第536話 彩音とあかり
『ちょっと話したいことがあるんだけど、今から、うちに来ない?』
その瞬間、あの日のことが、鮮明によみがえった。
雪解けの交差点。
最後に話した、あや姉との会話。
あの日、話したいことがあると言われたのに、私は塾があるといって、あや姉の話を聞かなかった。
なにか、おかしいなって、思っていたはずなのに。
信号が、青から赤に変わるを見つめながら、私は、あや姉を見送った。
大丈夫と笑っていたから、大丈夫だと思っていた。
でも、その日の夜、あや姉は
【あかり、嘘ついてゴメン】
そんなメッセージを、一つだけ残して
──自殺した。
「ぅ……、あ……ッ」
廊下の先に立つ人影を見た瞬間、喉が、きゅっと締め上げられる感覚があった。
まるで、首でも絞められてるみたいに。
息が苦しい。
声が出せない。
呼吸も脈拍も、なにもかもが正常に機能しなくなって、あかりは、真っ青になった。
身体が、ガタガタと震える。
心臓が、握りつぶされたように、痛い。
目の前には、彩音がいた。
血だらけになって苦しんでる、あや姉の姿があった。
そして、その瞬間、学校の廊下だった風景が、瞬く間に、浴室の中に切り替わる。
打ち付けるシャワーの音が聞こえる。
血の匂いが充満して、気持ち悪い。
浴槽は、血だらけで
蒼一郎さんからプレゼントされて、お気に入りだと言っていた、あや姉の白いセーターを、真っ赤に染めていた。
なんで?
どうして?
昨日まで、生きてた。
会話をしていた。
大好きで
大切で
私の目標だった
幸せになってほしかった
なると思っていた
いつまでも
あの優しい笑顔をうかべて
生きていてくれると思ってた
それなのに、どうして──?
どうして??
うんん、理由ならわかってる
私だ。
私のせいだ。
私が、話を聞かなかったから。
あの日、話したいことがあるって言われたのに、私は塾にいった。
突き放した。
あや姉を──
聞いてほしかったよね?
吐き出したかったよね?
苦しくて
悲しくて
どうしようもなくて
誰かに
私に
聞いてほしかった
助けてほしかった
それなのに
私が
私が、悪い。
全部、私のせい
わたし
私が
引き金を引いた
追い打ちをかけた
わたしのせい
わたしのせい
ワタシノセイ
わたしが、あや姉を
大好きな人を──殺した。
「あかり!!」
「……ッ」
瞬間、飛鳥の声が響いて、あかりは、現実に引き戻された。
恐怖から、倒れそうになった体を、飛鳥が抱きとめてくれたのだとわかった。
触れたぬくもりが、あまりにも優しくて、飲み込まれそうになる心が、一瞬だけ安堵に包まれる。
だけど、その温もりに安心すればするほど、大きな罪悪感に苛まれた。
『アカリハ、幸セニナルノ?』
あや姉の、声が聞こえる。
『私ハ、幸二、ナレナカッタノニ、アカリハ、幸セニナロウトシテルノ?』
私を責める、あや姉の声。
『許サナイ』
『許セナイ』
『見ステタ』
『突キ放シタ』
『聞イテホシカッタノニ』
『ドウシテ?』
『イタイ』
『カナシイ』
『ユルセナイ』
『ユルセナイ』
『ユルサナイ』
『ユルサナイ』
アカリガ、シアワセニナルノダケハ
ゼッタイ二
────ユルサナイ。
「ごめん…な…さぃ……っ」
飛鳥の腕の中で、あかりは、弱々しく呟く。
「ごめん…なさい……ごめんな…さい……ごめんなさぃ……っ」
まるで、壊れたおもちゃみたいに、何度も呟くあかりは、目に涙をためながら震えていた。
怯える身体を、飛鳥が強く抱きしめても、あかりの懺悔が止まることはなく
「ごめん…なさ、い……ごめん、な…さい……ごめん、なさぃ……っ」
そして、謝って謝って、あやまりつくしたあと、あかりは、飛鳥の浴衣をきつく握りしめた。
ごめんなさい
ごめんなさい
もう、傷つけないって決めたのに
私はまた、あなたを傷つけてしまう。
「ごめん、なさい……やっぱり、私じゃ、ダメです…ッ」
必死に紡いだ言葉には、苦しさが滲んでいた。
もう、心が壊れそうだ。
いや、いっそ壊れてしまえば、楽になれるのかもしれない。
でも、そう都合よくはいかなくて、あかりは、苦しみに耐えながら、また飛鳥を拒絶する。
「ごめんなさい……ごめん、なさい……私じゃ、ダメなんです……私は、あなたには……ふさわしくない」
ふさわしくない。
こんな人間。
許されない。
許せない。
だって、私は──
「私は、人を……殺したことがあるから…ッ」
その言葉は、飛鳥の耳にもはっきり届いた。
耳を疑うような言葉。
決して、聞き流すことができない言葉。
そして、飛鳥の力が微かに緩んだ瞬間、あかりは、最後の別れを覚悟する。
ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい
約束を守れなかった。
何度もなんども、傷つけてしまって
本当に、ごめんなさい。
でも、こればかりは、さすがのあなたも、受け入れられないでしょう?
どんな形であれ、私は人を殺した。
こんな私に、幸せになる資格なんてない。
あなたに、愛されていい人間じゃない。
ユルセナイ
ユルセナイ
ユルサナイ
私は、あの日の自分を
絶対に──許さない。
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❅ あとがき ❅
https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16818093091223564155
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