第125話 偏愛と崩壊のカタルシス⑪ ~恐怖~


 どうしてあの時

 もっと声を張り上げなかったんだろう。


 それに、気づいたのは、きっと俺だけだった。


 話しをする父とゆりさんの背後。

 公園の入口付近に見えたのは


 ゆらりと揺れる綺麗な金色の髪と

 酷く虚ろで冷たい──青い瞳。


(……ッ)


 無表情に忍び寄る、その人物が目に入った瞬間、俺は喉首を押さえつけられたように、また声が出せなくなった。


 そして───



 グサ───ッ!!



 次の瞬間、俺の目の前に映し出されたのは、ナイフを手に背後から、ゆりさんを刺した


 あまりにも恐ろしく残酷な




 ──「母親あの人」の姿だった。









 第122話 偏愛と崩壊のカタルシス⑪ ~恐怖~






 ◆◆◆


 

 「ッ───!?」


 何かが駆け寄ってくる音に気づいて、父が振り向いた時には、もう既に遅かった。


 誰もいない公園内に響くのは、肉を裂く不気味な音。そして、それを目にした瞬間、場の空気は一瞬にして凍りついた。


 そこには、無警戒だったゆりさんの腰元を、母がナイフで一刺しにしていて、俺は身動き一つ、瞬き一つできず、その場に立ち尽くすと、目に焼き付いた光景に息をのんだ。


「──……ッ!」


 ドサッ──と、その瞬間、ゆりさんが小さく声を漏らし、崩れ落ちるように膝をついて、俺は必死にゆりさんを支えようと、手を伸ばした。


 まだ、幼かった俺に覆い被さるようにして、力なく倒れたゆりさん。


 座り込み倒れそうになりながらも、必死の思いで抱きとめると、掴んだ部分から、なにか生暖かいものを感じた。


 ヌルリとした感触。


 自分の手についた、それにゆっくりと視線をむければ、その手は──赤く赤く、血に染まっていた。


「ひッ……!」


 傷口からはじわじわと血が滲んでいた。溢れでる血液は、制服のシャツやスカートに染み渡り、何が起こっているのか分からず、呆然と手を震わせる俺の側で、ゆりさんは痛みに耐えるように、唇を強く噛み締めていた。


 そして──


「あなたが、滅茶苦茶にしたのね……っ」


 ナイフを握りしめた母が、ゆりさんを見おろしてボソリと呟いた。


「あなたが、侑斗を誑かしたのね!」


 母が、なにか勘違いをしているのが分かった。


 鬼のような形相に、射るような視線。


 その姿に、以前のような優しい母の面影は一切なく、その綺麗な金色の髪も、澄んだ青い瞳も、整った顔立ちも、美しいはずのその全てが、酷く禍々しいものに見えた。


「侑斗だけじゃなく、今度は私から飛鳥まで奪うの!! 返して、返して、私の──」


 声を張り上げた母が、ナイフを握りしめた手を、頭上高く振り上げた。


 それは、ひどく見慣れた光景だった。


 癇癪を起こした母が、よく見せる姿。


 でも、今、壊そうとしているのは、明らかに「物」ではなくて──



「おい! やめろ!!」


 振り上げた母の手は父が強引に掴んだことにより、その動きを静止させた。腕を掴まれた事で、ナイフが手から離れると、それは公園の地面の上に鈍い音をたてて落ちる。


「落ち着け!! この子は、飛鳥を保護してくれたんだ!!」


 父が何とか落ち着かせようと声を荒らげる。だけど、それでも母はゆりさんに掴みかかろうとしていて、俺はゆりさんを抱えたまま、呆然とその光景を見つめていた。


「許さない、あなたのこと、絶対許さなぃからッ!!」


「……」


 感情的な母の声が響く。


(なにが……?)


 何を、許さないの?

 ゆりさんが、何をしたの?


 この人は……ゆりさんは


 俺を、助けてくれたのに───?




