第351話 人気者とマフラー
「あかり!」
声をかけられ目を向ければ、そこには少し息を切らしたながら駆け寄ってくる、飛鳥が見えた。
「あれ、神木くん」
「ごめん、山岡さん! この子は、大丈夫」
「え?」
「あかりは、特別だから、追い返したりしなくていいよ」
「!?」
──特別!?
警備員と話しながら、またもや、殺し文句をぶっ込んできた飛鳥に、あかりは困惑する。
(っ……相変わらず。でも、これは友達としてって、意味だよね?)
そうだ。この人は、誰にでもこういうことを言う人。だが、あかりが、頭の中でそう言い聞かせていると、今度は警備員の男が
「え!? もしかして、この子、神木くんの彼女だったり!?」
そう言って、また話が大きくなり始め、あかりはすぐさま反論した。
「いいえ。違います! さっきも言いましたが、私は神木さんの友達です! お互いに恋愛感情なんで、1ミリもありませんし、この先もずっと友達です!! そうですよね、神木さん!!」
「え?……あ、うん……そう、だね?」
まるで有り得ないとばかりに同意を求めてきたあかりに、飛鳥も渋々返すが、心の中はかなり複雑だった。
(恋愛感情が、1ミリもない……ね)
相変わらず、人の心をグサグサついてくる。
だが、ここで否定することはできず。
「えーと……山岡さん、この子は、俺の大学の後輩で、何度か家にきたこともあるから、尋ねてきでも追い返さなくていいよ」
「そうだったのか。……失礼致しました! 神木くんの住所までつきとめてくる女の子って、時々行き過ぎたことするから、俺も気が気じゃなくて」
「……そ、そうなんですか?」
「うん。もう、芸能人並みにガードしないと大変でさ! 俺、マンションの警備員始めて、もう10年になるけど、こんなに警備員らしい警備ができるマンションはそうはないよ!」
話を聞けば聞くほど、飛鳥の人気っぷりが伺えた。
いや、まだ芸能人ならわかる。
だが、一般人でこれ?
もう、恐ろしいとしか言えない。
「じゃぁ、神木くん! 俺は、戻るね」
すると、爽やかに笑った警備員の山岡さんは、また奥の管理室に戻って行って、飛鳥は、改めてあかりに謝罪する。
「ごめん、あかり。ポスト、鍵かかってるの忘れてた」
本当に、ついうっかりだ。
べつに、新手の嫌がらせをした訳ではない。
「いぇ、別にいいです。しかし相変わらず、すごいですね。自宅にまでプレゼントが届くなんて」
「……いや、届くのはたまにだけど。ただ、自宅のポストは鍵かけとかないと、時々変なもの入ってるから」
「変なもの?」
「髪の毛編み込んだマフラーとか」
「ひっ!」
瞬間、あかりが悲鳴をあげた。
そんな呪いじみた物まで、もらってるのか!?
「か、神木さん、やっぱり、もう少し言動や行動に、気をつけた方がいいとおもいます!」
「は?」
「だって、さっきも私の事を『特別』と言ってみたり、そういう勘違いされるようなこと言っているから、そのように身の危険が及ぶような……」
「勘違いって?」
「え?」
「何をどう、勘違いするの?」
「……っ」
軽く距離が近づく。
青い瞳は相変わらず綺麗で、どこか真剣なその表情に、胸の奥がドキリとした。
「な、何をって……っ」
「あかりも、勘違いしたりするの?」
「え?」
「さっき『特別』って言われて、どう思った?」
「ッ……」
目が合えば、一度冷静になったはずの心が、また熱を持ってくる。
忘れようとしているのに、なかったことにしようとしているのに、まるで、それを許そうとしないかのように、その瞳が訴えてくる。
何度と『違う』と自分に言い聞かせても、その瞳が、その声が、それを全て否定してくる。
「ぁ……」
──嫌だ。
──嫌だ。
そんな目で、見ないでほしい。
そんなに、愛おしそうな目で、私を見ないで。
私は、あなたの「特別」になるのが、こんなにも……
「怖い……です」
「え?」
「私は……誰かの『特別』には、なりたくありません……っ」
そう言って、呟いた言葉は、今にも消えそうな声で、その瞬間、飛鳥は目を見開いた。
何をそんなに怖がっているのか、飛鳥が困惑していると、その後、あかりは、手にしていたお土産を飛鳥に押し付けてきた。
「これ、どうぞ……! 私、もう帰ります!」
「え、あかり!?」
その瞳に、涙が滲んでいるのが見えて、飛鳥は咄嗟に引き止めたが、その指先は、あっさりあかりの肩を掠めて、空中をつかんだ。
まるで、にげるように立ち去ったあかり。
そして、それを見て、飛鳥は一人困惑する。
誰かの、特別になりたくない。
そう言ったあかりは、少しおかしかった。
苦しそうに、悲しそうに、まるで自分を責めてるみたいな、そんな表情で……
(アイツ……昔、何があったんだ?)
ふと、あかりが前に話していたことを思い出した。
『私にもあるんです。忘れたくても忘れられなくて、苦しんだことが……』
忘れたくて
忘れられなくて
忘れられないまま、心の中に閉じ込めた
何か──
きっと、あかりの中にもあるんだと思った。
未だに深く根を張って取り除けない
痛みや後悔が──
(俺じゃ……力になれないのかな?)
あかりが、俺の心に寄り添ってくれたように、俺が、あかりの心に寄り添って、その痛みを、軽くしてあげることは、出来ないのだろうか?
だけど、そう思えば思うほど、近づけば近づくほど、あかりを、苦しめているようにも見えた。
「……悔しい」
好きな子の『心』ひとつ救えない。一番知りたい女の子の心が、なにもわからない。
そんな自分が、たまらなく情けなくて、悔しくて仕方ない。
「好きな子、泣かせて……何やってるんだが」
触れ損ねた手をきつく握りしめて、飛鳥は、重く呟いた。
季節は春。
世界は、桜色に色づく。
だけど、二人の世界は、全く色づく兆しを見せなかった。
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