第118話 偏愛と崩壊のカタルシス④ ~日常~


 幼稚園を辞めさせられ、部屋に閉じ込められてから、早3ヶ月がたち、季節は秋を迎えていた。


 この頃になると、もう諦めもついていて、部屋から出してほしいと泣きわめくこともなくなった。


 母は、基本いつも家にいた。


 閉じ込めているからといって、俺一人おいて出掛けることは一切なく、扉を叩き、呼べば来てはくれた。


 ただ、部屋からでられるのは、トイレや食事の時など正当な理由があるときだけで、その食事も、体重管理されるのはもちろんだけど、肌が荒れるのもよくないからと色々と制限を強いられた気がする。


 お菓子なんて食べた日には、夕飯をぬかされて、お腹がすいて眠れないときもあった気がする。


「飛鳥、ここ間違ってるわよ」


「うん……」


 そして、閉じ込められているからといって、一切、なにもしていないわけではなかった。


 幼稚園にいかない代わりに、まだ3歳だったけど、文字の読み書きや、その他の教養をみっちり母に仕込まれた。


 特に、モデルの仕事をして、大人の世界で働く以上、相手に失礼なことがないようにと、言葉遣いや礼儀作法には、かなり厳しかった気がする。


 ──バンッ!!!


「飛鳥! なんど言ったら、わかるの!?」

「ッ!?」


 そして母は、怒るととても怖かった。


 机を叩き、母が怒りに任せに手をふりあげる。


 だけど、叩かれることは決してない。


 モデルにとって、綺麗な顔と傷のない体がなによりも大切だと、母は口癖のように言っていたから。


 でも、それが余計に、自分の"存在価値"は、ソレしかないのだと、言われているような気がして、母が愛しているのは「俺」ではなく、俺の「容姿」だけなのだと言われているような気がして


 ──とてもとても、辛かった。





 ガシャン!パリーン!


 そして、叩かれない俺のかわりに、近くある食器や物はよく壊れた。


 俺や父に向けられた怒りの捌け口が、全て物にあたることで解消されていた。


 だけど、それを目にする度に、いつか自分もあの食器のようになってしまうのではないか?


 そう考えると、ひどく身体が震えて


「っ、ごめ……ッ、ごめんな、さッ」


 泣きながら、謝り続けることしかできなかった。


 そして、誰にも助けを求められず、たった一人だった俺に、できることは


(はや……く。はやく、おさまって……っ)


 部屋のすみで、頭を抱えうずくまり、母の癇癪が治まるまで、ただただ耐える。


 そして、それが




 「日常」だった。





 ◆




「飛鳥くん、目線こっちね~」


 だけど、そんな日々をすごしていても、スタジオにいくと俺はとにかく笑顔だった。


「飛鳥くん、今日もいいねー」

「ありがとうございます♪」


 モデルの仕事をはじめて8ヶ月が経ち、4歳を間近に控えた頃には、大人の顔色をうかがうのも大分うまくなっていた。


 カメラマンに声をかけられれば、愛嬌をふりまいて、どんな指示を受けても笑顔で返事をし、ミスひとつなく仕事をこなす。


 言われたことには忠実に従うし、挨拶だって欠かさないし、どんな時でも笑顔で、わがままなんて絶対言わない。


 なんて、扱いやすい子供だろう。


 だからか──


「飛鳥くん。本当しっかりしてますね~」


「まだ3歳とは思えないほど、お利口さんで!」


「こんなに可愛い上に、お行儀もいいなんて、将来が楽しみですね~」


 ──なんて、よく言われた。


 子供らしくない子供。


 母から教わったそれを忠実にこなすだけで、いつしか周りの大人たちも、俺を子供扱いしなくなった。


 そうするうちに、この容姿に、その出来の良さを買われてか、仕事はどんどん増えていった。


 ◆


「飛鳥くん! 次は、こっちの衣装ねー」


「はい!」


 だけど俺は、別にモデルの仕事が楽しくて、笑っているわけではなかった。


 どんなに成果を出しても、どんなに褒められても。充実感なんて得られた試しもない。


 俺がモデルの仕事を完璧にこなすのは、ただひとつ。


「母」が満足する「結果」をだすためだけ。


 ただそれだけのために、笑い続けた。


 どんなに嫌でも

 どんなに辛くても

 どんなに泣きたくても


 必死に笑って、最高の笑顔を作る。


 いや、そうしなくては、ならなかった。


 仕事中は、常に視線を感じてた。


 母の刺さるような視線。

 ミスなんて絶対許されない。


 だからこそ、母に怒られないように。


 母の機嫌を損ねないように。


 ただそれだけを考えて、仕事をした。



 ◆◆◆



 そして、そんな生活を続けていたある日。ついに父と母の離婚が決定した。


 俺が4歳になって暫くたったころ、寒い1月下旬のことだった。


 モデルになってから、父の顔はほとんどみていなかった。


 だけどその日は、母が体調を崩ずして部屋で寝ていて、俺の部屋には珍しく鍵がかけられていなくて、そんな時に、たまたま偶然


 ──父が帰ってきた。




 バタン──


 物音がして、父が帰ってきたのだと気づいて、俺は慌てて鍵がかけられていないドアを開けて、父のもとに走った。


 部屋からでて、その廊下の先に父が見えた。


 仕事の途中で寄ったのか、いつもの見慣れたスーツ姿の父は、リビングから出ると、すぐにまた玄関の方に向かって行った。


 その去っていく父の後ろ姿を追うように、俺は慌てて父のもとに駆け寄ると、俺に気づいたのか、玄関で靴を履いたあと、父が声をかけてきた。


「……飛鳥か?」


 久しぶり聞くその声に、ひどく安心した。


 もう、この人しかいないと思った。


 でも父は今にも玄関から出ていきそうで、俺はそんな父に、ゆっくりと手を伸ばすと──


「……ぉ、と……さっ」


 すがるように、父の服の袖を掴んだ。


 すると父は、そんな俺を見下ろし、申し訳なさそうな顔をする。


「飛鳥、父さんと母さん、離婚することになったんだ。だから、俺もう、この家には帰ってこないから」


「……っ、」


 帰ってこない。


 それを聞いて、父の服を掴む手に更に力を込めた。


 一緒に行きたい。


 できるなら、そう言いたかった。


 だけど、もし母が聞いていたら?


 そう考えたら、声が震えて、言葉が上手くでてこなくて……


「お……とぅ……───」


 行かないで……っ


 お願い、どうか



 俺を、置いてかないで───



「っ、……ぁ……ッ」



 祈るように手を伸ばして、連れていってと、言葉にならない声でうったえた。


 だけど


 ────パシッ


「ッ……!?」


 掴んだ手を強引に振りほどかれて、俺は父を見上げた。


「飛鳥……お前はもう、俺の子供じゃない」


 一瞬、なにを言われたのか、分からなかった。


 だけど、父は俺を真っ直ぐに見つめると


「だからもう、ここでサヨナラだ。ごめんな、飛鳥──」


「…………」


 振りほどかれた手が、すごく痛かった。


 バタンと締まる扉の音が、酷く耳に響いた。


 父にとっては自分は


 もう「いらない」存在なのだと思った。



「……お……とぅ……さ……?」


 ドサッと膝をつき

 力なく玄関に座り込むと


 赤くなった瞳からは、とめどなく涙があふれてきて


「……っ、ぅ……うぅ……ッわぁぁぁぁぁぁぁあああ……!」



 その後は


 ただただ、体の奥から叫ぶように



 声をあげて───泣いた。






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