第313話 クリスマスと初恋


 あれから、アパートに帰宅したあかりは、夕食を済ませたあと、お風呂に浸かっていた。


 乳白色の水面を見つながら思い出すのは、昼間、彼が言った、あの言葉。


『──これからも、ずっと俺の隣にいて』


 鼓膜に直接響いた声に、全身が熱くなった。


 誰にも聞かれないように、自分にだけに囁かれた言葉が、何度と頭の中を駆け巡る。


(……神木さん、なんで、あんなこと)


 水面が揺らぐと、あかりは顔を真っ赤にして俯いた。


 正直、驚いた。

 あんなことを言われるなんて思ってなかった。


 だが、相手に、あんなセリフを平気で耳打ちしてくるなんて、いくらなんでも自覚がなさすぎる。


(あんなこと言われたら、みんな勘違いしちゃうよね……)


 人を好きになれないなんて言いながら、人を引きつける魅力に溢れた人。


 その上、誰にでも優しくて、誰からも愛されて、見た目だけじゃなく、その中身すら


 ──眩しい人。


 そんな人に、あんなことを言われたら、普通の女の子なら、きっと勘違いしてしまう。



 まぁ、自分は



 勘違いなんてしないけど───




(……今度会ったら『思わせぶりなこと言わない方がいいですよ』って、それとなく注意してあげたほうがいいのかな? でも、さすがに、それはお節介すぎる気も)


