第88話 あかりと休日


 単身者向けアパートの2階。その一番奥の角部屋に、あかりの新しい住居は存在していた。


 真新しい外観をした2階建てのアパートは、1階に3軒ずつ、計6軒分の世帯が入居できる。


 築年数は20年ほどらしいが、最近リフォームされたばかりらしく、外観も内装もとてもきれいで、1LDKの室内は、玄関を入ってすぐの扉を開けると、キッチンなどの水回りが存在し、その先には12畳の洋室があった。


 多少手詰まではあるが、一人暮らしのあかりには十分すぎる物件。


 そして、ここに引っ越してきて、早二ヶ月。


 環境にも少しずつなれ、一人暮らしを楽しむ余裕すら出てきたのか、天気のよい休日には、目の前の公園で、ゆっくりと読書をするのが、あかりの密かな楽しみでもあった。


(……そろそろ、出かけようかな?)


 あかりは、公園に行くため、読みかけの本を一冊手にし、部屋をでて玄関に鍵をかけた。


 ガチャ──と、鍵がしっかりとかかった音を確認すると、階段の方へと向き直る。


「あ! あかりちゃん!」

「?」


 すると、そこに、たまたま同じタイミングで帰ってきた隣の部屋の男性が、あかりに声をかけてきた。


 歳は24~25歳くらい。若く鼻筋の通ったそこそこのイケメン男性だ。どこかにでかけた帰りなのか、スーパーの袋を手にしていた。

 

「今から、でかけるの?」


「……はい」


 確か、大野さん、だったかな?

 あかりは、そんなことを思い出しながら、にこやかに返事を返す。


「あかりちゃん、大学生だったよね。女の子の一人暮らしはなにかと大変だろうし、困ったことがあったら、いつでもいってね。力になるからさ」


「はい。ご親切に、ありがとうございます」


 ふわりと笑いお辞儀をすると、あかりは大野の横をすり抜け、その先にある階段を目指した。


 トントンと軽やかに階段を降りると、アパート前の道路を渡り、目の前の公園へと足をすすめた。


 時刻は、午後二時過ぎ。


 心地よい春風が吹き抜ける公園には、噴水のそばで水遊びをする子供たちや、小さな赤ちゃんを連れたお母さんが散歩をしていたりと、土曜の午後だけあり、そこはいつもより賑やかだった。


