第341話 心配と約束


「神木くん、またね~」

「うん、またね」


 本日最後の講義を終えると、飛鳥は荷物をまとめ、そそくさと校舎から出た。真冬の空は、もうまっくらで、雲が重く、空気は一弾と冷える。


(さすがに、もう帰ってるかな?)


 6限目を終えた、今の時刻は19時30分。

 ダウンコートにマフラーをした飛鳥は、足早に進みながら、考えた。


 エレナが帰宅する時間は4時すぎで、その後一緒に、あかりの家に向かったとしても、さすがにもう帰っている頃かもしれない。


 そう思いながらも、一目あかりの様子を確認しようと、飛鳥はあかりの家に急ぐ。


「飛鳥」

「……!」


 だが、その直後、隆臣に呼び止められて、飛鳥は足を止めた。


 どうやら、隆臣も6限までいたのか、飛鳥が、自宅とは違う方向に向かうのに気づいて、声をかけてきたようだった。


「お前、どっかいくのか?」


「あぁ、あかりの家」


「え? お前なぁ、前にも言ったけど、あまり暗くなってから、女の子の家に行くのは」


「わかってるよ。でも今日は、が、あかりに謝りに行くとか言ってて……っ」


 不安げに呟いた飛鳥の言葉に、隆臣は全てを察した。


 あの人──とは、つまり飛鳥の母親のことで、その母親が、あかりさんに会いに行くと言っているわけだ。


「あー、引き止めて悪かったな。行け、今すぐ!」


「あはは! さすが隆ちゃん。察しが良くて助かる!」


 飛鳥が、ニコッといつもの笑みを浮かべた。だが、どことなく不安そうな表情は消しきれず


「あれから、ミサさんとは会ったのか?」

「………っ」


 隆臣が、続けて問いかければ、話しづらい内容に、飛鳥は一瞬口篭った。


 結局、クリスマスの日に、エレナを病院に連れて行って以来、飛鳥は一度も行っていない。


 まぁ、父に任せてしまったから、行く理由がなかったのもあるが


「会ってないよ。……まぁ、退院出来たし、精神的にも安定してるはずだから、あかりに会わせても、大丈夫だとは思うけどね」


「そうか……」


 病院側が退院を許可したのなら、きっと、あかりさんの元に行っても大丈夫なのだろう──隆臣は、そう理解する。


 だが、そうは思っても、あの日の出来事を忘れられないせいか、飛鳥には、まだ不安があるように見えた。


「ねぇ、俺……あの人のこと、なんて呼べばいいと思う?」


 すると、躊躇いがちに飛鳥がそう言って、隆臣は目を細めた。

 どこか、迷いのある表情──あの飛鳥が、自分の母親への接し方に迷ってる。


「やっぱり『お母さん』って、呼んであげた方がいいのかな?」


「…………」


 その言葉は、きっと飛鳥の優しさからくるものだろう。


 受け入れてあげるなら、そう呼んであげるのが一番で、だからこそ飛鳥は、それを分かった上で、そんなことを聞いてる。


 でも……


「わかんねーよ。そんなの、直接会って話してから考えろ」


 ハッキリとそういい放てば、飛鳥は、薄く笑みを浮かべた。そして──


「はは……いじわる」


「悪かったな。でも、俺はお前のだ」


「……え?」


「俺は、無理をしてまで、優しい人間である必要はないと思ってる。だから、次会った時に、お前が心からそう呼んでいいと思うなら、呼べばいいし、呼びたくないなら呼ばなくていい。例え、この先、一生呼べなかったとしても、俺はお前のことを『薄情な息子だ』なんて思わねーよ」


