、歩いて15分ほど。そう遠くはないし、迷いそうな道のりでもなかった。


(8時すぎにはつきそうね)


 その後、一応、連絡をしておこうと、稜子は、あかりに電話をかけた。


 長いコール音に耳を傾け、娘が電話に出るのを待つ。


 だが、何度コールを鳴らしても、あかりが電話に出ることはなく


(出ない……聞こえてないのかしら?)


 あかりは、片耳が不自由だった。


 だから、人が多い場所や騒がしい場所では、電話の音に気づけないことがあった。


 そして、幼少期、あかりに障がいがあることが発覚した時は、ひどく自分を責めたものだった。


 夫の母親や妹が難聴だと聞いてはいたが、自分の娘にまで、それが遺伝するとは思っていなかった。


 それに、難聴に気づいたのが、4歳のころだったこともあり、もっと早くに気づけていたら、治る可能性もあったのだろうか?と、色々考えたものだった。


 でも、気に病む私に、あかりは、いつも笑って


『片方聞こえてるし、全く問題ないよ。大丈夫』


 そんなふうに、特に気にしてないとでもいうように、明るく笑ってくれた。


 だから、あかりが一人暮らしをしたいと言い出した時、あかりから、出たのは衝撃的だった。


『私は、障がいのある子は産みたくない』


 あれは、障がいのある子への偏見の言葉ではなく、自分の障がいを、我が子に受け継がせたくないという意思の表れ。


 大丈夫と笑いながら、本当は、大丈夫じゃなかった。

 

 あれは、親である私を、安心させるためだけに言っていた言葉。


 あの言葉は、あかりがこれまで生きてきた中で、見たきたモノ、感じとってきたモノに対する、心の悲鳴だったのかもしれない。


 そして『産みたくない』というよりは『産んではいけない』と判断したあかりは、一人の道を選んだ。


 恋もせず、結婚もせず、子供も持たないという、一人きりの人生を──


(障がいなく、普通に産んであげられたら、よかった……)

  

 我が子に、そんな選択をさせてしまった。


 未来を諦める選択を──

 

 でも、今更、何ができるだろう。


 難聴は治らない。


 気軽に、大丈夫だなんていえない。


 障がいのない私が言ったところで、その言葉には、なんの重みもない。

 

 だから、私はあかりの決断を、見守ることしかできない。


 それでも、ただ一つだけ言えるとしたら

 

 たとえ、障がいがあったとしても


 我が子は、だということだけだ。


 でも、それだって、絶対とはいえない。


 障がいのある子が生まれたことで、離婚する夫婦だっているのだから……


 トゥルルルル……


 コール音は、未だに止まず、あかりはでてくてなかった。稜子は、じぶじぶ電話を切ると、代わりにメッセージを送った。


【仕事終わったから、今から行くね】


 普段と変わらないトーンのメッセージ。


 そのうち見るだろうと、稜子はスマホをバッグにしまい込むと、その後、出かける準備を始めた。


 部屋の電気を消して、玄関に出る。

 

 すると稜子は、あかりから預かった合鍵を使って、鍵をかけた。

  

「こんばんは」


「?」


 だが、その瞬間、アパートの廊下で誰かに声をかけられた。


 スーツ姿の若い男性だ。


 そして、その男性は、あかりの隣で暮らす住人──大野だった。

 

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神木さんちのお兄ちゃん! 雪桜 @yukizakuraxxx

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