第232話 隠し事と亀裂


「どうしても、友達だっていうなら──なんでこの前、あかりさんのこと抱きしめてたのか、ちゃんと説明してよ!?」


 勢いよくテーブルを叩き立ち上がると、華は大きく声をあげた。


 するとその瞬間、飛鳥は口元を引き攣らせた。


「だ……抱きしめてたって」


「だから、この前あかりさんが、うちに来た日、抱きしめてたでしょ、マンションの前で! あかりさんのこと好きだから、あんなことしたんじゃないの!? 違うっていうなら、ただの友達を抱きしめた正当な理由、ちゃんと説明して!! じゃなきゃ納得できない!!」


 言葉を荒らげ、更に問い詰める華。


 あんな風に、抱きしめておいて。

 自分たちも知らない顔で微笑みかけておいて。


 それで、ただの友達だなんて、華には、とてもじゃないが信じられなかった。


 だが、飛鳥からしたら、まさか、あの現場を見られていたなんて思いもせず……


「──ッ」


 恥ずかしさのあまり、不覚にも顔を赤くした飛鳥は

慌てて華から視線をそらした。


(見られてたって……いつから?)


 ていうか、どこから?

 もしかして、エレナといた時も──?


(いや、華にLIMEしたのは、エレナを見送ったあとだったし……マンションの前でってことは、多分、あかりと二人きりの時だよね。でも、華が見てたってことは──)


 飛鳥は、キッチンに立つ蓮にそっと目をむける。すると、兄と目があった瞬間、蓮は、平然と麦茶を飲みつつも、兄から視線をそらした。


(っ……やっぱり)


 この反応は、確実に蓮も目撃してる。


 そう確信すると、飛鳥は改めて、あかりを抱きしめた時のことを思い出し、頭を抱えた。


 まさか、あんな恥ずかしいところを、妹弟に見られてしまうなんて!?


「ちょっと、お兄ちゃん! 聞いてるの!?」


「ぁ、いや、あれは……っ」


「あれは!?」


「だ……だから…っ」


 身を乗り出し問いただす華に、飛鳥は口ごもる。


 なぜなら自分だって、あの時、何故あかりを抱きしめてしまったのか、よくわからないのだ。


(説明なんて、言われても……)


 そして、飛鳥がしどろもどろする中、蓮は麦茶を飲みながら、珍しく挙動不審な兄を見て目を細めた。


(まぁ、兄貴が悪いよなぁ……)


 華の言う「倉色さん」が、先日、兄が連れ込んだ「お姉さん」なのは理解した。


 だが、今更「友達」などと言われても、怪しいところがありすぎるのだ。


 自分も華も、そう簡単に納得できるわけがない。


(しかし、怖ぇ……なんか、浮気現場見られて、妻に問いただされてる夫みたいな)


 だが、まさか帰って来てそうそう、こんな修羅場に巻き込まれてしまうとは


「あかりさんのこと、本当は好きなんでしょ!?」


「だから、あかりは友達だって……!」


 キッチンにいる蓮を板挟みに、目の前のテーブルでは、激しい兄妹喧嘩が繰り広げられていた。


 しかも、いつもなら兄が勝るところ、今回は華の方が優勢だった。


「じゃぁ、なに!? お兄ちゃん、好きでもない子を、同意もなく抱きしめたりするような人だったの!? 無理矢理そんなことして、イケメンだったら何しても許されるとか思ってんの!?」


「ッ……!?」


 なんか、すごい心をえぐられる。


 確かに、同意は得てないし、無理矢理と言われたら、無理矢理……だったかもしれない。


 だが、さっきから何を勘違いしているのかしらないが、あかりが『友達』なのは確かなわけで……


「華!」

「……っ」


 すると、真面目な顔をした飛鳥が、華を威圧し、そのまま静止させた。


「確かに部屋には入れたし、抱きしめたのも事実だけど、それでも、あかりは友達だし、それ以上でもそれ以下でもないよ。なにをそんなに熱くなってるのか知らないけど──俺の言うこと、信じられないの?」


「……っ」


 飛鳥が真っ直ぐに華を見据えると、華はぐっと言葉を飲み込みこんだ。


 信じてる。

 信じてるよ。


 だけど……


「だって、お兄ちゃん、いつもそうじゃん……っ」


「え?」


「いつも、話しそらしてばかりで、私たちには何も話してくれない! 友達だっていうなら、なんであの時、紹介してくれなかったの!? まるで隠すみたいに、私たちのこと追い出して……っ」


 さっきとは一変、弱々しい声を放つ華に、飛鳥は目を見開いた。


 きゅっと拳を握りしめて俯く華の肩は、小さく震えていて


「華?」


「……の?」


「え?」


「なんで、あかりさんなの? なんで、お母さんに似た人なの? 私たちに言えないことも……あかりさんには、話してたりするの?」


「……っ」


 今にも泣きそうな顔で問いかける華に、飛鳥は言葉を失った。


 確かに、あかりには話した。

 でも、それは──


「否定……しないんだ」


「……っ」


「もういい! あと、これ今日あかりさんに借りたから、お兄ちゃんから返しといて!!」


「え、ちょっ……華!!」


 華は、そう吐き捨てると、あかりから借りたショッピングバックを差し出し、リビングから逃げるように出ていった。


 震える声で絞り出された声は、今にも消えそうな声で


 目には、溢れんばかりの涙が溜まっていて


 そんな妹の姿に、飛鳥の心の中は、罪悪感でいっぱいになる。


「なんで……っ」


 すると、困惑する飛鳥を見つめ、蓮は飲み終わったコップをシンクに置くと


「まぁ、華の気持ちは分かるよ」


「え?」


「兄貴、昔から


 華と同じ色の瞳が、真っ直ぐに飛鳥を見つめて、そう告げる。


「っ……別に、あかりのことは、隠してたわけじゃ」


「あかりさんのことだけじゃないよ。子供の頃のこととか、兄貴の母親のこととか、俺達が知りたがってる分かってて……兄貴、いつも話しそらしてる」


「……」


「そりゃ、兄貴にとって、俺達はまだ子供で、頼りないのかもしれないけど……それでも俺たちだって、兄貴の役にたちたいって思ってるんだよ。辛いことがあるなら力になってあげたいし、悩んでることがあるなら助けてあげたい。それなのに……それなのに、俺たちより、あかりさんを選んで話してるんだって知ったら、さすがに悔しい……っ」


「……っ」


 自分たち『家族』じゃなく『他人』を選んでるのが──悔しい。


 力になれないのが、頼られないのが


 悔しくて仕方ない。



「それに、これ以上隠し事が増えたら、俺達だって……」



 兄貴の言葉を


 素直に信じてあげられなくなりそうで……っ




「蓮……?」


「……うんん。なんでもない。とりあえず、華のことは俺がなんとかするよ。兄貴が行ったら、火に油注ぎかねないし、あーなった華、かなりめんどくさいし」


 そういうと、蓮は荷物を手にして、リビングから出ていった。


「………」


 一人残された飛鳥は、ゆっくりと視線をそらすと、チェストの上に飾られた『ゆり』の写真を見つめた。


「……隠し事、か。……確かに、その通りだな」


 二人が知りたがってるのを分かってて、いつも、笑ってはぐらかしてきた。


 いつか、話さなきゃいけないのも、分かってる。


 でも……



「大切……だからこそ……っ」



 巻き込みたくないからこそ


 もう、失いたくないからこそ





「話したくないことも、あるんだよ……っ」


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