第139話 情愛と幸福のノスタルジア⑬ ~結婚~

 

 それから、暫くがたち、ゆりと暮して一ヶ月がたった。


 あの後も、ゆりは特に変わりなく、たまにからかわれたりすることはあっても、抱きついてきたり、それらしい素振りを見せることは一切なくなった。


 本当に冗談だったのだろう。

 俺たち三人の日常は、いつも通り過ぎ去っていった。


 ただ一つ、変わったことと言えば、ゆりがバイトの面接に合格して、喫茶店でアルバイトを始めたことくらい。


 最近では、アパートの広告など見たり、俺のパソコンを使って、物件探しをしているようだった。



 ◇



「あーつかれたー」


 仕事から帰った、夕方6時過ぎ。俺は、飛鳥と二人で風呂に入っていた。


 飛鳥の髪を洗って、一通り身体を洗い流すと、二人で湯船に浸かる。浴槽の淵に首をもたれ、あーと深く息をつくと、温かいお湯は疲れた体に染み渡るようだった。


「飛鳥は、今日は保育園でなにしたのー」


「今日は、アンパン〇ン体操した!」


「あはは、可愛いー」


 子供の体を洗うのは、なにかと大変だけど、息子とこうして、なんでもない雑談するのが、また楽しかった。


「お友達と、ケンカとかしてないか?」


 何気なくした質問。だが、その後飛鳥は、怯えた顔をして、言葉を返してきた。


「……してないよ。もうケンカは、絶対しない」


(あ、しまった)


 そんな飛鳥を見て、俺は自分の言動を振り返り反省する。


 なんでも飛鳥は、ケンカをして顔に怪我をしたことが原因で、幼稚園をやめさせられ、ミサに軟禁されたらしい。


 何度、扉を叩いても出してもらえなかったと、あの日、ゆりに泣きながら話したそうだ。


 飛鳥の環境は、ここ1年で、目まぐるしく変わった。


 モデルを始め、部屋に閉じ込められて、親が離婚して


 中でも一番変わったのは、母親の存在かもしれないけど……



「飛鳥……」


 俺は、飛鳥の顔に手を触れ、その頬を撫でる。


 どのくらいの怪我だったかは知らないけど、もう跡形もなく消えてる。その後も、モデルの仕事を続けられたくらいだから、きっと、大した怪我では無かったんだろう。


 だけど、身体に傷は残らなくても、その心には、大きな傷が残った。


 そして、その、消えない傷を与えてしまったのは、他でもない


 ────俺たち「両親」だ。



「? お父さん?」

「……」


 湯船につかり、少し上気した幼い我が子の頬を撫でながら、漠然とした不安がよぎった。


 俺は、こんな深い傷を抱えた子を、ちゃんと育てることができるんだろうか?


 俺は、お世辞にも、親に愛されたとはいえない。


 正直、飛鳥に、どうやって接してやればいいのか、その愛し方も育てかたも、よく分からない。


 だけど────



「いいか、飛鳥。お前が閉じ込められたのは、ケンカをしたのが原因じゃない。確に、ケンカするのはよくないし、人を傷つけるのは、絶対にしちゃいけないことだけど、自分や、自分の大切なものを守るために、時には戦わなきゃいけないこともあるんだってことは、ちゃんと覚えとけよ?」


「……」


「だから、絶対にケンカしちゃいけないなんて、思わなくていい。お前は、男の子だしな!」


 そう言って、頭を撫でてやると、飛鳥にはまだ意味が分からなかったらしい、不思議そうに俺を見上げてきた。


 弱音なんて吐いていられない。


 たとえ、愛されてこなかったとしても、愛し方が分からなかったとしても、今、この子を守れるのは、俺しかいないから──



《侑斗、つまらない事で喧嘩するな。男が拳を振るうのは、大切なものを守るときだけでいい》


(あ……)


 瞬間、ふと自分の父親のことを思い出した。


 そういえば、俺も昔、親父から、そんなことを言われたことがあった。


 母親があんなだったから、父親がよく俺の面倒を見てくれてたけど、ある時を境に、父は急に俺によそよそしくなって、酒に溺れるようになった。


 昔は、あんなに優しい父だったのに、なんで、父は変わってしまったんだろう。


「あ! そうだ!」

「?」


 すると、物思いに耽っていた俺に向かって、飛鳥が明るい声を発した。湯船にはったお湯がぴちゃんと跳ね、飛鳥が俺の前に乗り出す。


「あのね! 俺、ゆりさんと結婚したい!」

「んん!?」


 いきなり告げられた飛鳥の言葉に、俺は目を丸くする。


「は? 結婚!? いやいや、お前、何言ってんの?」


「だって、ゆりさんと結婚したら、ずっと一緒にいられるんでしょ?」


 キラッキラの笑顔で、ドヤ顔を決め込む息子をみて、俺は顔をひきつらせた。


 これは、あれかな? 園児が幼稚園の先生に「ほく、先生と結婚するー」とかいう、あの現象かな?


 しかし、なんだこの笑顔、めちゃくちゃ眩しい!


(これは、将来、絶対人を誑し込むな。まずいぞ。マジでしっかり育てないと、女の家を渡り歩くゲスな男に育ったら大変だ……!)


 飛鳥の顔を凝視して、俺は更にその顔を曇らせた。


 しかし、なんだろう。

 改めて見れば、ウチの子、なんでこんなに美人なんだ?


