第523話 ピアノと楽譜


「今、何か聞こえなかった?」


 二年生の教室を制覇し、特別棟にやってきた飛鳥は、音楽室の前でぴたりと足を止めた。


 お姉ちゃんなのか、お兄ちゃんなのか?


 しっかりとは聞き取れなかったが、遠くの方から子供の声が聞こえた気がした。

 

 まるで、怖がってるような、助けを求めているような幼い声。


 だが、じっと耳を澄ますが、その声はやんでましまい、不思議に思う飛鳥を見つめながら、あかりが首を傾げる。


「なにかって、どんな音ですか? 私には、聞こえませんでしたけど?」


「うーん、音っていうか、子供の声? って聞こえた気がする」


「神木さん、幽霊にも人気があるんですね」


「どういう解釈だよ、それ?!」


 まさかの幽霊にも!?

 

 だが、確かにこの美貌なら、幽霊にも重要があるかもしれない!


 しかし、さすがにそれは困る。

 

 半透明で目に見えない彼らなら、寝室だろうが、浴室だろうが覗きたい放題だろうし、仮に覗かれてめ、撃退することも、訴えることもできない。


 とはいえ、飛鳥は霊感が一切ないため、見えない何かに怯えることはないだろうが……


「さすがに、それはないよ。もし幽霊にも人気があったら、うちは今頃、ホルターガイスト現象で、大変なことになってるよ」


「それもそうですね。じゃぁ、お化け屋敷の仕掛けか、なにかじゃないですか?」


「そうかもね? 意外と、凝った仕掛けを作ってるみたいだし、感心するよ」


 遠くから子供の声が聞こえてくるなんて、雰囲気バッチリな仕掛けだ。

 

 そして、これまでの教室を回って、商工会の人々が、このお化け屋敷にどれだけの心血を注いできたのかが、よくわかる。


 この校舎の中には、人を楽しませる(怖がらせる)仕組みが、ふんだんに盛り込まれていた。

 

 ぬいぐるみやコンニャクが落ちてくるレトロな仕掛けから、立体映像を駆使した最新式の仕掛けまで。


 そして、その仕掛けは、人の五感を刺激するようなもので、時には視覚でビビらせ、時には、聴覚で震え上がらせる。


 そして、音を使った仕掛けは、あかりに有効だった。

 

 あかりは、半分聞こえないからか、音の出どころがわからず、大きな音には、特に敏感に反応する。


 だが、ビクつくのは、ほんの一瞬で、状況を把握したあとは、あっさり落ち着き安心してしまう。

 

 だからか、ここに来るまで、あかりは、一切悲鳴を上げていなかった。


(ほんとに平気なんだな。あかりって……)


 怖がって擦り寄って来ることなど、一切ない。


 それは、少々残念ではあったし、色気のない反応でもあったが、あかりらしいといえば、あかりらしかった。

 

 なにより、怖がらないなら、それはそれで、和やかに会話ができて良かった。


「あの、神木さん」


「ん? なに?」


「少し、話したいことが」

 

「うん。でも、とりあえず、中に入ろっか?」


 だが、何か言いかけたあかりの言葉を遮り、飛鳥は、音楽室の扉を開けた。

 

 いつまでも、音楽室の前で立ち止まっているわけにはいかない。


 だが、そのせいで、あかりは、また話をするタイミングを失ってしまった。


(どうしよう。言わなきゃいけないのに……っ)


 サヨナラを、はっきり伝えなきゃいけない。


 だけど、話そうとすると、いつも彼の空気にのまれてしまう。

 

 なんとなくが、さりげなく誘導されている気がした。

 

 まるで、とでもするように──…


(もしかして、気づいているのかな?)


 勘のいい人だ。きっと、私が二人で入りたいと言った意味を、理解している。


 だから、さりげなく話を逸らして、会話を誘導してる。


 でも、その逸らし方が、毎回、自然すぎるのだ。そして、その空気が心地よくて、あかりは、あっさり飲まれてしまう。


(次こそは、流されないようにしよう……!)


