第322話 天使とお願い

「ねぇ。飛鳥さん、今頃どうしてるかな?」


 午後10時を過ぎ、華の部屋で、エレナが髪を乾かしながら、そう言った。


 机に向かっていた華は、その言葉に、ふと兄のことを思い出す。


 兄がでかけたあと、神木家は


 いつもと同じように、夕飯を終え

 いつもと同じように、お風呂に入り

 いつもと同じように、寝る時間になった。


 だけど、いつもと変わらないその生活に、いつもいるはずの人がいないのは、ちょっぴり落ち着かない。


「うーん、どうしてるかなー? また変な酔い方してないといいけど」


「あはは、酔った飛鳥さん、可愛かったね」


「ホント! 男のくせに、女の私より可愛いなんて!」


 昔から美人で、女の子みたいな兄で、人々を魅了しまくってきたが、酔うと更にとんでもない事になる。


 まず、色気が半端ない。

 そして、毒気が一切なくなる。


 さらに、話す言葉が、素直すぎる上に甘すぎる!


 そんなわけで、直視すると周りにいた者は、かなりの深手を負ってしまう。


「飛鳥兄ぃ、なんで、あんなに弱いんだろうー」


「うーん、そう言えば、うちのお母さんもお酒弱かったけど、飛鳥さんほどじゃなかったなー」


「ねー、うちのお父さんも、弱くないしなー」


 エレナがボソリと呟くと、華も自分の父を思いうかべながら、同調する。


 本当に、誰に似たのか?


(うーん、隆臣さんがいるし、大丈夫だとは思うけど、なんだか心配だなー)









 第322話 『天使とお願い』









 ***


 そんなわけで、華も心配している飛鳥サイドですが……


「神木くん、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫。これ、美味しいねー」


 お酒のグラスを片手に、にこやかに笑う飛鳥。


 そうです!

 全然、大丈夫じゃありませんでした!


(飛鳥、相変わらず、弱ぇな……)


「神木くん、本当に大丈夫ですか? なんか、フラフラしてますけど」


「……ん、大丈夫。武市くん、これもう一杯ちょうだい」


 可愛らしくグラスを差し出す飛鳥に、大河が顔を赤らめ、隆臣が顔を青くする。


 あのあと、料理もできて、みんなで鍋をつつきあいながら、お酒を飲み始めた。


 それから暫くは、大学の話しやら、進路の話しやら真面目な話もしたが、その後、急にスイッチが切れたらしい。


 二時間後には、まさに無防備で素直すぎる、産まれたての子鹿が出来上がっていた。


「飛鳥! お前、もうやめとけ」


「えー……でも、今日は、俺の誕生日祝ってくれてるんでしょ? そんな意地悪言わないでよ」


「……っ」


 弱々しく、とても潤んだ瞳で見つめられ、隆臣は息をつめた。


 見た目が綺麗だからか、こうなると、マジでタチが悪い。


「わかりました! 神木くんが、飲みたいなら、俺いくらでもつぎます!」


「わーい、ありがとう! 武市くん、大好き♡」


「だ、だだだ、大好き!? 橘、聞いた!? 神木くんが俺のこと大好きって!」


「……そうか、よかったな。(大丈夫か、これ?)」


 飛鳥にお酒を注ぎながら、泣き叫ぶ大河を見て、隆臣は不安げに眉をひそめた。


 なぜなら、飛鳥に従順すぎる大河がいるせいで、飛鳥の酔いが、更に回っていくからだ。


「大河。飛鳥マジで酒に弱いんだから、ほどほどにしろよ」


「わかってるよー! それはそうと、今の神木くんなら、何でも聞いてくれそうじゃない?」


「は?」


「だから、日ごろ聞けないこととか、してもらえないこととか、頼めばなんでもしてくれそう!」


「………何でもって」


 その言葉に、隆臣は再び飛鳥を見つめた。


 いつもの威圧感というか、警戒心が全くなくなった飛鳥は、まさに天使だった。


 頬は赤く染まり、熱いからと、第2ボタンまで外したシャツからは、白い肌が見えていた。


 その上、どこか間の抜けた笑顔を浮かべる飛鳥は、確かに、大河の言う通り、何でもしてくれそうではある。


 のだが──


「お前、飛鳥に何させる気だ?」


「だって、こんな機会滅多にないし! 日頃できないことをしてほしい時には、相手の機嫌がいい時に限る、これ鉄則!」


「いや、機嫌がいい時って……」


 機嫌がいいんじゃなくて、酔って、正常な判断がつかなくなってるんだが?


 え? 大丈夫か、コレ?


(いやいや、いくら酔ってるからって、さすがに何でも聞くわけが)


「神木くん! 今から、俺のお願いきいてくれますか!」


「ん、いいよー。なんでも言って?」


「!?」


 だが、飛鳥は、自ら、なんて言い出した。これには、さすがの隆臣も慌てた。


 だって、男だって知りながら、こんなに飛鳥のことが大好きな大河のお願いだ。


 前だって、女装姿を見たいと言われ、メイド服まで着せられていたのに、次は何を言われるか!もう、嫌な予感しかしない!!


「おい、飛鳥!」

「……わッ!?」


 ──バシャッ!


 だが、隆臣が目を覚まさせようと、飛鳥の肩を掴んだ瞬間、飛鳥が手にしていたグラスが、するりと滑り落ちた。


 そして、それは見ごと飛鳥の服にかかり、着ていた服を、びしょびしょにしてしまった。

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