 飛鳥のことを思い出しながらも、あかりはじっくり体を温めると、その後、お風呂から出て、部屋着に着替え、ドライヤーで、髪を乾かし始めた。


 クリスマスだと言うのに、この日も、普段と変わらない夜だった。


 だが、これでいい。

 特別なことはしなくていい。


 なぜなら、このために、実家には帰らなかったから……


「?」


 だが、その後、リビングに戻ると、着信が1件入っているのに気づいて、あかりはスマホを手に取った。


 着信は、母の携帯から。ベッドの上にあがり、壁を背もたれ代わりにして寄りかかると、あかりはそのまま電話をかける。


「もしもし」

『あ、姉ちゃん』


 電話先から聞こえてきたのは、母ではなく、弟の理久りくだった。


 理久はエレナと同じ小学4年生。まだ声変わりのない可愛らしい弟の声に、あかりは自然と表情をゆるませる。


「久しぶり、理久。どうかした?」


『どうかしたじゃねーだろ! 今日クリスマスだぞ! 姉ちゃん、一人で寂しがってるんじゃないかと思って……』


 その言葉に、あかりは小さく苦笑する。


 今までのクリスマスは、毎年、親や弟とすごしていた。だから、こうして一人で過ごすのは、初めてのことだった。


 それ故に、理久は姉を心配して、こうして電話をかけてきたのだろう。


「大丈夫。寂しくないよ」


『でも、今一人なんだろ?』


「そうだけど、案外、一人って気楽なのよ。遅くまで本読んだりスマホいじってても怒られないし、好きなもの食べて、好きなことできるし!」


『……なんだよ、それ。寂しがってると思って電話したのに』


 少し不貞腐れた弟の声に、あかりは、そっと目を閉じる。


「ありがとう、理久。わたしなら大丈夫だから、理久はお父さん達と、楽しいクリスマスを過ごしてね」


 普段と変わらず、明るく返事を返したのは、絶対に、気取られたくないから。


 特に──家族にだけは。



「あ、そうだ。いつも送って貰ってる紅茶、次はすこし多めに送ってほしいの。理久、お母さんに頼んでおいてくれない?」


『紅茶? あー、有馬さんちのやつ?』


「うん。お友達が気に入ったみたいなの」


『へー、なんだかんだ、楽しくなってんだな』


「うん……だから心配しないでね」


 そう言って、あかりが優しく語りかければ、理久は、分かった~と声を発して、電話を切った。


 こじんまりとした部屋の中には、自分一人。


 あかりは、ベッドの上にスマホを置くと、ふと部屋の中を見回した。


 テレビも音楽も付けず、クリスマスツリーすらない部屋の中は、やたらと静かだった。


「寂しく、なんて……」


 寂しくなんて、ない。


 寂しいなんて、思っちゃいけない。


 ここを、乗り越えないと


 一人で生きていくなんて



 絶対に、できないから──…




「……大丈夫」


 何度とそう呟いて、膝を抱えて疼くまったあかりは、キュッと目を閉じた。


 大丈夫、大丈夫。

 きっと数年経てば、これが当たり前になる。


 そしたら、──



 ──トゥルルルル。


「……?」


 瞬間、電話の音が響いて、あかりはうっすら目を開けた。


 また理久だろうか?──そう思い、スマホに目を向ければ、そこには"見知らぬ番号"が表示されていた。


 知らない番号からの着信。だが、それは暫く鳴り響いた後、あっさり切れた。


「……え? なに?」


 一瞬焦った。どこからだったのか?

 あかりが、安心しつつも、再びスマホを手に取ると


 ──トゥルルルル!


「きゃ……!?」


 その瞬間、また電話がかかってきた。


 さっさと同じ番号だ。だが、今の時刻は夜の10時すぎ。こんな時間にかかってくるなんて──


(だ、誰だろう……?)


 だが、2回もかかってきたため、もし知り合いで、急ぎの用事とかならどうしようと、あかりは困り果てる。


(で、出た方がいいのかな……っ)


 ──トゥルルルル。


 そして、なかなかやまない着信音。するとあかりは、怪しいヤツならすぐに切ろうと決めて、その電話に出てみることにした。


「………は、はい」


『もしもし、あかり?』


「え?」


 恐る恐る電話に出れば、電話先から聞こえてきたのは、ひどく聞き覚えのある声だった。


 高からず低からず、耳に心地の良い青年の声。

 それは──


「神木さん……?」


『お前さ、なんで知らない番号からの電話にでてんの?』


「っ……じゃぁ、2回もかけないでくださいよ!」


『あはは。ごめんごめん! でも、2度かければ、あかりなら出ると思ったんだー』


 いつもの飄々とした笑い声が響いて、あかりはスマホを握る手に無意識に力を込めた。


 なぜだろう。


 不思議とその声は、冷たい部屋の中を、ゆっくりと温めていくようにすら感じた。


「あの……どうしたんですか、急に……」


『あー、それ』


「え?」


『それ、だから登録しといて』


「……!」


 瞬間、飛鳥が続けざまにそう言って、あかりは再びスマホに目を向けた。


 と、言われ目にしたのは、090から始まる知らない番号。


(あ、そっか、これ……神木さんの)


 連絡先──


「あれ。でも、どうして私の……」


『あ、ごめん。さっきエレナから聞いて勝手にかけた。迷惑だった?』


「いえ、迷惑だなんて。……私も、神木さんの連絡先、知りたいと思っていたので」


『………そっか』


 電話先から聞こえた声は、不思議と優しかった。


 多分、それは、いつも以上に──



「神木さん、ご家族と一緒じゃないんですか?」


『一緒だよ。でも、今みんな人生ゲームに夢中でさ。俺は一番でゴールしちゃったから、抜け出してきた』


「人生ゲーム? 楽しそうですね」


『うん。久しぶりにやったら、思ったより楽しかったよ。華と父さんがしょっちゅう罰ゲームに引っかかって』


「それなら、別に抜け出さなくてもよかったのでは? 見てるだけでも楽しそうですし、連絡先なら、エレナちゃんから伝えてもらっても」


『うん。でも、あかりが一人で寂しがってるんじゃないかと思って』


「……っ」


 まるで見透かすようなその発言に、あかりは目を見開いた。


 寂しくなんて、ない。

 寂しいなんて、思っちゃいけない。


 それなのに───



『あのさ、昼間のことだけど……』


「え?」


 すると、その後また声が響いて、あかりは、あの言葉を思い出した。


 ずっと隣に──そういわれた、あの時のことを。


「あ、あの……神木さん、あーいうのは……っ」


『明日でもいい?』


「はい?」


『だから「遊びに行っていい?」ってあれ、でもいい?』


「あ、明日!?」


 それはあまりにも予想外の言葉で、あかりは酷く驚いた。


 確かに、エレナと一緒に遊びに行っていいかと聞かれ、約束をした。


 だけど……


「あ、明日なんて、急に言われても……っ」


 困惑し、あかりは、改めてカレンダーに目を向けた。


 明日の日付は──12月25日。


(あ……明日まで、クリスマスなんだ)


 すると、先程飛鳥が「一人で寂しがってる」と言ったのを思い出して、あかりは、小さく唇を噛み締めた。


(だから……明日、なの?)


