第96話 出会いと後悔


(はぁ……怒らせちゃった)


 着替えを終え、鏡の前に座ったあかりは、腰近くまである長く髪をとかしながら、深くため息をついた。

 鏡に映る自分の顔は、なんとも気落ちした顔をしていた。なぜならあかりは、昨日飛鳥を怒らせてしまったから。


 もっと、言葉を考えるべきだった。そう、今更ながらに後悔しても遅いのだが、相手を不快にさせてしまったのも確かで、それは、あまり気持ちのよいものではなかった。


(……どうしよう)


 このまま疎遠になるなら、あかりにとっては、むしろありがたいことのはずだった。


 しかし──


(……ケンカ別れ、みたいなのは、なんか嫌だなぁ)


 相手を怒らせたまま謝らずにいるのは、どうにも後腐れが悪く、スッキリしない。


 あかりは、いつものようにサイドの髪を編み込みバレッタでハーフアップにすると、もう何度目のため息をつく。


『そんなに"大切な人"、増やしてどうすんの?』


 すると、ふとあの時の飛鳥の言葉を思い出し、あかりは、更にその表情を曇らせた。


「……エレナちゃん、大丈夫かな?」


 エレナとあかりが出会ったのは、あかりがこちらに引っ越してきた3月下旬のことだった。


 あかりが住むこの部屋のベランダからは、あの公園がよく見渡せる。そしてそれは、あかりが引っ越してきた翌日。昼頃、なにげなく外を見ると、公園のベンチに、エレナが一人座っているのが見えた。


 一際、目立つ少女だった。


 だが、引っ越しの翌日と言うこともあり、あかりも片付けや荷ほどきの作業で忙しかったからか、その後、気にとめることはなかった。


 だが、夕方また外をみると、エレナはそこに、たった一人座ったままだった。


 一人寂しそうに座るエレナの姿。それをみて、ほっとけなかったのは、あかりにも"同じ年の弟"がいたからかもしれない。

 あかりは、お節介とわかりつつも、エレナに声をかけにいった。



 ◇◇◇



「ねぇ、どこか具合悪いの?」

「……」


 あかりが声をかけると、エレナは一瞬あかりと目を合わせたあと、無表情で言葉を返してきた。


「いえ、別に……大丈夫です」

「……」


 警戒されていたのかもしれない。だけど、ずっと一人で、何時間もこの場所に──

 心配したあかりは、ベンチに座るエレナの前に、ゆっくりとしゃがみ込むと


「もうすぐ暗くなるよ? お家、帰らなくていいの?」

「……っ」


 その言葉に、エレナはキュッと唇を噛みしめた。すると、何か訳ありらしいことを察したあかりは、再度、エレナに優しく声をかける。


「私ね、昨日そこのアパートに引っ越ししてきたの。お昼から、ずっとここにいたよね? なにか、あったの?」


「……お姉ちゃん、引っ越してきたの?」


「うん、私、倉色くらしきあかりっていうの、お名前聞いてもいい?」


「………紺野……エレナ」


「エレナちゃんね……そうだ、クッキー食べる? ずっとここにいたし、お腹すいてるんじゃない?」


 そういうと、あかりはポケットから個包装されたクッキーをいくつか取り出した。だが


「ごめんなさい……私、お菓子とか食べちゃダメなの」


「え? あ。もしかして、アレルギーとかだった?」


「うんん。モデル目指してるから、食べるものとか色々制限されてるの」


「モデル?」


 エレナはその後、あかりに少しずつ自分のことを話し始めた。

 そして、しばらく話を聞いていると、次第に打ち解けてきたのか、エレナの表情に少しずつ笑顔が見え始める。


 だが──


「…ぅ……ひく……っぅ……」


 あかりがホッとした束の間、エレナは急に泣き出してしまった。溢れる涙は次々に溢れて、その後エレナは、しゃくりあげるように涙を流しつづけながら、モデルのことや学校のこと、そして、母親のことなど、あかりに泣きながら話はじめた。


 きっと、誰にも相談できず、ずっと一人で抱え込んできたのかもしれない。そして、それからは、時おりエレナと会って、話をするようになった。



 ◇◇◇



「"大切な人"が増えるのは……そんなに悪いことかな?」


 飛鳥の言葉を思い出し、あかりは鏡に映る自分と目を合わせる。


 確かにエレナとは、出会ったばかりだ。


 だが、エレナの話を聞いて、力になってあげたいと思ったのも、そして自分を姉のように慕うエレナを大切に思ってるのも、確かなこと。


 それに──


 ピンポーン!