「…………」


 まるで、心に直接響くようなその言葉に、飛鳥は一瞬目を見開き、そして、また呆れたように笑った。


「はは。なんか、お見通しって感じ?」


「長い付き合いだからな」


「そっか……本当、俺って主人公にはなれないタイプだよねー。あっさり和解して、許してあげられればよかったのに」


 子供なら、こうするべきだとか

 家族なら、こうあるきだとか


 世の中には、そんな一方的な常識が溢れていて


 これが物語なら、何もなかったように許し合うこともできたかもしれないのに


 現実は、そんなに簡単じゃない。


 親だからこそ

 家族だったからこそ


 許せないことや

 許したくないこともあって


 でも、その一方的な常識のせいで、自分をひどく責めてしまう時がある。


 親を許してあげられない自分は


 なんて、なのだろう……と。



「隆ちゃんは、ダメな子供って思わないんだ」


「思わねーよ。逆に、この16年のわだかまりが、あっさり消えたら、夢物語だろ」


「はは、そうだね。しかし、甘いなー」


「え?」


「あかりも隆ちゃんも、俺に甘すぎるよ。一言『言ってやれ』って……『許してやれ』って言ってくれたら、覚悟も決まるかもしれないのに……ホント意地悪」


 外の風は、とても冷たくて、吐く息は自然と白くなった。


 飛鳥は、まるで冗談でも言うように笑いながらそう言って、隆臣がまた言葉を挟む。


「他人に『覚悟』を委ねるなよ」


「……っ」


「俺達は、責任を持てない。だから、どうしたいかは、お前の『心』で決めろ」


「……………」


 真面目な顔で、そう言われれば、飛鳥は笑うのをやめ、そっと目を閉じた。


「……うん、そうだね。……ゴメン。意地悪なのは、俺の方だ……っ」


 誰かに決めてもらえれば


 間違えた時に

 後悔した時に


 その誰かのせいにできるから


 考えることを

 悩むことを放棄して


 他人に──覚悟を委ねた。


 でも、それじゃダメだって、本当は分かってる。


 世間の常識に、身を委ねちゃいけない。

 楽な方に、逃げちゃいけない。

 関わることを、避けてはいけない。


 この先、あの人の事を、一生、母と呼べなかったとしても


 ちゃんと、向き合って



 自分の『心』で決めないと──




「でも、本当に、呼び方には困ってるんだよね……どうすればいい?」


 だが、その後、飛鳥がまたポツリと呟けば


「本人には聞いてみれば?」


「え!? それで『お母さんって、呼んで』って言われたらどうするんだよ!?」


「嫌なら、嫌って言えばいいだろ」


「泣いちゃうかもしれない!?」


「ヤベーな、それは。それより、早く行った方がいいんじゃないか?」


「あ、うん。……そうだね。じゃぁね、隆ちゃん。あ、それと」


 すると、去り際に振り返り、飛鳥は、また隆臣に視線をあわせる。


「俺も、ずっと隆ちゃんの味方だから。なにか悩みがあったら相談してね……約束!」


 振り向き、可愛らしく言った飛鳥に、隆臣は軽く眉をひそめた。なぜなら……


(酔ってないのに、飛鳥がデレるなんて……この後、雪かもな?)




 ◇


 ◇


 ◇



「あ、雪降ってきた」


 それから、小走りであかりの家へと向かうと、その途中で、チラチラと雪が降ってきた。


 飛鳥は、マフラーを軽く整えながら進むと、しばらくしてあかりのアパートの前につく。


 一階から、二階のあかりの部屋を見れば、電気がつい着いた。


 不安な気持ちを抑えながら、飛鳥は階段を駆け上がると、肩についた雪を振り払いながら、あかりの部屋の前に立つ。


 ──ピンポーン。


 控えめに、インターフォンをならして、中からあかりが出てくるのを待った。


 時刻は、もう8時。

 きっとエレナたちは、もういないのだろう。


(……大丈夫だったかな?)


 顔を見るまで安心できず、ただただその場に立ち尽くしていると、ガチャンと鍵が開く音がした。


 だが、扉が開き、その中からでてきた、あかりは


「え……?」


 なぜか、目を赤くし、泣き腫らしたような顔をしていた。

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