 確かに母親が美人なんだけど、母親とも、なんかオーラが違う。


 華やかっていうか、愛くるしいというか、髪から水が滴る姿すら、なんか絵になる。まだ4歳なのに!


 これは、あと10年もすれば、水も滴るいい男になるのではなかろうか?


 てか、ウチの子、多分よその子と全然違う!

 まず見た目が違う!


 え? 俺、こんな美人で、天使で、イケメンで、心に闇抱えた子、1人で育てるの?


 タダでさえ育て方が分からないのに、なんでこんな俺に、ここまで高いハードルが課せられているのだろうか?


「ねぇ! ゆりさんと結婚してもいい?」

「よくない!!」


 すると、またまた飛鳥から結婚の二文字が飛び出して、俺は我に返った。


「あのな、飛鳥。男は18歳にならなきゃ、結婚できないんだよ。お前はまだ4歳だろ」


「え!?」


 まるで、信じられないとでも言うように、酷く飛鳥。なに、驚いてるんだ。マジでゆりと結婚するつもりでいたのか、この子は……


「そっか……俺じゃできないんだ。じゃぁ、お父さんならできる?」


「は?」


「俺が出来ないから、お父さんが、ゆりさんと結婚して!」


「いやいやいや! 俺、最近離婚したばかりなんだけど!? しかも相手女子高生とか、確実に未成年に手出して、妻においだされたクズに見えるだろ!? 絶対、あれこれ噂されて、肩身狭い思いするやつだろ!? 無理、絶対無理!?」


「俺はいいよ!」


「は?」


「ゆりさんと結婚してくれたら、俺は、お父さんがクズでもいい!」


「クズでもいいってなに!? お前はそのクズに、育てられるんだぞ、わかってる?」


 さすが、園児。

 世間体とか全くお構い無しだ。


「ゆりさんのこと嫌いなの?」


「いや、嫌いではないけど……っ」


「じゃぁ、好きだよね! なら、できるよね、結婚!」


「なんで、二択しかないの!?」


 嫌いじゃないなら、結婚しろと?!

 どんな、無茶ぶりだ!?


「あのな、好きにも色々あるんだよ。そんなに簡単に結婚とか、決められないの!」


「えー! じゃぁ、俺が18歳だったら良かったの?」


「まーそうだな。だから諦めなさい」


 すると、再び残念そうな顔をする飛鳥を見て、俺は深くため息を付く。


(そういえば、ゆりも今18……だっけ)


 18歳──その言葉に、ゆりを思い出せばら同時にあの夜のことも思い出した。


『私……もう、子供じゃない!』


 そう言ったゆりの姿は、確に「子供」ではなかった。抱きつかれたときの肌の柔らかさも、あの時の表情も──確かに「女」だった。


 最近まで高校生だったから、子供という印象が強かったけど、よくよく考えてみれば、ゆりはもう、結婚だって出来る年齢なわけで……


「ゆりさんと、ずっと一緒にいられたらいいのに……」


 すると、飛鳥がまたそう言って


「お前なぁ、なんでそこまで、アイツに懐いてるんだ」


「だって、ゆりさんといると楽しいし、それにね、ゆりさんこの前、泣いてたんだ」


「え?泣いてた?」


「うん、夜中に、少し泣いてたの見た……夢だったかもしれないけど」


「…………」


 泣いてた?


「……それ、いつ?」


「えっと、この前ゆりさんのお祝いした、少し前」


 まさか、あの日……じゃ、ないよな?


 あれ?もしかして、オレが泣かした?

 やっぱり、怖がってた?


 いや、でも冗談だって、言ってたし……


『私……侑斗さんのこと……っ』


 そう言えば、あの後、ゆりはなんて言おうとしたんだろう。


 もし、あの言葉の先に───



(いやいや、そんなことあるわけないよな。だって俺、もう30だし。歳だってかなり離れてるし。おまけに離婚したてのバツイチ子持ちだぞ? そんなこと、あるわけ……)


 冷静に物事を考えようと、俺は目を閉じた。


 確かに、ゆりのそばにいると不思議と気持ちが楽になる。だけど、あの子は、やっと親元を離れて、これから先、自由に暮らせるんだ。


 義父に怯えることもなく、未来に羽ばたいていける。それに、今の飛鳥に、そんな出来もしない期待、持たせちゃいけない。


「飛鳥!」

「?」


 俺は、シュンとしている飛鳥の肩をつかむと、真剣な表情で、飛鳥を見つめた。


「いいか、飛鳥。ゆりは、あくまでも居候なんだ。仕事や住むところが見つかれば、いずれは」


 そう、いずれは──出ていくことになる。





 ◇


 ◇


 ◇



 そして───


「飛鳥~もう一緒の布団でねてあげられないなんて、寂しい~! このまま連れて帰りたーーい!」


「こら、人の子誘拐する気か?」


 それから暫くたった、4月初旬。


 2月中旬から一緒に過ごした3人の生活も、ついに終わりを迎え、ゆりが出ていくことになった。


「アパートの保証人俺がなっといたけど、くれぐれも、滞納するなよ」


「失礼~そこまで、不義理じゃないよ!」


「ゆりさん、また来てくれる?」


「うん。また来るね」


 引越しを全て終えて、荷物を持つと、ゆりは玄関に立つ。


「それでは、飛鳥、侑斗さん。短い間でしたが、大変お世話になりました!」


 ──今まで、本当にありがとう。


 そう言って、いつもと変わらない笑顔を浮かべたゆりは、笑って出ていった。


 だけど、その後、ゆりが、我が家に顔をだすことはなかった。

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