「!」


 だが、その瞬間、突如インターフォンがなった。


 あかりは、慌ててドレッサーの前から立ち上がると、室内モニターで玄関先の人物を確認する。


 するとそこには、男性が一人立っていた。その相手にあかりは疑問を抱きつつも、玄関に移動すると、ガチャリと音を響かせて、玄関の扉を開ける。


「おはようございます、大野さん。あの……なにか?」

「おはよう、あかりちゃん」


 インターフォンを鳴らした相手は、あかりの隣に部屋に住むの大野さんだった。

 大野は、少し恥ずかしそうにはにかむと、あかりにむけ、ひとつ提案を投げ掛けてきた。


「あのさ、今日よかったら、お昼一緒にどうかな? 近くに、美味しいって評判の店があるんだけど、二人で行ってみない?」


「…………」


 突然のお誘いに、あかりは一瞬思考をとめる。だが、その提案の意図を察したのか、あかりは顔には出さないが、その心の中でひどく困惑し始めた。


「え? ぁ、その……すみません。今日は、 先約がありまして……っ」


「あ、そっか。突然こんなこと言って、ごめんね。迷惑だったかな?」


「あ、いえ……」


 突然のことに、当たり障りない断り文句しか浮かばなかった。

 だが、大野はもともと人柄のよい人で「いいよ、気にしないで!」と笑いながら手を振ると、あっさりと引き下がってくれた。


 あかりは、去っていく大野を見送り、玄関の戸を閉めると、その後ドアに寄りかかり


「なに、今の……っ」


 予想外の出来事に、あかりは酷く動揺した。


 あれは、明らかに"デート"のお誘いだろう。そういえば、最近よく声をかけられるとは思っていた。だが、まさか恋愛対象として見られていたとは、微塵も思わなかった。


(どうしよう。今日はなんとかなったけど、お隣さんだし……このまま、ずっと断り続けると、凄く気まずくなりそう……)


 大野は、決して悪い人ではない。

 むしろ、人当たりもよく、仕事だってまじめにしているようだったし、おまけに見た目もイケメンと言われる部類の人だろう。


 そんな、優しくてイケメンなお隣さんが好意を寄せてくれる。本来なら、とても、ありがたいことなのだが──


(……大野さん、このまま、諦めてくれないかな?)


 あかりにとって、そんなお隣さんとの甘い恋の駆け引きなんかより、今後の近所付き合いのほうがよっぽど重要だった。


 好意を向けられるのは、ありがたいことだと思う。だが、あかりは、他人からむけられる、その好意に答える気など────全くない。


「………あはは、神木さん……きっと、こんなの日常茶飯事なんだろうなー」


 あかりは、昨日の飛鳥が『断るのも大変』と言っていたのを思い出した。

 確かに、人から向けられた好意を断るのは、かなり大変なことだと思う。


 それに断った方だって、心を痛める。


 きっと彼は、こんな思いを、ずっと繰り返しているのだろう。


 それなのに、彼が彼女を作っていないと、安藤たちから聞いていたにもかかわらず


 なぜ、作らないのか?


 その理由は一切考えもせず言葉を発し、あげく、彼を傷つけて


 ──怒らせてしまった。



「……バカみたい、私……っ」


 玄関に座り込み、膝をかかえたあかりは、そのまま顔を埋めた。





     《あかり、嘘ついてゴメン》




 古い記憶が脳裏によぎると、あかりは、その瞳に、かすかに涙を滲ませた。


「大切な人を増やしたくない」なんて、思わない。


 だけど、あかりは──は、どうしてもできなかった。



「っ……ちゃんと……謝らなきゃ……っ」


 なんであんなことを、言ってしまったんだろう。


 誰かに好意向けられて、しまうのは


 他人を好きにれないのは



 私だって、同じはずなのに……っ



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