 私が、一人で


 クリスマスを過ごさない寂しくないように──?




『明日、予定あるの?』


「え? あ、いえ、予定は……ない……ですけど」


『じゃぁ……明日のクリスマス、俺たちに付き合ってよ』


「…………」


 その言葉に、あかりは躊躇する。


 一人は──寂しい。そんなのわかってる。


 でも、それを乗り越えるために、今こうして、一人で暮らしている。


 それなのに、どうして、こんなにも──


「神木さんて……やっぱり、なんですね」


『え?』


「いぇ、前に長男らしくないなんて言いましたが、やっぱり神木さんって『お兄ちゃん』っぽいなって……私みたいな相手にもすごく面倒見がよくて……だから不思議と」



 ──不思議と、甘えたくなってしまって。



『不思議と……なに?』


「いぇ……あの、明日」


『うん……』


「明日……待ってます……来てくれるの」



 小さく小さく──


 だけど、確かに聞こえたその声に、飛鳥は自然と笑みを浮かべた。


 待ってる──そう言われたことが、なんだか、とても嬉しかったから。


『うん、じゃぁ……明日、会いに行くから』


 その後、二人言葉を交わすと、それからまた他愛もない話をして、電話を切った。


 思ったより、長話してしまった。


 シンと静まり返った部屋の中。あかりが再びその部屋を見回せば、そこは、さっき何も変わらないはずだった。


 だけど──


(なんでだろう。もう……寂しくない)






 ◇


 ◇


 ◇



 その後、電話を切ったあと、飛鳥はベッドの上に、ドサッと倒れ込むと、一つ深めの息をついた。


「俺は……あかりのになりたいわけじゃないんだけどな?」


 ボソリと呟いて、再びスマホの画面を見つめる。「倉色くらしき あかり」と名前が登録された新しい携帯の番号。


 それを見て、飛鳥は苦笑する。


 昼間の華の話は、少しだけ堪えた。あかりが、絶対に好きにならないと言っていたと聞いて。


 でも、わかっていたはずだった。


 あかりが、俺のことを友達としか思ってないのは。


 なぜなら、俺だって、そうだったから──



 お互いに、恋愛感情がなかったから『楽』だった。



 ただ、隣にいてほしいだけなら


 ただ、話を聞いてもらうだけなら



 このまま、友達同士でもいいはずだった。



 それなのに──





 今はもう



 それだけじゃ、我慢出来なくなった。





「ごめん、あかり……俺、お前のこと──好きみたいだ」




 苦しそうに囁いて、飛鳥はそっと目を閉じる。






 ──聖なる夜。



 初めて芽生えた感情に戸惑いながらも


 夜は、変わらずに更けていく。



 まるで、雪のように


 深々と降り積もるこの思いが



 この先、報われるかどうかは


 わからないけど




 それでも



 もう、後戻りは出来ないと思った。






 なぜなら



 知ってしまったから──






 こんなにも、激しく脈打つ







 君への








 『恋心』を──












 第2部・終












✼✼✼



 皆様、いつも応援頂き、誠にありがとうございます。今回で、第2部が完結となります。


 このあと、第3部は恋愛メインの話になりますが、少しお休みして、2月中旬頃から、また再開したいと思っております。


 それまでは、番外編などを更新する予定ですので、またおバカなお話をお楽しみください。


 また、気がつけば300話越え。長いお話になっていますが、ここまで、追いかけてきて下さり、本当にありがとうございます。


 第3部では、お兄ちゃんの恋がどうなるのか、ハラハラキュンキュンしてくださいね(笑)


 それでは、皆様、今後とも「神木さんちのお兄ちゃん!」をどうぞよろしくお願いします。これからも頑張りますね。



 雪桜




 

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