第446話 温もりと大人


「な、なんでいるんだよ!?」


 明らかに夢じゃないと気づいた瞬間、蓮は叫んでいた。


 あれだけ、デートに行けと言った。

 それなのに──


「そんなに大声だすなよ。病人だろ」


「だって、兄貴が……!」


「はいはい。悪かったよ、言うこと聞かなくて」


 軽くあしらいつつ扉を閉めると、飛鳥は、ローテーブルにお盆を置き、その後、蓮のひたいに、そっと手を伸ばした。


 兄の優しい手が、静かに弟の肌に触れる。

 すると、その瞬間、蓮は、ぐっと息をつめた。


 ほっとしてるが分かった。この兄の手に──


 幼い頃から、ずっとずっとそばにいてくれた母親のような人に、身体は勝手に安心してる。


 でも──


「なんで、行かなかったんだよ……っ」


 悔しそうに唇を噛み締め、蓮が、苦渋くじゅうの言葉を発した。


 足を引っ張りたくなかった。

 兄の幸せのためにも、行かせなきゃいけなかった。


 それなのに──


「さっきよりは、熱下がったかな? 食欲はある?」


 だが、兄は平然とした様子で蓮から手を離すと、普段と変わらない穏やかな笑みをうかべた。


 デートに行けなくなったことを、一切責めることなく、兄はいつものように優しく笑う。


 その上、卵粥の香りのせいか、さっきまで全くなかったはずの食欲すら、不思議と湧いてくる。


 だけど、そんな自分が情けなくて、蓮は、反抗期の子供のように、兄に向かって反駁はんばくする。


「何やってんだよ! 今日、優先すべきなのは、俺じゃないだろ!」


 これじゃ、今までと何も変わらない。

 

「あかりさんに、嫌われたらどうすんだよ……もっと、自分のこと優先しろよ。それとも兄貴は、まだ、俺たちに、子供のままでいてほしいの?」


「………」


 その言葉に、飛鳥は目を細めた。


 それは、あの日、打ち明けた話。


 エレナを初めて、二人に合わせたあの日、一緒に、弱い心をさらけ出した。


 でも──


「そうだね。昔は、子供のままでいて欲しいと思っていたかな。そうすれば、ずっと、あの頃のままでいられたから」


 脳裏に過ぎるのは、まだ、小さかったこの子達が『お兄ちゃん!』と言って、抱きついてきた頃のこと。


 温かくて、優しくて。

 泣きたくなるくらい、幸せな時間。


 もしも、あの頃のままでいられたら


 きっと、大人にならなければ


 こんなにも、悩むことはなかった。


 でも──


「もう、あんなこと言ったりしないよ。それに、どうして俺が、あかりを好きになったか……分かる?」


「え?」


 優しく微笑みながら、再度、飛鳥が問いかければ、蓮は目を見開いた。


 ──どうして、好きになったのか?


 その言葉に、蓮は


「えっと……母さんに、似てるから?」


「え?」


「あれ、違う? じゃぁ、胸が大っきいから?」


「お前、もう少し、まともなこと言えないの?」


 これは、熱のせいだろうか?

 いや、違うだろう。


 すると飛鳥は、呆れつつも、ハッキリと答える。


「あかりは、俺のを、一緒に守ろうとしてくれるんだよ」


「守る?」


「うん。今日、蓮が熱を出したっていったら『傍にいてあげてください』って言ってきたのは、あかりの方……あかり、すごく心配してたよ……それに、エレナの時もそうだった。もう関わるなって、わざわざ釘まで刺したのに、ミサさんの元に行って、エレナを守ってくれて……あかりは、俺が大事にしているものを、よく理解していて、一緒に守ろうとしてくれる……隆ちゃんも、そうだけど、そんな人と出逢えるのは、そうある事じゃないよ」


「……っ」


 その兄の言葉に、蓮はくちびるを噛み締めた。


 誰だって、大切なものがある。


 でも、その大切なものが、それぞれ違うからこそ、人は衝突し、争うことがある。


 自分を理解してくれて。

 自分と同じ価値観を持って。

 自分の大切なものを、同じように大切にしてくれる。


 そんな人と出会えることが、どれほど尊いことか、兄はよく分かってるのだろう。


 だからこそ、兄は

 あかりさんに惹かれたのかもしれない。


 あかりさんは俺たちのことも


 大切にしてくれる人だから──…



「兄貴が、人を好きになる基準って、家族なの?」


「そうだよ」


「そうだよって、おかしいだろ」


「なんで? 別に、おかしくはないだろ。誰かを好きになる基準は、人それぞれだよ」


「それぞれ?」


「うん。例えば、イケメンがいいとか。可愛い子がいいとか。あとは、優しい人がいい。食べ物の好みが合う人がいい。趣味が合う人。年収が高い人。スポーツが得意な人……人の好みって、それぞれだろ。だから、人が人を好きになる基準も様々だよ。そして、その基準が、俺の場合は『家族を大切にする人』だっただけ」


「……家族」


「うん。だから、デートに行けなくなったくらいで、お前が、そんなに落ち込む必要はないよ。あかりなら、分かってくれるから」


 安心させるように微笑んだ飛鳥は、その後、ポンポンと蓮の頭を撫でたあと、お粥を差し出してきた。


 ほのかに湯気がたつお粥は、いつも兄が作ってくれるもの。


「少しでも食べて。それとも、食べさせて欲しい?」


「……っ」


 だが、これまた子供扱いされて、蓮は眉をひそめた。


 確かに、子供の頃は、兄が食べさせてもらっていた。


 だが、もうそんな歳ではない!


 蓮は、差し出されたお粥を奪い取ると


「自分で、食べれる……!」


 そう言って、お粥をレンゲですくって、すぐさま口に運ぶ。


 程よい温かさの粥は、卵と絡まりあって、優しい味が口の中、いっぱいに広がった。


(……やっぱ、うまい)


 風邪をひいた時に作ってくれる兄のお粥は、絶品だった。


 愛情がこもってるからか、心做しか、体調も楽になったような気になって、蓮は、二口目を口に運ぶ。


 そして、そんな蓮の姿を、飛鳥は、ほっとしたように見つめていた。


 きっと、映画を見に行っても、蓮が心配で、集中出来なかっただろう。


 そして、今回の件で、前よりも更に、あかりのこと好きになったような気がした。


 絶対に、手離したくないと思ってしまうほどに──


 






*─────────────────────*



皆様、閲覧&応援、いつもありがとうございます。


昨日『雪桜さんちの舞台裏』の方で、SSを公開しました。飛鳥と隆臣の卒業式の話です。


卒業式・SS『お兄ちゃんと第二ボタン』

https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16817330654459387696


ギャグです。本編の息抜きとして、読んで頂けたら嬉しいです。また、舞台裏の方では、明日から『お兄ちゃんと修学旅行』の完全版も公開します。


前に公開した番外編ですが、長くなって、ボツにした未公開のエピソードをたんまり詰め込んでますので、良かったら、舞台裏の方も、楽しんで頂けたら。

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