第361話 難聴と結果


 その後、喫茶店の奥に通されたあかりは、美里の面接を受けていた。


「そう……では、キッチンとホールの仕事では、どちらが希望ですか?」


「できるなら、キッチンのお仕事をさせて頂きたいと思っています」


 美里の質問に、あかりが淡々と答え、面接は滞りなく進んでいく。だが、それから暫くして


「履歴書に、一側性難聴いっそくせいなんちょうだと書いてあるけど、右耳は全く聞こえないの?」


「あ……はい」


 美里の質問に、表情がこわばる。


 耳の話になると、前の二社を受けた時は、とたんに面接官の表情が曇り、結果は不採用になった。


 不採用の理由が障碍のせいだと思いたくはないが、どれだけ好感触でも、耳のことを話すと難色を示されてしまう。


(また、ダメかも……)


 覚悟はしていた。どの程度、聞こえないのか、その判断は他人には難しい。


 あかりがホールではなく、キッチンを希望したのも、万が一お客様の声を聞き取れなかった時に、お店側に迷惑をかけてしまうからだ。


「そっかー、書かれてなければ、きっと気づかないわね」


「……え?」


「障碍者手帳や療育手帳は、もっていたりする?」


「ぁ……いえ、障碍と認定されるレベルではありません」


「そうなのね。話しかける時は、やっぱり左からがいいのかしら?」


「……えっと、騒がしくなければ、右側からでも聞き取れます。もし、聞こえていない時は、肩を叩いて頂いても」


「そうなのね。わかったわ」


 だが、あかりに質問したあと、美里は履歴書の備考欄に、サラサラとメモを取り始めた。


 だが、それを見ながら、あかりは戸惑っていた。


(なんか、前の二社と反応が違う……)


倉色くらしきさん。このことは、他の従業員には話しても大丈夫かしら?」


「え?」


 すると、美里が再度話しかけてきて


「みんなに知っていてもらった方が、倉色さんも働きやすいと思うの。でも、知られたくない人もいるでしょうから」


「…………」


 その問いに、あかりは黙り込んだ。


 知ってもらうことによる安堵あんどと不安が、同時に押し寄せる。


 障碍についての考え方は、人それぞれだ。


 これまでの経験から、話していい相手と、話さない方がいい相手がいるのを学んだ。


 障碍があろうがなかろうが、受け入れてくれる人もたくさんいる。


 だが、その一方で障碍者は、社会のお荷物だという人たちもいる。


 普通のことが『当たり前』に出来ない。

 ただそれだけで、世の中から爪弾つまはじきにされる。


 だけど……


「──はい。隠しているわけではないので、話しても大丈夫です」


 ハッキリと言葉を返し、あかりは美里を見つめた。すると、美里は優しく微笑みながら


「面接をして欲しいと言ってきたのは、耳の事があったからなのね」


「はい。ご無理を言ってしまい申し訳ありませんでした」


「いいのよ。隆臣は知らないのでしょう? 採用されてから話すのは、気が引けたのかしら?」


「……はい。もし、耳の聞こえない子は雇いたくなかったと言われたら、せっかく紹介してくれた橘さんに申し訳ないので」


「そう、隆臣に気遣ってくれたのね。ありがとう。ねぇ、うちで、よかったら働いてくれない?」


「え?」


「誰にだって、向き不向きはあるし、完璧ではないわ。それは障碍や持病がある・なしに関わらず。誰だって、ミスをすることもあれば、体調を崩することもあるし。倉色さんのそれも、みんなと同じように考えればいいわ」


「同じように……」


「えぇ、うちの店にはね、発達障害の子も働いているのよ」


「そうなんですか」


「うん。軽度だから見た目ではわからないけど、他にも、生理痛がやたらと辛い子もいるいたり。だから、働くことに不安を持っているのは、倉色さんだけじゃないし、無理はせず、みんなで助け合っていきましょう。それに、従業員みんなが、働きやすい環境を整えるのが、店長わたしの仕事でもあるから」


「………」


 柔らかく微笑む美里に、あかりは胸がいっぱいになった。気を抜けば、泣いてしまいそうなほどに……


「っ……ありがとうございます」


「ふふ。じゃぁ、採用ということでいいかしら?」


 その後、あかりは、改めて美里を見つめると「宜しくお願いします」と言って頭を下げた。


 すると、美里は、書類の入った封筒を差し出しながら


「じゃぁ、雇用契約を結ぶのに、いくつか必要な書類があるから、書いて、また持って来てくれる」


「はい」


「あ。それと、中に保護者の同意書も入ってるんだけど、親御さんは、遠方にいるんだっけ?」


「え、保護者の同意書……?」


 その瞬間、あかりはじわりと汗をかいた。なぜなら、バイトをすることは、家族には話していなかったから。


「あの、親の同意は、どうしても必要ですか?」


「そうね。倉色さんは、まだ19歳で未成年だし。親の同意がないと、こちらとしては雇えないかな」


「そ、そうですよね」


「どうしたの? もしかして、バイトすること話してないの?」


「ぁ……はい。私、引越をしたくて、アルバイトを始めようと思ったんですが、一年しか住んでないのに引越したいなんていったら、きっと心配かけるし、アルバイトをすることも、反対されると思うので」


「………」


 だが、その話に、美里は小さく眉を顰める。


「どうして、引越しをしたいの?」


「そ、それは……隣の家の男性に、好意を寄せられていて」


「まぁ、もしかしてストーカー!?」


「あ、いえ! そこまで大層なあれじゃありません! それに、今は、神木さんが彼氏のフリをしてくれているので、前みたいに、しつこく家に誘われることもなくなったし、大丈夫です。だけど、いつまでも神木さんに迷惑をかけるわけにはいかないので。だから、引越しを」


「………」


 すると、ある程度、事情を察したらしい。美里は、ふむと考え、その後、またあかりをみつめた。


「倉色さん、これは店長としてではなく、母親として言うけど、引越をしたいことは、ちゃんと親に話しなさい」


「え?」


「心配をかけたくない気持ちはわかるけど、それでは、親御さんが悲しむわ」


「そうでしょうか?」


「そうよ。アルバイトを反対してるのも、心配してのことでしょう? 倉色さんは、女の子で一人暮らしみたいだし」


「…………」


 心配──それは嫌というほど分かっていた。

 家族には、これまでたくさん心配をかけた。


 だからこそ、家を出で、これ以上心配かけないよう、自立した立派な女性になろうと思った。


 それなのに……


「すみません」


「謝らなくてもいいのよ。自分で引越し費用を稼ごうなんて、とても立派だわ。でも、親の気持ちも考えてあげないとね? 採用の件は、一旦保留にしておくから、ちゃんと親と話しあって、アルバイトを許して貰えたら、また、うちにいらっしゃい。いつでも歓迎するから」


「はい、ありがとうございます」


 にこやかに笑う美里は、経営者というよりは、優しいお母さんという感じだった。


 その姿に、どことなく母・稜子りょうこを重ね、あかりは深く頭を下げた。


「それにしても、飛鳥くんが彼氏のフリをしてくれてるなんて、仲がいいのね?」


「え?」


 だが、その後、話題はあっさり切り替わる。

 そして、あかりは思い出した。


 今は目の前にいる女性は、神木さんのである、橘さんの母親だったと!!!


「あ! あの、誤解しないでください! 本当にフリだけですし、!!」


「え?」


 だが、その言葉に、美里は困惑した表情を浮かべた。

 そして、あかりは、ハッとする。


(あ! もしかして、美里さん、二人が付き合ってることを、知らなかったんじゃ……!?)

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