 ──ポロン、ポロン♪


「?」


 だが、その瞬間、音楽室の中からピアノの音が聞こえてきた。


 勝手に鳴り出すピアノなんて、いかにもお化け屋敷らしい仕掛けだ。


 だが、よく見れば、ピアノの鍵盤は動いていなかった。


 きっと、どこかにラジカセか、タブレットが置かれていて、手動で音楽を流しているのだろう。


「ピアノが鳴ってる。なんか、いかにもって感じだね?」


 すると、飛鳥が奥へ進み、あかりもその後に続いた。


 受付でもらったカードは、全部で8個のスタンプを押す場所がある。


 そして、全てあつめれば、出口で、お菓子をもらえるらしい。


 そして、お化け屋敷は、もう半分を過ぎていた。

 

 音楽室を出た後は、美術室にいって、最後のスタンプを押せば、出口にたどり着く。


 だから、もう残っている時間は、ほとんどない。


「あかり、これ見て!」

「?」


 瞬間、飛鳥に声をかけられ、あかりは顔を上げた。


 浴衣姿で、にっこりとたたずむ飛鳥の手には、楽譜があった。

 

 だが、その楽譜を見て、あかりはぎょっとする。


 だってその楽譜は、まるで血しぶきでも浴びたかのように、恐ろしい楽譜だったから!

 

「ちょ、なんですか、それ!」


「たぶん、スタンプを見つけるためのヒントじゃないかな? そこらじゅうに落ちてるんだよね。血で染まった楽譜が」


 そういわれて、あかりは、音楽室の中を見回した。


 すると、ポロンポロンと音を奏でるピアノなんて、まだ可愛い方で、音楽室の床には、血塗られた楽譜が、何枚も散らばっていた。


 まるで殺人現場だ。今にも、ちっちゃな名探偵が、駆け込んできそう!

 

 そして、そね楽譜だけじゃなく、音楽室の中には、ベートーヴェンやモーツァルトといった有名な作曲家たちの肖像画が、転々と置かれていた。


 美術で使うキャンバス立てに飾られた肖像画は、年季が入っているため、何もしなくても雰囲気、抜群だった。

 

 そして、その作曲家たちの目が、まるで、あかりたちを見つめているように並んでいるのだ。


「ちょっと、悪趣味ですね……っ」


「まぁ、向こうも怖がらせようと必死なんじゃない? 怖さのグレード、どんどん上がってる気がするし」


 素人がつくったお化け屋敷だというのに、なかなかのこだわりようだ。


 そして、この部屋が、これまでと違うのは『謎を解き明かせ』とでもいうようなメッセージをひしひしと感じるからだろう。


 これまでの部屋には、わかりやすい場所にスタンプが置かれていた。


 だが、この部屋では、全くスタンプが見当たらないのだ。


「スタンプ、ないですね。その楽譜が、ヒントなんですか?」

 

「多分ね 」


「じゃぁ、解けないと、スタンプ押せないってこととですよね?」


「うん。でも、大丈夫だと思うよ。この謎解き、子供向けみたいだし」


 そう言った飛鳥は、床に散らばった楽譜を集め、その後、順番に並べはじめた。


「あー、やっぱりそうだ」


「?」


 だが、一人納得する飛鳥に、あかりは意味がわからず首を傾げる。


「わかったんですか?」


「うん。この楽譜『第九』だよ。そして、今、流れてる曲は『月光』」


 そう言われ、あかりは改めて、教室に流れている曲に耳を傾ける。


 それは、どこか切なさを感じさせる曲だった。ピアノの音が穏やかに、それでいて流れるように紡がれていく。


 そして、この曲は『ピアノソナタ第14番「月光」』


 また"第九"とは──『交響曲第9番 「歓喜の歌」』のこと。


 どちらも有名な曲なので、あかりも、よく知っている曲だ。


「確かに、そうですね?」


「わかりやすいよね? 音楽の授業を真面目に受けていたら、子供でも分かる。で、こっちの楽譜には、血で文字が描かれてる」


 血文字というが、もちろん本物ではない。

 あくまでも、赤い絵の具で描かれた文字だ。


 そして、その楽譜は、全部で5枚。


 さらに裏には《ろ》《う》《み》《を》《ら》と、一枚ずつ文字が書かれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る