第94話 約束と失った人


『お母さん……赤ちゃんまだ、抱っこできないの?』


 産婦人科の新生児室前で、幼い日の飛鳥が、中の様子を伺いながら声をあげた。


 ガラス窓の向こうでは、小さな双子の赤ちゃんが、一人ずつ保育器に入れられているのが目にはいった。


『華と蓮、未熟児で産まれてきちゃったから、もう少し大きくなるまでは、保育器に入ってなきゃいけないんだって』


『そうなんだ……』


 横にたつ双子の母親が、飛鳥に向けて言葉を返すと、飛鳥は「なんで?」とでも言いたそうな顔で母を見上げる。


『本当はね。まだ生まれるには早かったんだけど、私が無理しちゃったからかな? 予定より2ヶ月も早く生まれてきちゃった……もっと大きくなってから産んであげられたらよかったのにね』


 華と蓮を見つめて、母は申し訳なさそうに目を細めた。すると、飛鳥はそんな母に向かって


『お母さんのせいじゃないよ! きっと華と蓮が、早くお母さんに会いたかったんじゃないかな?』


『ふふ、もー飛鳥ってば、ホント可愛い~』


 息子のその優しい言葉をきいて、母がギュッと飛鳥を抱き締めると、幸せそうに笑う。


『飛鳥も、お兄ちゃんだね』


『お兄ちゃん?』


『うん。華と蓮のお兄ちゃん。二人とも、まだ小さくてなにもできないから、みんなで守ってあげなくちゃね』


『……お兄ちゃん、か』


『どうしたの?』


『うんん。俺、ずっと一人で遊んでたから、妹弟ができてすごく嬉しい。だから、俺ぜったい守るよ。華も蓮も、それにお母さんも。だから、ずっと一緒にいてね?』


『うん……ずっと一緒にいるよ』


 母は優しく微笑むと、そういって再び飛鳥を抱き締めた。


『じゃぁ、約束だね』


『うん。約束……』


 あの日交わした、母との何気ない"約束"


 新しく出来た「家族」

 それは飛鳥にとって、何よりもなによりも


 ────失いたくないものだった。








 


 第90話 約束と失った人








 ◇◇◇


 ───バタン。


 リビングから出て、自分の部屋に入ると、飛鳥は後ろ手に扉を閉めた。


 シンと静まりかえる室内は、落ちかけた夕日の色で紫に染まりはじめていた。

 その今にも闇にのみこまれそうな室内は、まるで今の飛鳥の心を写すだすかのようで、飛鳥は扉にもたれ掛かり、そのままズルリと体勢を崩すと、ドサッとフローリングの上に座り込んだ。


「俺……なんで、あんなこと……っ」


 俯き呟くと、一重に束ねた長い髪が肩からサラリと落ちた。


 柄にもなく、感情的になってしまった。

 いつもは、あんな風にはならないのに──


「……ダメだ、アイツは……っ」


 あかりは、ダメだ。あかりと一緒にいると、なぜか弱音を吐いてしまいそうになる。


 心の奥に閉じ込めていたはずの感情が、次から次へとあふれでてきて


「っ……なんで、こんな……っ」


 あの穏やかな雰囲気と、見透かされているような瞳が──苦手だ。


 イライラしてるのは、きっと核心をつかれたから。


 気づきたくなかった、こんな感情。


 だから、ずっと閉じ込めてきたのに……っ



「はは……俺……怖い……の、か」


 まるで自分を蔑むような、そんな乾いた声が喉から出た。


 それと同時に、あの日の苦い記憶が甦る。


 あの日──


 母が倒れて救急車で運ばれた、あの日。


 俺が学校から帰ってきた時、母は


 ──まだ、 生きてた。


 母が苦しそうに倒れていて、華と蓮が泣いていて、何が起こっているのか分からなくてパニックになりかけて、それでもなんとか救急車は呼べたけど、結局、あのあと母は病院には間に合わず、救急車の中で──息を引き取った。


 俺が、もっと、早く帰っていたら。

 もっと、しっかりしてたら。


 母は、助かったかもしれないのに。


 結局、俺は何もできず、あの日、俺の目の前で


 ───あの人は亡くなった。



『ずっと一緒にいるよ』



 そう言ってくれた、母との約束は叶えられなくて。


 だけど、忘れられない約束は、今でもずっと心の中に残っていて。


「ッ……なんで、……っ」


 守りたかった。

 けど、守れなかった。


 失うなら、守れないなら、初めから、あんな約束なんてしなければよかったのに──


「ごめん……ごめんッ、母さんッ」


 永遠なんて存在しない。


 永遠に壊れないものがあるなんて言うなら、そんなの綺麗事でしかない。


 永遠を誓った愛も

 交わした約束も

 家族の絆も

 人の命も


 簡単に簡単に

 壊れて、破られて、消えて、なくなる。


 俺たちは、そんな危うい絆の中で生きていて、一度壊れた絆は、針のように心に刺さって、チクチクと鈍い痛みとなって蝕み続ける。


 だから、もう──増やすのはやめた。


 いつか壊れてしまうなら

 いつか離れていってしまうなら

 いつか失ってしまうなら


 そんなもの、はじめから持たなければいい。


 失うのが嫌なら

 はじめから、手にしなければいい。


 守るのは

 今、この「手」にあるものだけでいい。



 今の「幸せ」を守れるなら


 ────他には、なにも望まない。



 それなのに、そんな自分に「焦り」を感じるのは、なぜなのだろう。


「拒んで……悪いかよ…ッ」


 誰かを好きになっても、守れる自信なんてない。


 壊れない保証なんて

 失なわない保証なんて


 ───どこにもない。


 でも、このままずっと、家族と一緒に居続けることができないのもわかってた。


 華と蓮が成長する度に、現実を叩きつけられた。


 いつか、みんな大人になる。

 大人になって、俺から離れていく。


 だから、これ以上「家族」に依存しないように、あいつらが安心して俺から離れていけるように、大切に思える人を、また増やそうとして、無理にでも他人を好きになろうとした。


 だけど───ダメだった。


 誰かを愛そうとしても、また守れないかも、また失うかもって考えたら、本気になんてなれなくて


 心のどこかで"線"を引いていた。


 深入りしないように、相手からむけられる好意を、無意識に────拒んでいた。



「……どうすれば、いいん……だよ…っ」


 前に進みたくても、進み方がわからない。


 守ることの難しさも

 失うことの辛さも

 奪われる恐怖も


 俺は嫌というほど、知ってる。


 だからもう──


 これ以上「大切な人」なんて増やしたくないのに


「独り」になるのは嫌だなんて……




 だから──認めたくなかった。






 俺は


 「大切な人」を失うのが


 「家族」が離れていくのが


  「独り」になるのが




  こんなにも、こんなにも


        

  怖くて






  仕方ないなんて……っ






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