(ッ……俺の……せぃだ……っ)



 ずっと、あのまま


 家にいればよかった。



 母の言うことを聞いて


 逃げたりしないで


 今まで通り、ずっとずっと



 「独り」で過ごせばよかった。




 俺が、家から出たりしなければ


 俺が、ゆりさんと出会わなければ



 ゆりさんは、こんな目に



 あわなかったかもしれないのに────



「ぁ、すか……っ」

「……!」


 呆然と母を見上げたまま涙を流し始めた俺をみて、ゆりさんが小さく声をかけた。


 ゆりさんは、さっきと変わらないふわりと柔らかな笑みを浮かべて、俺を包みこむように優しく抱きしめると


「……こ、れは、飛鳥の……せい、じゃ……なぃ…から……だから……そ、んな顔…し、ない……で」


 そういって、俺の頭をなでると、ゆりさんは俺を強く抱きしめて、そのまま、ゆっくり目を閉じた。


「……っ、ぁ……やだ…っ」


 ──嫌だ。


 いやだ……っ


 なんで?


 どうして?


 俺が、もっとしっかりしていたら


 俺が、もっと強かったら


 俺が、もっと大人だったら



 こんな事にはならなかったの?



「ッ、……ゆ、り……さんっ! やだ、お、ねがぃ、目……ぁけ、……ッ」



 身体が震えて、涙が止まらない。



 いやだ


 いやだ


 いやだ……ッ



 こんなの、嫌だ……ッ





 ゆりさん───





「おねがぃ……ッ、死なないで───」





 


 その時、俺は初めて


 大切な人を


 かけがえのない人を



 失う恐怖を知った。




 もう、あんな思いしたくない。



 誰かを失う


 あんな恐怖、味わいたくない。



 もうだれも、失いたくない。




 だから、絶対に


 守るって決めたはずなのに




 それなのに



 俺は───……









 ◆◆◆


「……ぅ、…ンッ」


 月明かりだけが灯す薄ぐらい室内で、写真を手にした飛鳥は、突如、激しい吐き気に見舞われた。


 とっさに口元を手で覆うと、せり上がってくる不快感に必至に耐える。


(……落ち、着け……っ、頼む、から……、)


 昼間と同じ様に、動悸がして手が震え始めて、視界がボヤつきだして、飛鳥は、そんな自分に必死に言い聞かせる。


 また、倒れるわけにはいかない。

 乗り越えなきゃいけない。


 なんとしても──



「……はぁ、っ……は、」


 なんとか吐き気を抑えこめば、今度は荒い呼吸を整えるため、自分の胸もとに手を当てた。


 着ているTシャツごと、その手をきつく握りしめれば、つまるような息苦しさのある呼吸を必死に整えようと模索する。



 あぁ…やっぱり、思い出すのすら


 こんなに、辛い。



 いまだに、目に焼き付いて離れない。



 あの日の母の姿と


 あの、恐ろしい光景。



 なんど、夢にみただろう。


 なんど、うなされただろう。



 でも、それを


 いつも 、ゆりさんが



 母さんが



 抱きしめて、落ち着かせてくれた。




 でも、今は



 ──もう、いない。




 もう、ゆりさんは





 どこにもいない……っ





「はぁ、ッ……はぁ……っ」


 なかなか治まらない呼吸に、自分の「弱さ」を垣間見た気がした。


 結局、誰かにすがらなきゃ、ダメだなんて


 俺はなんで、こんなに弱いんだろう。



 もう、絶対に、あんな思いしたくないって誓ったのに


 もう二度と、ゆりさんを傷つけたくないと


 誓ったのに──



『絶対に守るよ!』



 そう、約束したのに……っ



 結局俺は、守れなかった。



 守れずに



 死なせてしまった。




 ゆりさんを




 華と蓮の








 母親を────








「……、……っ、はぁ」


 なんとか、呼吸が整い始めてたころには、酷く汗をかいていた。


 ふと視線をそらせば、部屋にある姿見に、自分の姿が写っているのが見えた。


 金色の髪に

 青い瞳に

 人形のように綺麗な顔


 全部全部、あの人と


 同じ姿。


 いつか、自分も、あの人のように


 誰かを傷つけてしまうかもしれない。



 そう考えたら


 ──怖い。


 自分のこの顔が


 自分に流れる、あの人の「血」が




 怖くて怖くて、仕方ない。





(……こんな、んで……本当に……話せる、のか……?)


 もし、これを知ったら


 華と蓮は、どう思うだろう。



 今まで通り、俺と


 接してくれるだろうか?



 もし、軽蔑されたら?

 もし、拒絶されたら?



 今の関係が


 壊れてしまったら?




 そう、思ったら



 話せない。






 ────知られたくない。









 俺が



 ゆりさんを





 華と蓮の「母親」を










 刺し殺そうとした「女」の









 「息子」だなんて───……っ



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