第248話 日常と奇跡
「糸車の針を刺して死ぬのよー!! オーッホッホッホ!」
週末を控えた金曜日の放課後。華のクラス、1年C組の教室の中では魔女役の女子生徒が迫真の演技を披露していた。
机を全て後方に寄せ、教壇の前にスペースを作った生徒達は、残れる生徒だけ居残り、劇の練習に勤しむ。
文化祭まで、残り2週間。
セリフも全て覚えたし、あとは魔女やその手下たちとの戦闘シーンをしっかり形にするだけ。
だが、出番が来るまで窓際で台本を眺める華はどこか上の空だった。
「はーな!」
するとそこに、部活を休んで劇の練習に参加していた葉月が、華の顔を覗き込みながら、声をかけてきた。
「最近元気ないけど、どうした?」
「え、嘘……わかる?」
「わかるよ。どんだけ長い付き合いだと思ってんの」
小学二年生で同じクラスになってから、かれこれ8年の付き合いになる葉月。その言葉に華は台本をパタン閉じると、深くため息をついた。
「実は、お兄ちゃんと、喧嘩……してるというか」
「え? 喧嘩?」
結局、あれから仲直りできないまま、数日が過ぎた。
仲直りしたいのに、またいつもの三人にもどりたいのに、まるで腹の探り合いでもしているかように、見えない心の壁は、みるみる広がっていく。
(お兄ちゃん、本当にいるのかな……兄妹)
別に自分たちの他に兄妹がいたって、なんら不思議はないし、いたらどうだってわけでもない。
ただ、前の奥さんのことは、父も兄も何もなにも話してくれなかったから、まさか本当に兄妹がいるなんて考えもしなくて……
(私、本当にお兄ちゃんのこと、何も知らないんだな……)
なんでも話せる関係だと思っていた。
でもそれは、自分たちだけだったのかもしれない。
「へー、珍しいね。喧嘩なんて」
すると、そんな華の思考を遮り葉月が口を挟む。
「いつもは、すぐ仲直りしちゃうのに」
「そうなんだよね。うち、兄妹弟喧嘩はよくするけど、あまり長引かせたことなくて」
しゅんと俯く華は、いつにもまして落ち込んでいた。
「なんで喧嘩してるのかは分からないけどさ。それは、飛鳥さんが悪いの?」
「え?」
「長引いてるのは、飛鳥さんが謝るまで許したくないから……とかなの?」
「ち、ちがう。お兄ちゃんは多分悪くなくて……でも、色々なことが起こりすぎて、頭の中ごちゃごちゃしてて……ッ」
あかりさんのこととか、お兄ちゃんそっくりな女の人のこととか、兄妹がいるかもしれないこととか、一度に色々なことが起こりすぎて、心が追いつかない。
いつも、どうやって仲直りしていたっけ?
それすらも、よく思い出せないくらいに──
「仲直りはしたいの。このままは嫌なの。でも……うまく話せなくて……っ」
「………」
すると葉月は、かける言葉に一瞬だけ悩んだあと
「明日は、どうなっちゃうかわかんないよ」
「え?」
「小3の時かな。私が兄貴と大喧嘩して一週間、口を聞かなかったことがあったじゃん。その時にさ、華が私に言ったんだよ。『明日はどうなっちゃうかわからないから、早く仲直りした方がいいよ』って」
「……」
「毎日毎日、私に『お兄ちゃんと仲直り出来た?』って聞いてきてさ。まるで自分のことのように心配してくるの。でも、私もいじっぱりだったから『お兄ちゃんが謝るまで絶対仲直りしない!』っていったら、華泣きだしちゃって……なんで人の家のことに、そこまで必死なのかなーってお母さんに聞いたら、お母さんが『華ちゃんのお兄ちゃんは、昔、誘拐犯に襲われて行方不明になったことがあるのよ』って……」
「……」
「私、全く知らなくてさ。あの毎日キラッキラ輝いてた華のお兄さんが、そんな怖い思いしてたなんて……いつも元気に笑ってる華が、家族を失うかもしれない恐怖を味わったことがあったなんて……」
「……」
「華は、今の"当たり前の日常"が、どれほど"奇跡的"なことなのか、小3の時は既に知ってて……私が後になって後悔しないように、あんなふうに言ってくれたんだなって思ったら、プリン一つでつまらない意地の張ってる自分が馬鹿らしくなっちゃった」
「……」
「私だって、華に後悔してほしくないよ。後になって、お兄ちゃんと仲直りしておけばよかったなんて、思ってほしくない」
「……っ」
その言葉に、華は台本を手にした両手をぎゅっと握りしめた。
わかってる。
お兄ちゃんが帰って来なかったあの日
自分たちは、思い知った。
当たり前の日常は
決して、当たり前ではなく
突然、失ってしまう
儚い日常でもあるのだと──
だから、誓った
喧嘩をしても、すぐに仲直りしようって
つまらない意地を張って
あとで後悔しないように
大切なものを見誤らないように
失ってから、気づかないように──
「っ、葉月~っ」
「全く、泣くほど辛いなら、ごちゃごちゃ考えてないで、まずは行動しなさい!行動!!とりあえず、今夜飛鳥さんとしっかり話してくること!」
「え!? 今夜!?」
「そう! それこそ、明日どうなるかわからないんだから! それに、こういうのは時間が経てば経つほど話しづらくなるの!」
「てか、葉月とお兄さんの喧嘩の原因、プリンだったの?」
「そうだよ。兄貴が私の残してたプリン勝手に食べたの!」
「それだけ!?」
「それだけじゃない! 食べもの恨みは怖いんだから!」
「あはは、なにそれ」
くだらない喧嘩の理由に、華に顔には自然と笑顔がもどってくる。
「そうそう、華は笑ってる方が可愛いんだから、それにいつまでも辛気臭い顔してたら、パパさん心配するよ。来週には帰って来るんでしょ?」
「……うん」
そうだ。来週には父が帰ってくる。
もし、父が今の私たちをみたらどう思うだろう。
「そうだね。ありがとう葉月。ちゃんと、お兄ちゃんと話してみる」
不安はある。
お兄ちゃんがなにを隠しているのか?とか、自分たちのことを、本当はどう思っているのか?とか
でも、こんなことくらいで──失いたくない。
お兄ちゃんとの、大切な大切な日常を──
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