第235話 「好き」 と『好き』


 その後、飛鳥が帰って暫くたったあと、あかりはアパートに帰りついた。


 少し薄暗い中、アパートの階段を上り、あかりは、そのまま自分の家へと進む。


「あかりちゃん!」

「?」


 するとその瞬間、背後から声をかけられた。


 誰だろうと、あかりが振り向けば、どうやら仕事帰りなのか、隣に住む大野が、スーツ姿で話しかけてきた。


「こんばんは! 今、帰り?」


「あ、はい」


 声をかけられ、あかりはいつも通り、にこやかに言葉を返す。すると、それから、少しだけ会話をしたあと


「そう言えばさ。最近、神木くんとは、上手くいってるの?」


「え?」


 冗談混じりに。だが、思わぬことを問いかけられ、あかりは目を丸くする。


 そう、大野は今、あかりと飛鳥がと思っていた。


 つまり『上手くいってるの?』とは『恋人』として上手くいってるのかを問いているのだろう。


(そう言えば……大野さん、まだ私のこと諦めてないって、神木さん言ってたっけ)


 夏祭りの日、飛鳥がそう言っていたのを思い出し、あかりは表情を曇らせた。


 もし、その話が本当なら、こうして話をするのも、少し怖いとすら感じてしまう。


「最近、神木くんが来てるの見ないけど、もしかして別れたとか?」


「え? ぁ、いえ、別れてませんので、ご心配なく!」


 すると、更なる大野の言葉に、あかりは慌てて返した。


 前に、飛鳥に忠告されたとおり、あくまでも付き合っているつもりで話すが、大野は、そんなあかりに、更に詰め寄ると


「でもさ~。正直、神木くんみたいな子と付き合うのって大変じゃない?」


「え? 大変?」


「だってほら! あの顔なら、かなりモテるでしょ? 夏祭りの時も、女の子たくさんはべらせて遊んでたしさー」


 それはまるで、仲違いでもさせようとしているのか?

 大野は、次々と、飛鳥に対して不安をあおるようなことを吹き込んでくる。


「それに、大学で内緒にしてるのも変じゃない? 本当にあかりちゃんのため? 正直、フリーだと思われてるなら、浮気しようと思えば、いつでも出来そうだしさ。あかりちゃん、騙されてたりしてない? もし浮気されたり、困ったことがあったら、俺いつでも相談に」


「そう言うのやめてくれませんか?」


「え?」


 だが、その後、あかりから、ひどく冷たい声が返ってきて、大野は目を見開く。


「あ、あかりちゃん?」


「私のことを心配してくれるのは、ありがたいですが、そうやって見た目や憶測だけで、勝手に彼のこと判断しないでください。神……飛鳥さんは、そういう人じゃありませんから」


「……っ」


 どこか不機嫌そうに眉をひそめるあかり。それを見て、大野は言葉をつまらせる。


 そして、さすがにまずいと思ったらしい。

 あたふたと弁解しはじめた。


「あ、あの! ごめんね! 俺はただ、あかりちゃんが心配で! でも、そうだよね! 彼氏の悪口なんて、聞きたくはないよね!」


「………」


 その後、謝り倒す大野。

 だが、あかりは、大野をみつめながら、ふと自分の感情ふりかえる。


 なぜだろう。


 神木さんのことを悪く言われて、なんだかすごく頭にきた。


 確かに見た目は派手だし、凄くモテる人だと思う。


 だけど、本当に女の子をはべらせて遊んでいるような人なら、あの日、自分を抱きしめたくらいで、あんなに顔を赤くして動揺することはないと思った。


 でも……


(……なに、ムキになってるの?)


