第204話 不在と連絡

 

 紺野家の自宅前にて、乗用車が一台停まった。


 狭山さやまは、一度、時刻を確認すると、運転席から降り、玄関前の階段をあがる。


 今の時刻は、9時半。そして、オーディションの開始時刻は、午後1時。


 だが、会場までは、一時間程かかるため、10時に集合したとしても、着くのは11時。


 それから、早めの昼食をとらせ、最終確認などの時間も合わせると、自ずと朝は早くなる。


 ピンポーン!


 その後、玄関の前に立った狭山は、インターフォンをならした。母親のミサは、もう出社しているため、中にいるのはエレナに一人。


「あれ?」


 だが、その後、しばらく待つが、中からエレナが出てくる気配はなく……


(……いやいや、まさかな?)


 漠然とした不安が過ぎる中、狭山は二度目のインターフォンをならした。


 ピンポーン……ピンポーン!


 だが、待てど暮らせど、エレナは出てこない!


「おいおい、嘘だろ!? エレナちゃん! ごめん、いるなら開けて!」


 瞬間、狭山はドアを叩き、中に呼びかけた。


 だが、それでも中から応答はなく、狭山はすぐさまポケットからスマホを取り出すと、その後、エレナに電話をかけた。


 だが、その先は、ひたすらコール音が鳴るだけで──


(っ……もしかして、家にいない?)


 家の中は、シンと静まり返っていた。

 人がいる気配は、全く感じない。


 そして、ここ最近のエレナが酷く思いつめていたのを、狭山は気づいていた。


 それ故に、いつか限界が来るのではと、危惧していたが、そう思いつつも、狭山はなにもすることが出来なかった。


(っ……どうする?)


 オーディションの時間は、刻々と迫る。


 だが、エレナだって、今日まで必死になって頑張ってきた。


 実力があるのも確かだ。


 それに、先日「モデルが好きか」と聞いたら、エレナは「モデルになりたい」と返した。


 今日、オーディションを受けなければ、その苦労は全て水の泡になる。


(そんなこと、させられない……!)


 無駄になんて、させたくない。


「とりあえず、ミサさんに!」


 娘がいなくなった。ならば、やはり母親に連絡するのが筋だろうと、狭山は電話帳の覧から「紺野 ミサ」の表示を見つけ出すと、続けて、ミサに電話をかける。


 だが、発信ボタンを押す直前、狭山は思いとどまった。


 確かに、エレナは今日まで、ずっと頑張ってきた。だけど、あの日、事務所で初めてエレナを見かけた時から感じていた、ある違和感。


 それを思い出して、狭山は躊躇する。


 確信があるわけではない。だけど、あの子はきっと──




 






「あー、くそ!」


 わしゃわしゃと髪を掻き乱すと、狭山は再び、電話の発信ボタンを押した。


 コール音に耳を傾け、暫くして相手がでると、狭山は慌てた口調で語りかけた。


「あ、坂井さかいさん! エレナちゃんちょっと遅れそうなんで、集まったら先にいっててくれませんか? はい、はい。すみません!」


 エレナのことをミサに伝えることなく、狭山は同じ担当の坂井に電話をかけると、遅れる旨を伝えた。


 その後、電話を切ると、狭山はエレナの家を見上げ、苦々しげに眉をひそめた。


 きっとあの子は、母親の重圧に必死に耐えながら、それでも母親の期待に答えようと、自分の意志とは真逆のことを、ずっとずっと続けてきたのかもしれない。


(とにかく、エレナちゃんを探さないと……っ)


 狭山は、再び車の中に乗り込んだ。


 だけど、見つけたあと、どうするべきかは、全く分からないままだった。






 ◇


 ◇


 ◇



 その頃、飛鳥はいつもとは違うスーパーに買出しに出かけていた。


 まだ、朝9時半だからか、人通りは少なく、すれ違うのはジョギングをする男性や、犬の散歩をする女性くらいだった。


 今日は、買い物さえ終わってしまえば、夕方まで蓮華はいない。


 ならば、午後からはゆっくりできそうだと、飛鳥は、スタスタと歩きスーパーまで急ぐ。


(あ……そう言えば、新しく出来たスーパーって、あかりの家に近いんだな)


 その後、念のためスーパーの道筋を確認すると、そこはどうやら、あかりの家に近いようだった。


 初めて行くスーパーだが、飛鳥とてこの辺りは、中学生の頃、通学路として利用していたので、知らない地域ではない。


 飛鳥は、前にあかりと共に歩いた大通りを抜けると、その後、閑静な住宅街に入った。


 細い路地を歩き、その先を曲がる。


「……!」


 すると、その瞬間、手前から女の子が走ってくるのが見えて、飛鳥は思わず足を止めた。


 自分とをした上に、顔立ちもよくにた女の子。


(あの子──)


 息を切らしながら、こちらに向かってくる少女は、紺野 エレナだった。


 『あの人』の『娘』であり、自分と血を半分、分けているであろう、自分の──


 そう、思った瞬間、こちらに気づいたエレナと目が合った。


 一瞬、戸惑うような視線を向け、それでも速度を落とさず走ってくるエレナは、何かから必死に、逃げているようにも見えた。


 そして、次第に距離が近づき、そのまま何事もなくすれ違うのかと思った、その時──


「キャ──ッ!」


 突然、エレナが声をあげた。


 足を取られたのか、つまづいた拍子に前のめりになった身体は、勢いよくアスファルトの上に倒れそうになる。


 ガシッ──!!


 だが、その寸前、エレナの体は力強い腕に抱き抱えられた。


 転びかけた身体を、間一髪、抱き止めたのは飛鳥だった。そして、ぎゅっと抱きつくような体勢でしがみついたエレナは、大きく目を見開く。


「ぁ……っ」


「…………」


 再び視線が合えば、二人の間にはなんとも言えない空気が流れた。


 自分の腕の中にすっぽり収まった《妹》の体に怪我がないのを確認した飛鳥は


「君、モデルしてるんでしょ? 怪我なんてしたら、色々、大変なんじゃないの?」


「……っ」


 その言葉に、エレナは涙目の瞳を、さらに潤ませた。


 そして、その姿が、幼い頃の自分と重なって、飛鳥は酷く切なげな表情で、エレナを見つめた。


 ずっと、気になっていた。


 この子が、今



 どんな環境に置かれているのか──…


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