第368話 涙と鼓動


 顔を上げた瞬間、飛鳥と目が会い、あかりは不意に涙を流した。


 まるで、心が縋りつこうとしているように、自分の意に反して流れた涙に、あかりは息を飲む。


 あ、ダメ。

 こんなところ、見られたら──…っ



「ぁ……ッ」


 咄嗟に、両腕で顔を隠した。

 こんな姿を見たら、彼は何を思うだろう。


 だが、飛鳥は、すぐさまあかりの腕をつかむと、隠そうとした、あかりの顔を更にのぞき込んできた。


「なんで、泣いてんの?」

「……っ」


 海のように深い瞳が、あかりの瞳を射抜くように見つめた。


 真剣な瞳と、凛々しい表情。


 その姿に、思わず顔を背ければ、それ見て、飛鳥は更に眉をひそめる。


「どうしたの。なにかあったの?」


 その優しい声に、涙はさらに止まらなくなる。


 だが、昔のことは話したくない。


 それに、彼をみて、安心して泣いてしまったなんて、そんなこと絶対に知られたくない。


「い、石が激突しました!」


「は?」


「じ、実は、なれないパンプスを履いていたせいで、つまづいて転びそうになりまして、ギリギリ転ぶのは回避したのですが、その時、たまたま小石を蹴りあげて、目に直撃してしまい、痛くて泣いてしまったわけです!! そう、ただ、それだけです!」


「………」


 泣いていた経緯を、これでもかと力説する、あかり。


 だが、それを聞いて、飛鳥は複雑な表情をうかべた。


(小石が、激突した?)


 本当だろうか?

 本当なら、ミラクルに運が悪い。


「目、見せて」

「え?」


 すると、飛鳥が更に顔を近づけ、あかりの瞳を覗きこんだ。


 近い距離でジッと見つめれば、あかりの目や顔に、腫れや傷がないかを観察する。


 見る限り、どこにも怪我はないようだった。

 だが、その瞳には溢れそうなほど涙が溜まっていて、その濡れた瞳に、妙に心が締め付けられた。


(本当に、大丈夫なのかな?)


 だが、そんな飛鳥に、あかりの方は、かなり参っていた。


(ち、近い……っ)


 目の中を確認するためとはいえ、あまりにも近い距離に、鼓動は自然と早くなった。


 だいたい、こんな路上で見つめあって、なにをしているのか?


 しかも、相変わらず顔が綺麗すぎる!


 これは、ただの友達でも、まともに直視できないレベルだ!!


 なにより、少し前までは、どんなに距離が近づいても、一切、ときめかなかったのに、どうして今は、こんなにドキドキしてるのだろう。


「あ、あの、神木さ」


「動くな。ちゃんと俺の目、見てて」


「ひぇ!?」


 思わず、変な声が出た。


 目を見てろ!?

 その宝石みたいに綺麗な瞳を!?