 はっきりいって、自分だって人のことは言えないのだ。自分も、彼の見た目や噂から、勝手に判断していた時があった。


 大学の人気者で

 常に人の輪の中心にいるような人で


 いつも笑って飄々としていて

 悩みなんて、一切ないような人


 そう、思ってた。


 だけど、何度か会って話をするうちに、少しずつ、彼のことが分かってきた。


 優しい人だと思った。

 誠実な人だと思った。


 始めは喧嘩をしたり、ギクシャクした時もあったけど、それでも彼の側は、不思議と安心できて──…



「あかりちゃんも、神木くんのことが『好き』なんだね」


「……え?」


 瞬間、放たれた言葉に、あかりは再び目を見開く。


「参ったな……ホント、相思相愛って感じで! あ、あの、さっき言ったことは、気にしないで! 俺もう部屋はいるから! じゃぁね!」


 そう言って手を振ると、大野は逃げるように自分の家に入っていって、あかりは、誰もいなくなった廊下で、暫く立ち尽くした。


 だが、その後、自分の家へ入った、あかりは……


「相思……相愛?」


 扉を閉め、鍵をかけたあと小さく呟く。


 あくまでもで、そう思われているなら、別に悪いことじゃないはずだった。


 だけど、その言葉はなぜか、あかりの心に深く突き刺さった。


「……?」


 そして、その瞬間、ふと視線を落とした先で、ポストの中に何か入っているが見えた。


 中腰になり、その中を覗き込むと、そこには、昨日、華にあげたはずのショッピングバッグが入っていた。


(あれ? これ、確か華ちゃんに)


 あげたはずだったものが、何故かここにある。


 すると、ふと「兄に頼めば、返せる」と華が言っていたのを思い出した。


「神木さんが……返しに来たんだ」


 再度ポストの中を見ると、ショッピングバッグのほかに、ラッピングされたお菓子と手紙のようなものも入っていた。


 あかりは、玄関の明かりをつけると、その場に立ち尽くしたまま、手紙の内容を確認する。


 するとその手紙には、控えめながらもとても整った字で、こう書かれていた。



✤──────────────────✤


    うちの妹が、世話になったみたいで

    華のこと助けてくれて、ありがとう      

                                                         

    あと、この前は急に抱きしめたりして  

    ごめんなさい。                                

    お礼というか、お詫びというか          

    お菓子、良かったら食べてください。     


                                    神木 飛鳥          


✤──────────────────✤



 お詫び──そう書かれた手紙をみつめ、あかりはキョトンと首をかしげる。


 いつもとは違う、どこか改まった内容。


 普段は呼び捨てだし、敬語なんて全く使わないくせに、珍しく「ごめんなさい」などと書かれているのが、なんだか、すぐったかった。


「まだ、気にしてたんだ……」


 そして、その文面に、あかりが、くすりと微笑む。


 あの時も謝ってくれたのに、わざわざお菓子まで買ってきてくれるなんて、相変わらず、律儀な人だと思った。


 確かに、あの時は、突然抱きしめられて驚いた。

 だけど、不思議と、嫌ではなくて──




『あかりちゃんも、神木くんのこと好きなんだね』




「……っ」


 だが、その瞬間、先程の大野の言葉が蘇り、あかりは手にした手紙をきつく握りしめた。


「違う……っ」


 違う、違う、違う。


「私の好きは、そういう『好き』じゃ……っ」


 これは、あくまでも『友達』としてで、さっき頭にきたのも、ただ友達を悪く言われて、嫌な気分になっただけ。


 それ以上の『感情』なんて、なにもない。


 はずなのに……



「神木さんて、どうしてこんなに……優しいんだろう……っ」


 その雰囲気に、その優しさに、つい甘えてしまいそうになる。でも……


「お願いですから……あまり優しくしないでくださいね……私、あなたとは、この先もずっと、お友達のままでいたいから──」



 やっと、前に進めた。

 やっと、ここまで立ち直れた。


 一人で、生きていきたい私にとって


 その『感情』は

 邪魔なものでしかないから──


 だから、どうかこれ以上

 優しくなんてしないでほしい。


 この先、私があなたのことを









 『好き』になることがないように──…







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