第99話 雨と傘

 

 6月中旬──


 梅雨の季節ともあり、町にはシトシトと憂鬱な雨が降りそそぐ。


 時刻は夕方6時。部活を終えた蓮と航太が、帰路につくと、雨のせいか辺りは薄暗く、鉛のような空が覆っていた。


「タイミングわりーな? 今から帰ろうって時に、降りだすなんて」


「ホントだな……」


 先程までは、降っていなかった雨が、部活が終わり、帰り支度をしている際に突然降り始めた。


 蓮は、手にした傘をさし体育館から外にでると、雨粒がポタポタと傘に当たるのを耳にしながら、学校をあとにする。


「天気予報じゃ、夜からってなってたけど、兄貴に言われて、傘持ってきてよかった」


「早く梅雨開ければいいんだけどなー」


 航太の自宅は、蓮の住むマンションより更に進んだところにある。


 そのため、こうして帰宅する際は、同じ部活をしていることもあり、航太と一緒に帰るようになった。


 蓮は航太と何気ない雑談を繰り返しながら、街の中を進む。いつも通り商店街を通り、その先の住宅街に差し掛かる。


 雨のせいか人通りの少ない住宅街は、いつもより静かに感じた。


「あ……なんか、スゲー美女がいる」


「ん?」


 すると、道の先に見えた自販機の側で、女性が一人雨宿りしているのに気づき、航太が小さく声をあげた。


 シトシトと降る雨の中、蓮がつられて自販機の方に目を向けると、そこには、雨に濡れたのか、髪をわずかに湿らせて、一人雨宿りしている美しい女性がいるのが目に止まった。


「あの人、傘わすれたのかな?」

「……そうかもな」


 恐らく突然振りだした雨に、傘もなく困っているのだろう。


 その女性は、20代後半から30代くらいの、線が細くどこか妖艶な美しさを合わせ持つ女性だった。


 スカートから伸びた脚はすらりと長く、地味な紺のスーツを着ているにも関わらず、その色が女性の肌の白さを一際、際立出せているのだろう。雨の中たたずむその姿は、まるで映画のワンシーンのようにも見えた。


 正直、まだ6時台とはいえ、雨の中、あんな美女が一人でいるのは危険ではなかろうか?


 蓮と航太は一瞬顔を見合わすと、このままほっとくわけにもいかないな……と、とりあえず女性に声をかけてみることにした。


「あの、大丈夫ですか?」

「?」


 蓮が声をかけた瞬間、俯いていた女性が顔をあげた。


 視線があうと、その女性の瞳は、透き通るようなをしていて、その姿を見て蓮は目を見開く。


 その女性の姿は、"兄"にとてもよく似ている気がしたから。


「……ゆう」

「え?」


 だが、その女性もまた、一瞬驚いたような顔をして、その後言葉を噤んだ。


「あの、なにか?」


「いいえ、ごめんなさい。あなたが、あまりにも "知り合い"によく似ていたものだから」


 そう言ってニコリと微笑んだ女性は、とても美しかった。


(兄貴が女になって、そのまま成長したらこんな感じかも?)


 そして、不意にその姿が兄とダブり、目の前の女性と照らし合わせる。


「お姉さん、傘忘れたんですか?」


 だが、呆然と女性と見つめている蓮の横で、今度は、航太が明るく女性に問いかけた。


「ええ、突然、降りだしてきたものだから」


「迎えとか来ますか?」


「いいえ。迎えはこないけど、もう少し雨が弱まったら、走って帰れるから、気にしないでね?」


 すると、また女性は、にこやかに笑った。


 だが、走って帰る!?

 女性の言葉を聞き、蓮と航太は一瞬顔をしかめた。


 ただでさえ雨で濡れているこの美女が、更に雨にさらされるなんて、心配以外の何物でもない!!


「あの、これ、使ってください」

「え……?」


 蓮は、女性の前までいくと、手にしていた自分の傘を女性の前に差し出す。だが、女性は


「気にしないで。そんなことしたら、あなたが濡れてしまうでしょう? それに借りても返せないわ」


「大丈夫ですよ、これ父が使ってた古い傘なんで、使い捨てても問題ないやつですから……それに俺は、こいつの傘に入って帰りますし」


「あー大丈夫っすよ! 男と相合い傘しても、全く問題ないんで!」


「だから、どうぞ」


 にこやかにOKを出す航太を横に、蓮は女性の手に自分の傘をもたせると、そのまま航太の傘に入りこんだ。


 だが、一つの傘に男子高校生が二人で入るのは、やはり無理がある。降りやまない雨は、二人の肩をすでに濡らし始めていた。


「ありがとう。優しいのね……実は、娘が家で一人で待ってるから、出来れは早く帰りたかったの。本当に助かるわ」


 そして、その二人の優しさに、再び笑顔を向けた女性は、その後「ありがとう」と口にして、二人のもとを後にする。


 その後、その女性に笑顔でお礼を言われ、蓮と航太は、無意識に顔を赤らめると……


「なんか、あの人。蓮の"兄ちゃん"に似てたな?」


「あ、俺もそれ思った」


 正直、驚いた。世界には、 似た人が三人はいるとは言うが、よもや、あの美人すぎる兄に似た人も、この世にいるとは!


「まーとりあえず、俺らも帰るか?」


「てか、お前もっと詰められない? 濡れるんだけど」


「あのな、人の傘に入っておきながら、何言ってんだ? お前こそ、濡れて帰れ!」




 ◇



 ◇



 ◇



「…………」


 その後、傘を受け取ったミサは、雨が降り注ぐ中、自宅へと足を進めた。


 だが、ふと手にした傘の柄の部分が目にとまると、そこに書かれた「持ち主の名前」だろう文字を確認し、ミサは一瞬足を止める。


「かみき……?」


 傘には『神木 蓮』と名前が書かれていた。

 そして、その 『神木』という苗字には、ひどく覚えがあった。


 なぜなら、それは、昔、自分が名乗っていた古い名前だから……


「そう、あの子……神木君っていうのね」


 ミサは、先ほどの少年を思い出すと、その口元に薄く笑みを浮かべる。


「侑斗に似ていると思ったら、まさか苗字まで同じだなんて、皮肉なものね……」


 憂鬱な雨のせいか、懐かしい記憶を思い出し、ミサは苦笑する。


「侑斗……飛鳥……っ」


 ザーザーと降り注ぐ雨の中──


 弱々しくも、小さくその名を呟けば、その声は、雨の音の見事にかき消された。


 雨脚が強まり始めたその空は、なぜか鉛のように重く、暗い色をしていた。



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