 だが、これ以上は耐えられず、あかりはすぐさま話題を変えた。


「な、何でこんな所にいるんですか!?」


「え、なんでって……」


「だって、土日は、あまり外に出ないといってたので」


「あぁ……に、忘れ物を届けに行ってた」


「え?」


 だが、その後聞こえた言葉に、涙が引っ込むくらいの衝撃を受けた。


 あかりは、ミサの入院中、飛鳥が一度も会いに行かなかったのを知っていた。


 いや、行けなかったのだ。

 それなのに──…


「み……ミサさんに、会ったんですか?」


「……うん」


 見つめあったまま、拙くも肯定的な返事を返した飛鳥に、あかりは違う意味で泣きそうになった。


 少しづつでも、確実に歩み寄れているのだろう。


 この二人は──…



「そう……ですか、よかった」


 その変化に自然と胸が熱くなって、泣いていた顔が、花のように綻んだ。


 すると飛鳥は、そんなあかりを見て


「お前な、俺の事より、今は自分の目を心配しろよ。タオル冷やして持ってくるから、待ってて」


「え!?」


 だが、そう言って立ち上がろうとした飛鳥を見て、あかりは咄嗟に飛鳥の腕を掴んだ。


「だ、大丈夫です! 冷やさなきゃいけないほど直撃してないし!(ていうか、嘘だし!)もう、全く痛くないですから!!」


 嘘をついてしまったことが心苦しい。だが、大丈夫だと伝えれば、飛鳥は、呆れつつ、またあかりに視線を合わせる。


「そう……ならいいけど。しかし、転びかけた拍子に、自分で小石蹴りあげて目に激突するって、どんだけドジなの?」


「ッ……すみませんね、ドジで! それより、神木さんこそ、よく私だって分かりましたね。今日はスーツを着てるのに」


「え?」


 瞬間、あかりが、不思議そうに飛鳥を見上げた。


 今日は面接を受けたから、たまたまスーツだったが、普段、あかりがスーツを着ることはほとんどない。


 そんな中、後ろ姿だけで自分に気づいた飛鳥に、あかりは疑問に思ったらしい。


 だが、それを聞かれた飛鳥の方は、珍しく、言葉に詰まる。


「えっと……それは……っ」


 それも、そのはず、まさか、姿なんて、面と向かって言えるはずがない!!


「えーと……何となく、あかりっぽいなっておもって、背丈とか髪の長さとか」


「へー、やっぱり神木さんのって凄いですね!」


「え?」


「だって、前も、私の耳が片方聞こえないことにすぐ気づきましたし、今度は、後姿だけで、私のことわかっちゃうなんて! 本当、探偵並みの洞察力ですね!」


「…………」


 ニコニコと可愛らしい笑顔を向けたあかりに、飛鳥はこれまた複雑な表情を浮かべた。


 まさかの洞察力で、全て解決されてしまった!


(本当、わざとらしいくらい気づかないな)


 付き合ってみる?なんていっても響かないし、それなりに態度でも示してもいるのに、あかりは、全く気づかない。


 いや、本当に気づいてないのだろうか?


 あかりは、こう見えて察しがいい。

 人の気持ちには、とても敏感なタイプだ。


 なぜなら、自分の触れられたくなかったところに


 認めたくなかった『弱さ』に


 的確に、触れてきたのだから……


(もしかして……気づいていて、気づかないフリしてるとか?)


 もし、そうなら、完全にフラれたようなものだが……


「すみません、心配かけて。もう大丈夫です」


「……!」


 すると、あかりが立ちあがり、飛鳥に笑いかけた。


 スーツ姿のあかりは、普段より大人っぽく見えて、自分だって、来年には社会人になるのに、なんだか少しだけ先を越されたような気がした。


「あかり、面接、受けてきたの?」


 すると隆臣から、今日が面接日だときいていた飛鳥が、立ち上がりつつ問いかけた。


 結果はどうだったのだろう。

 少しだけ気になった。

 とはいえ、落ちるとは思ってないが


「無事に、受かった?」


「え、それは……っ」


「ん? まさか、落ちたの?」


「お、落ちてはいません! ただ、親にバイトをすることいってなかったので、親の許可をもらってきなさいと」


「許可?」


 その話に飛鳥は、目を丸くする。


「はぁ!? お前、許可もらってなかったのかよ!?」


「だ、だって、アルバイトしたいなんていったら、絶対反対されますし! でも、お引っ越しはした方がいいし」


「でも、それ俺のためだろ?」


「え?」


「俺に、いつまでも恋人のフリさせられないから、引っ越そうとしてるわけだろ。でも、前もいったけど、無理に引っ越す必要ないよ。大野さんからは、俺が守ってやるし」


「……っ」


 これまたストレートに、女子を惑わすような言葉をぶっ込んできた!!


 だが、改めて『守ってやる』などと言われ、あかりは、また例の美里の話を思い出す。


(結局、神木さんと橘さんて、なの?)


 付き合ってるの?

 付き合ってないの?


 こうなったら、本人に直接聞いた方がハッキリするのかもしれない。


 あかりは、そう思うと


「あの、神木さん」


「ん?」


「神木さんて、?」


「は?」




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