第176話 お母さんとお姉ちゃん
「おねぇちゃん……っ」
校門をでてすぐ、聞き覚えのある声に呼びかけられ、エレナは足を止めた。
見れば、エレナの数メートル先で、どこか悲しそうな目をして佇む、あかりの姿が目に入った。
「エレナちゃん、良かった……っ」
そういって、駆け寄り、心配そうにのぞき込んできたあかりを見て、エレナはグッと息を飲む。
「ゴメンね。待ち伏せをするのは良くないと思ったんだけど……こうでもしないと、会えないと思ったから」
「……」
どこか震えるような、安心したような、そんなあかりの声。
家に行くと、母親に見つかる可能性があることを配慮して、わざわざ小学校の前で、待っていてくれたのだろう。
だが──
「なにしに来たの?」
「え?」
瞬間、エレナは迷惑そうな声を発し、あかりをジッと見つめ返してきた。
その顔は、酷く無表情で、久しぶりに会ったエレナは、とても冷たい雰囲気を纏っていた。
「帰って。私、お姉ちゃんと話すことなんて、何もない」
「──っ」
七月中旬、まだ日の高い夏の路上は、夕方でも暑いくらいなのに、その言葉は、芯から冷えるような、冷たい言葉だった。そして、それを見てあかりは
(エレナちゃん……どうして? この前までは、あんなに……っ)
少し前まで、とても慕ってくれていた。
目が合えば、笑顔で駆け寄ってきてくれた。
そんなエレナが────なぜ??
「じゃぁ私、急ぐから」
すると、エレナはランドセルを握りしめたまま、あかりの横をすり抜けた。そんなエレナの豹変ぶりに、あかりは、じわりと嫌な汗をかく。
きっと、ここでなにもしなければ、もう、会えなくなる。そして、会えなくなれば
「───待って、エレナちゃん!!」
瞬間、あかりは、振り向きざまに声をかけた。
以前、止まることなくスタスタと歩いていくエレナ。あかりは、そのあとを追いかけながら、話し続ける。
「お母さんから、連絡があった、もうエレナに付きまとわないでって!! 一体、何があったの!?」
あの日、怒られていたのは、なぜ?
エレナちゃんは、今……っ
「また、閉じ込められたり……してない?」
「……っ」
その言葉に、エレナが足を止めた。
あの日、言いつけを破り、放課後、友達と公園で遊んでいるところを、母に見つかった。
その後は、母に叱られ、家から出るのを禁止された。でられるのは、学校に行く時と、モデルの仕事で事務所やスタジオに行く時だけ。
学校と家。事務所と家。ただ、その往復を繰り返す毎日で、家に帰ると、二階の自分の部屋に閉じ込められ、そのあとは、一時間に一回、母が様子を見に来る。
まるで、監視でもするかのように──…
「だったら、なに……っ」
あかりに背を向けたまま、エレナがボソリと呟く。それは、何かを噛み潰すような悲痛な声で
「やっぱり……閉じ込められてるの?」
「そうだよ。でも、そんなのいつものことだもの。それに、私がいけないの。わたしが、お母さんの言いつけを破ったから……悪いことしたら、叱られるのは当前だよ!!」
「だからって、閉じ込めるのは違うよっ!!」
「違わないよ!!」
「……ッ」
一切振り返ることなく、肩を震わせ話すエレナに、あかりはぐっと息を詰めた。すると、エレナは
「……閉じ込められてるだけだもの。花瓶が割れたり物が壊れるより、ずっとマシ。モデルの仕事だってちゃんとできるよ。お母さんの言うこと聞いて、早く立派なモデルになって……これは全部、私のためなの。私のために……お母さんは……ッ」
全部、全部、私のため。
私のために、お母さんがしてくれること。
《これは全てエレナのためなのよ?》
全部、全部、全部。
なにもかも、全部、私の───
「それは本当に、エレナちゃんのためなの?」
「……ッ」
瞬間、あかりの言葉が、スッと胸に突き刺さった。
ずっと疑問に思っていたことがあった。
ずっと考えないようにしていることがあった。
オカアサン、ソレハ本当ニ……私ノタメ?
