第445話 榊くんと華ちゃん


さかきと、あれから、どうなったの?」

「……っ」


 不意に飛び出した名前に、華は、頬を赤らめた。


 葉月に向けていた視線を、そっと斜めらせば、今、話題の人物が、友人たちとお昼を食べているのが見えた。


 さかき 航太こうたくん──蓮の友人であり、バレンタインの日に、華に『好きになってゴメン』と、予想外の告白をしてきたクラスメイトだ。


 どうやら、今、榊くんは、華にフラれたと思っているらしい。だが、華は振ったわけではなく……


「あー。その反応は、まだ、言ってないのね」


「だ、だって、どう伝えれば」


「どうって。好きって言われて、嫌じゃなかったんでしょ? それを、そのまま伝えればいいじゃん」


「で、でも、そんなことを伝えて、もし、期待させたりしたら……っ」


 気まづくて仕方ない。だからか、それから、全くその話題に触れられず、華は、榊くんに話しかけることすらできていなかった。


 そして、華が話しかけなければ、当然、あちらからも話しかけてこない。


 榊くんの思いを知ってから、少しづつ距離が離れているような気がする。


 榊くんは『友達として、これまで通り、仲良くして欲しい』と言っていた。


 だけど、今の華は、避けるような状態だ。


 ちょっと前までは、みんなで遊園地にいったりと、仲良くしていたはずなのに、どうして、こんなことになってしまったのだろう?


「まぁ、お兄ちゃんの恋も大事だろうけど、華の方も何とかしなよ?」


「な、なんとかって」


「だって、フラれてないのに、フラれたと思ってるなんて、榊が可哀想じゃん」


「そ、そうだけど……て、ここで、そんな話しないでよ! 榊くんに聞こえたらどうするの!」


「聞こえないよ、遠いんだから!」


 そう言うと、葉月をお弁当に入っていた唐揚げをパクリと口にし、華は、再び、榊くんに目を向けた。


 いつもは、蓮と一緒にお弁当を食べているが、今日は、蓮が休んでいるため、他の友人たちと食べているようだった。


 榊くんは、優しいし、友達も多い。


 なにより、バスケだって得意だし、女子にもモテモテだ。


 そして、蓮や葉月が勧めてくるくらいの人。


 なら、榊くんが、どれだけ魅力的で、素敵な人なのかは、華だってよくわかる。


 だけど、華には、まだ恋というものが、よく分からなかった。


(好きって、どんな気持ちなんだろう?)


 恋をするって、どんな気持ち?


 好きと言われて、嫌じゃなかった。

 でも、それは、友達だからじゃないの?


 わからない。

 わからないから、どうしていいか、わからない。


 でも──


(でも、榊くんと、前のように話せなくなったのは、何だか、寂しいな……っ)



 ◇


 ◇


 ◇



 ザ────


 雨の音が、室内に響いているのに気づいて、蓮は、静かに目を覚ました。


 ザーザーと、打ち付けるような激しい雨音。


 そして、その音で目覚めた蓮は、布団の中で、気だるげそうに、身じろぐ。


(ん……今、何時?)


 壁にかけられた時計に目をやれば、もう、お昼を過ぎていた。


 雨の音しか聞こえない部屋の中は、やけに静かで、蓮は、今日が平日で、学校を休んだことを、改めて思い出す。


(あぁ、そうだった……俺、熱が出て……っ)


 ひたいに手をあて、おぼつかない思考で、今朝の出来事を振り返る。


 兄のデートの日に、タイミング悪く熱を出してしまった、不甲斐ない自分のことを──


(兄貴……デート行ったよな?)


 罪悪感を抱きながらも、兄のことを心配する。


 だが、あれだけ『行け』といったのだ。

 流石に、行っただろう。


 なにより、この静けさが、家に誰もいないということを物語っているような気がした。


(俺、一人か……そうだ。ご飯、食わないと……っ)


 兄や華には、自分でなんとかすると言って、送り出した。


 だから、何とかしなくてはと、蓮は昼食をとるため、身体を起こす。


 だが、身体は鉛のように重く、それ以上、動く気がしなかった。


 いつもなら、ここで、兄や父が、お粥とか、うどんを作って持ってきてくれる。


 でも、今日は、誰もいないのだ。

 兄も、父も、双子の姉も……


「はぁ……だるっ」


 深いため息が漏れると、蓮は、またベッドに倒れ込んだ。


 この重い身体を引きずって、今から食事を作らないといけないなんて。


 でも、これが、ということなのかもしれない。


 大人は、全部、一人でしなきゃいけないから──


(……大人って、こんなに辛いんだ)


 それは、風邪のせいか?

 はたまた、心が弱ってるせいか?


 大人になりたくない──そんな子供じみた自分が、また顔を出しそうになった。


 でも、人は嫌でも大人になっていく。


 だから、兄のためにも、逃げないと覚悟を決めた。


 でも、完全な大人になるには、まだ意思がたりないらしい。


「もういいや……一食くらい抜いても……っ」


 どの道、食欲はなかったし、カップラーメン一つ、作るにしても、やる気が出なかった。


 だから、もういいやと諦める。


 しかし、さすがに、水分は取らないと、まずい気がした。


 本当は、汗もかいたから着替えるべきだろう。


 だが、そこまでする気力はなく、蓮は、とりあえず水分だけはととろうと、ローテーブルの上に置いていたペットボトルに手を伸ばした。


 ──ガタン!


「あ、……!」


 だが、その瞬間、誤って落としてしまった。


 テーブルから、床へとダイブしたペットボトルは、コロコロと転がって、本棚の前で止まる。


 ベッドからは、それなりの距離がある。

 明らかに、起きなくては、取りに行けない。


「はぁ……っ」


 そして、またため息をつくと、蓮は、再びベッドに倒れ込んだ。


 なんだか水を飲むのすら、億劫おっくうになってきた。


(いいや。水なんか飲まなくても……)


 そして、このまま眠ることを選択した蓮は、目を閉じる。


 ザ────


 雨音が、やけに耳に響く。

 だから、余計に、寂しさがつのった。


(病気の時に、一人でいるのって……こんなにも心細いのか?)


 そんなの、全く知らなかった。


 だって、今までは、誰かが傍にいてくれたから──


「あにき……っ」


 小さく小さく、声が漏れる。

 だが、その瞬間


「なに?」


「え?」


 どこからか、声が聞こえた。


 蓮が顔をあげれば、たまごがゆの優しい香りと一緒に、見なれた人物が部屋に入ってきたのが見えた。


 まるで、女神か天使のように──綺麗な人。


 だが、一瞬、夢かと思った。


 だって、そこにいたのは、デートに行ったはずの『兄』だったから──





*あとがき*

https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16817330654394055976

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