第429話 アパートと浮気


 それから暫くして、泣き止んだあかりは、目を赤くしたまま住宅街を歩いていた。


 隣には飛鳥がいて、大通りをぬけたからか、周りはとても静かだった。


 聞こえてくるのは、民家から溢れる子供たちの笑い声くらい。


 だが、そんな楽しそうな声すら掻き消えてしまうほど、あかりの心臓は、バクバクと鼓動を鳴らしていた。


(私は、なんてことを……っ)


 抱き寄せられ、思わず抱きついてしまったことに、深く自己嫌悪する。


 本当は、突き放さなくてはいけなかったのに、まるで縋るようにしがみつき、彼の行動を受け入れてしまった。


 だが、あれでは、逆に期待させるようなものだ。


「大丈夫?」

「……!」


 悶々と考えていると、横から声が聞こえた。


 ふと目を向ければ、飛鳥の綺麗な顔が、目と鼻の先まで近づいているのが見えた。


「ち、近いです」


「あ、ごめん。まだ目が赤いなーと思って」


「赤……っ」


 そりゃ、泣いたあとなのだ。

 目だって赤くなる!


 だが、それにしたって近い!


 なんで、この人は、あっさり人のテリトリーに入ってくるのか!?


「だからって、必要以上に近づかないでください」


かたくなだなー。照れてんの?」


「照れてません!!」


 からかうような飛鳥の態度をはねつけ、あかりは必死に虚勢をはる。


 今の自分たちの関係は、一体なんなのだろう?


 お互いに想いあっていて、その上、気持ちにすら気づいていて、もう『友達』とは言えない。


 変わってしまった関係に、名前など付けられる訳もなく。ただ、進むことも出来ず、戻ることも出来ず、そこに佇むだけ。


 そして、唯一残された方法は、彼から離れること。


 それなのに、彼は全く離そうとしてくれない。


(このままじゃ、ダメなのに……っ)


 心が、弱ってるのが分かった。


 必死に乗り越えて、強くしたはずの心が、また、弱体化しようとしてる。


 待つと言ってくれた、彼の優しさにのまれたら、そのまま、ズルズルとひきずりこまれて、いつかまた後悔する。


 あの時と、同じように──


「もう、ここで結構です。今日は、ありがとうございました」


 すると、あかりは、あからさまに距離を取り、飛鳥を追い返そうと試みる。だが、飛鳥


「なに言ってんの。ちゃんと最後まで送るよ」


「最後って、もうアパートは目の前ですよ!」


「俺が言ってる最後ってのは、って意味。どうすんの、家の前に不審者がいたら」


「いませんよ。あんな目立つ所になんか!」


 スタスタとアパートの階段をのぼり、あかりは逃げるように二階へと駆け上がる。


 早く、離れたい。

 そうでなくては、また流されてしまう。


 だが、その時──


「あかりちゃん!」


 と、前方から声が聞こえた。


 あかりが視線をあげれば、廊下の中腹に、男性がたっているのがみえた。


 そう、隣の部屋に住む大野おおのさんだ。


「お、大野さん……っ」


 いきなり現れた不審者……いや、隣人に、あかりはヒヤリと汗を流す。


 なぜなら、大野は、まだあかりのことを諦めていないらしい。しかも、彼氏のフリをしていた飛鳥に『別れたら教えてね!』などと直接、言ってきたほどの要注意人物。


 だからこそ、あかりは、早くこのアパートから引っ越そうと、アルバイトを始めたのだが……


「今、帰り? バイト遅かったんだね」


「あ、えっと……っ」


「こんばんは、大野さん」


 すると、あかりの背後からひょこりと顔を出し、飛鳥が大野に声をかけた。


 ちなみに、飛鳥とあかりは、大野の前で、恋人のフリをしている。


 これは、ストーカー化しそうな大野への対策であり、あかりを守るためでもあるのだが、大野は、飛鳥を見た瞬間、あからさまに眉をひそめる。


「神木くん。また、あかりちゃんを泣かせたの」


「「え?」」


 威嚇するように飛鳥を睨みつけた大野に、飛鳥とあかりは、無意識に身構えた。


 確かに、今のあかりの目は赤い。


 そしてそれは、廊下のライトに照らされれば、はっきり分かるほど。


 しかも大野は、あかりが泣いた原因を、と断定しているらしい。


 いや、ある意味、飛鳥が原因なので、間違ってはいないのだが……


「ち、違います、神木さ──ッんん」


「なんの言いがかり? 俺が、泣かせたわけじゃないよ」


「いいや、神木くんしかいないだる。だって、この前、神木くんが来た日も、あかりちゃんは、泣きながら部屋から出てきたんだ!!」


「「!?」」


 この前? もしや、アレか!?


 飛鳥が女装しに来た日、あかりが泣きながら家から飛び出した、あの件か!?


(うそ、見られてたの……っ)


(……なんか面倒なことになってきたな)


 『神木さん』呼びをしそうになったあかりの口を背後から塞いだまま、飛鳥は冷や汗をかいた。


 だが、そんな飛鳥を目の敵にでもするように、大野は、更に飛鳥を責め始める。


「神木くん、俺いっただろ。あかりちゃんを泣かせたら許さないッて。それなのに、一度ばかりか二度までも! やっばり、浮気してるんだろ! 5股かけてたんだろ!?」


「だから、かけてないって!」


 昨年の夏祭り、女子大生を5人はべらせていた事を蒸し返され、いわれもない疑いをかけられる。


 だが、どんなに否定しても、大野さんは、聞く耳を持たず


「神木くん、俺、一度信じたんだ! 神木くんは、あかりちゃんを大切にしてるって! それなのに、裏切られた! やっぱり、神木くんにあかりちゃんは任せておけない! それに、俺の方が、神木くんの何倍も、あかりちゃんを愛してる!!」


「「…………」」


 

 


 

 



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