 そして、その公園の入り口から、いつも座っているベンチに目を向ければ、そこには、見慣れた少女の姿があった。


「あ、お姉ちゃん!」


 ベンチに座っていたのは、エレナ。

 エレナは、一人でベンチに座り、足をプラプラと揺らしながら、あかりを待っていた。


 光に反射する金色の髪はキラキラと輝き、紫色のシックなワンピースと、ニーハイを履いたその姿は、モデルの仕事をしているだけあり、とてもオシャレで愛らしかった。


 なにより、この素朴な公園内では、美少女と言われるエレナは一際目立つ。


「今日は、モデルの仕事なかったの?」


「うん、お休み。お母さんも、お仕事だったから抜け出してきちゃった。それに、もう少ししたら、気軽にこれなくなっちゃうかもしれないから」


「?」


 エレナの話を聞きながら、あかりはエレナの左隣に腰かけると、本を膝の上におき、首を傾げる。


「来れなくなるって……」


「うん。今度ね。オーディション受けるんだ。本当は、嫌なんだけど……」


 エレナが切なそう呟いて、あかりは、悲しげに目を細めた。


 エレナは、モデルを辞めたがってる。だが、それを母親に伝えるのを、とても怖がるのだ。


「やっぱり、言えない?」


「うん。何度か言おうとしたんだけど、いざ、お母さんを目の前にすると言葉が出なくて……」


「そう……」


 話を聞くだけしか出来ない自分に、あかりは酷く胸を痛めた。

 エレナから、何度とその話をきいてきたのだが、あかりは、いまだにそれを解決できないでいる。


 悩んでいる子が目の前にいるのに、助けてあげられないのは、なんとも辛いことだった。


「ごめんね……なにもしれあげられなくて」

「お姉ちゃん……」


 しゅんとするあかりを見て、今度はエレナが、申し訳なさそうに眉を下げる。


「……お姉ちゃん、そんな顔しないで。私なら大丈夫だよ」


「……」


「それにね、話を聞いてもらえるだけで、こんなに気持ちが楽になるなんて知らなかった。お姉ちゃんのおかげだよ」


 エレナは、ニコリと笑う。


「あ、そうだ! ねえ、お姉ちゃんには、悩みとかないの? 私も、お姉ちゃんの役にたちたい!」


 するとエレナは、珍しく子供らしい表情を浮かべて、あかりの方に身をのりだしてきた。そんなエレナの姿に、あかりは少しだけホッとする。


「うーん、悩みかぁ……ひとつあるかな?」


「なになに! どんなこと?」


 エレナが、キラキラと目を輝かせて、あかりの話をまっている。するとあかりは


「私……"先輩のファン"に刺されちゃうかもしれない」


「え!?」







 ◇◇◇






「あれー、兄貴、出かけんの?」


 その日の午後、蓮が部屋から出ると、玄関先で靴を履きながら、出掛ける準備をしている兄を見つけた。


 飛鳥は、蓮の声を聞き一度振り向くと「うん」と一言だけ返事をし、また靴に視線を戻す。


「土曜日に出掛けるとか、珍しいね。またスカウトに捕まるんじゃないの?」


「まーね。でも、ノート切れかけてたの忘れててさ……ついでに本屋にもよってくる」


「あ。それじゃ、俺のも買ってきて。英語のノート」


「はぁ?」


「あと、本屋によるなら『進撃の小人』の最新刊も!」


「へー……このお兄様をパシリに使うとはね~。まぁ、いいけど」


「さすがお兄様。帰ったら、お背中流しますんで!」


「いやいや、それは勘弁してください」


 拒否されるのを分かって提案してきたであろう弟の言葉をきき、飛鳥はピシャリと異を唱えると、側に置いていた鞄を手にとり立ち上がる。


「あ。でも、俺と兄貴が一緒に風呂はいりだしたら……華、絶対驚くよね」


「は?」


 だが、飛鳥が立ち上がった瞬間、蓮が呟いた言葉に飛鳥は顔を青くする。


 蓮は、意外と悪ふざけをするのが好きなのだ。もちろん、その大概が華を驚かせるためなのだが、急に不意うちで、飛鳥にもドッキリを仕掛けてくることがあるので、たちが悪い。


「いきなり風呂入ってくるとか、やめろよ」


「冗談だって」


「ならいいけど。俺、いまだにお前が、俺のスマホの着信、勝手にドラ○もんに変えてたの根に持ってるからな」


「いや、あれ始め、プ○キュアにしてたんだよ。むしろ、 ド○えもんで我慢したことを誉めてほしい」


「ウソだろ!?」


 いきなり、大学の教室内で鳴り響いた「ドラえ○ん」のメロディー。まさか、自分とは思ってなかった当時の飛鳥は、それはそれは困惑したものだった。


 まー、プリ○ュアよりは、マシかもしれないが……


「もういい加減、悪趣味なドッキリ仕掛けてくんのやめてくんない? いつ卒業すんの、それ?」


「兄貴には、わからないだろうけどさ。こんな兄とあんな姉をもつと、弟はメチャクチャ、ストレスたまるんだよね?」


「まさかのストレス発散!?」


 今までの嫌がらせは、どうやらストレスを発散させるためだったらしい!飛鳥はそれを知り、なんとも言えない表情をうかべた。


「それより、兄貴、何時に帰ってくるの?」


「あー、夕方までには帰るよ」


「わかった。じゃぁ、風呂沸かして待ってる!」


「そっかー、じゃぁ帰ったら 一緒に背中流しっこしようね~♪」


「キモイ」


「お前がな」


 いつもの弟の悪ふざけをかわしつつ、飛鳥はまたニコリと笑うと、玄関の鍵をあける。


「じゃぁ、俺いってくるから、バカやってないで、勉強しっかりしとけよ」


 すると飛鳥は、 バタンと扉の音を響かせながら、外へとでかけていった。



「あれ? 飛鳥兄ぃ、でかけたの?」


 すると、兄が出たタイミングで、玄関の扉がしまる音を聞いた華が、部屋から顔を出してきた。すると蓮は、


「……そういえば」


「?」


「華、兄貴と一緒に風呂入れないって聞いた時、すごく嫌がって泣いてたよな?」


「いつの話だ!?」


 何気ない兄弟の会話から、子供の頃は三人で一緒にお風呂に入っていたなーなどと思い出した蓮がボソリと呟くと、華はいきなり何を言い出すんだと、ただただ顔をしかめるだけだった。

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