「友達をつくらせないことが、エレナちゃんのためなの? 家から出さないことが? それは本当に──」
「そうだよ!!」
不意に核心をつかれて、目頭が熱くなる。
だが、心の中に閉じ込めていた疑問が次々と溢れだしそうになる中、エレナはあかりの言葉を否定していた。
「そうだよ……っ、だって、ずっと、そうやって生きてきたの! お母さんの言うことさえ聞いていたら、間違いないのっ!」
振り向き声を上げると、また再びあかりと視線が合わさった。
「お姉ちゃんには、わからないよ……両親揃って姉弟もいて、温かい家庭で育ったお姉ちゃんに、私の気持ちなんて、わかるわけないよ……私には、お母さんしかいないの!! お母さんに見捨てられたら……私、もぅ……生きて、いけない……っ」
今にも溢れそうな涙を溜めて叫ぶエレナは、今にも壊れてしまいそうだった。
「エレナちゃん……っ」
それを見て、あかりがそっと手を伸ばす。
だが──
「もう、私の前に現れないで」
「……っ」
「お姉ちゃんに会ったら、またお母さんに怒られるの!! だからもう、LIMEも電話も絶対しないで、連絡先も消して! 何もできないくせに、これ以上優しくなんてしないで!!」
「……っ」
その言葉に、伸びた手がピタリと止まる。
何も出来ないくせに──その通りだ。
何も出来なかった。
家族に恵まれた自分には、エレナの気持ちは、わからない。分かってあげられない。
でも──
「消さない」
「……え?」
「連絡先は、絶対に消さないから」
その言葉に、エレナは目を見開いた。
繋いだ糸を、決して断ち切らせないように。
そんな思いを込めた言葉に、エレナはまた涙が溢れそうになるのを必死に堪えた。
「──────」
そして、声には出さず言葉を発したあと、ランドセルをきつく握りしめたエレナは、逃げるようにその場を立ち去った。
あかりは、一人走り去るエレナの後ろ姿をみつめながら
「ごめん……ごめんね。なにも……できなくて」
どうして私は、いつもこうなんだろう。
肝心な時に役に立たなくて、いつも助けてあげられない。
私はもう、あの時みたいに
──後悔したくないのに。
◇
◇
◇
「はぁ、はぁ……っ」
その後エレナは、息を切らしながら通学路を走りさり、暫く進んだ先で、側にあった電信柱に手をついた。
久しぶりに全力で走った。
エレナは、その場にしゃがみ込むと、息を整えながら、あふれ出しそうになる涙を必死に堪える。
(ダメ、ダメ、ダメ……ッ)
絶対、泣いちゃ、ダメ。
泣いたら、お母さんに気づかれる。
こんな顔で帰って、もし、お姉ちゃんにあったなんて知られたら、お母さんは、絶対、お姉ちゃんを許さない。
それだけは、嫌。
それだけは、絶対に──
「ふ……っ、ふぇ、お願い、止まって……っ」
あかりのことを思い、必死になって涙を抑える。
「何も出来ない」なんて思ってない。心配して、会いに来てくれて、本当は、嬉しかった。
それなのに──
「ごめんね……っ、ごめんなさいっ」
先程、声にできなかった言葉を、エレナは繰り返す紡ぐ。
酷いことを言って、突き放した。
言いたくないことを、口にした。
でも、これでいい。
もう、お姉ちゃんには、関わらない。
関らわせない。
あかりお姉ちゃんだけは
絶対に、傷つけたくないから……っ
《連絡先は、絶対に消さないから》
「……っ」
だが、不意に先ほどの言葉を思い出すと、涙は止まらずに、また頬へと流れだした。
いつでも連絡してと、繋がりを切らないでいてくれた。それは、出会ったあの時と同じように、優しくて、温かくて……
「ふ、ぅ……お姉ちゃん……っ」
だけど、もう会わないと決めた。
もう、連絡しないって決めた。
お姉ちゃんは、私にとって、とてもとても
────「大切な人」だから。
「ぅっ……ありがとう、ぉ姉……ちゃん……っ」
でも────サヨウナラ。
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