第132話 情愛と幸福のノスタルジア⑥ ~髪~


 ミサの電話を切ったあと、家に戻り、玄関を開けると、そこには香ばしい料理の香りが漂っていた。


 玄関で靴を脱き、廊下を進むと、俺の帰宅に気づいたのだろう。


「お父さん、おかえり~」


 と、可愛らしい笑顔を浮かぶながら、飛鳥がキッチンから飛び出してきた。


「ただいま、飛鳥」


「今日のごはん、ハンバーグだって!」


「へー」


 抱きつく飛鳥の頭を撫でて、キッチンに行くと、丁度ゆりが、プライパン片手に、ハンバーグを焼いていた。


「あ、お兄さん、おかえり」


 振り向きざまに、笑顔をむける、ゆり。


 帰ってきたら、誰かがご飯を用意してくれてるなんて、一体、どのくらいぶりだったろう。ゆりが来てからは、帰宅後、料理をすることもなくなった。


「お兄さん、もう少しかかるの。どうする? 先にお風呂入る?」


「そうだな、そうするよ」


 ゆりの問いかけに、俺は、沈んだ気持ちを切り替えようと、先に風呂に入ることにして、カバンを置き、ネクタイを外すと、そばにいる飛鳥に声をかける。


「飛鳥、今日はお父さんと入るぞー」


「えー」


「えーってなに? 飛鳥、最近冷たいぞー、お父さん、泣いちゃう」


「あ、ごめんね? そっか、お父さんも一緒に入りたいよね?」


「そうそう、俺も仕事で疲れた体を、飛鳥との時間で癒したいんだよ。わかる?」


「うん、わかる。じゃぁ、3人で入ればいいね!」


「んん!?」


 3人!?

 その言葉に俺は、目を見張った。


 3人とはつまり、俺と飛鳥と──


「──て、どうしてそうなった!? それだけは無理! 飛鳥、お前その笑顔で何でもOK貰えると思うなよ!?」


「えー、ダメなの?」


「ダメに決まってるだろ!!」


「いいよ~」


 だが、その瞬間、ゆりが料理をつくりながら、こちらに語りかけてきた。


「……は?」


「私はいいよ。一緒にはいって、お兄さんの背中流してあげる♡」


 にこにこ笑いながらも、いたずらっ子ぽく微笑むゆり。


「いやいやいや、君は俺を犯罪者に仕立てあげたいのかな?」


「あはは~やっぱりダメかー」


 だが、その後、おちゃめに可愛らしく笑ったゆりは、また、背を向け、料理に戻った。


(なんか、からかわれてばっかりだな……)


 イタズラ好きなのかもしれないが、正直に言うと、そういうからかい方はやめて欲しい。


 だが、常に明るいゆりの笑顔を見れば、不思議と悩んでることも、陰気な気持ちも、吹き飛んでしまうようだった。


 俺と飛鳥の二人だけだったら、きっと、ここまで笑えなかったと思う。


 ゆりは、まるで沈みきった俺たちの心に、そっと蝋燭の火をともすように、いつもふんわりと優しい笑みを浮かべていた。


 そして、それは、不思議と、俺と飛鳥の心を癒してくれるようだった。





 ◇◇◇



 そして、それから暫くたち、暦の上では、3月に入った。


 日曜の昼過ぎ、飛鳥の遊び相手をしていたゆりに俺は声をかける。


「ゆりちゃん! ちょっとこっちおいで」


「?」


 いきなり呼ばれ、ゆりがキョトンとした顔をして振り向くと、俺は、あるものを差し出しながら


「お前、髪染めなおせ」


「えぇ!?」


 俺が手にした箱を目にすると、ゆりはとたんに面倒くさそうな顔をした。


「えー、せっかく可愛いのにー」


「お前、その髪で、就職面接突破出来ると思うなよ。大人の世界はそんなに甘くないんだよ! ほら、1人でも染められるやつだから、風呂場いって、染めておいで」


「うーん……」


 よほど、嫌なのか、ゆりは、暫く考え込んた。

 だが、その後、ゆりはにっこりと笑うと


「じゃぁ、お兄さんが染めて!」


 と言って、俺の腕に抱き着いてきた。


「え? 俺が?」


「うん! だって、私、自分で染めたことないんだもん! ムラになったら嫌だし!」


「いや、でも……俺でいいのか?」


「いいの! むしろ、お兄さんがいい!」


 ゆりが、またふわりと笑うと、俺も言い出した手前、仕方ないかと腹を括る。


 ◇


「ねー、ゆりさん、髪の色かえちゃうの?」


 そして、飛鳥は、脱衣所にちょこんと座って、俺たちを不思議そうに眺めていた。


「そうだよ」


「それより、お前、いつからこの色なの?」


「えーと、高2くらいかな? ギャルの友達多いから『あんた、この色っ絶対に合う~』って言われて、みんなで染っこしたの♪」


(この不良娘は……)


 少しだけ髪を取ると、二年染めていた割には、あまり傷んでる風には見えなかった。


 細くて、柔らかい髪──


「てか、本当に俺でいいの? むしろ、今からでも美容室に」


「いいよ。それに、こういうの、なんか楽しい」


 淡いミルクティー色の髪が、少し茶色がかった黒髪に少しずつ変化していく。


 ムラが出来ないように丁寧に髪を梳いて、無事に髪を染め終わると、それから暫く時間を置いたあと、髪を洗い流すついでに、風呂にはいったゆりが脱衣所から出てきた。


「飛鳥、見て見てー、黒髪合う?」


「うん! ゆりさん凄く可愛い~。やっと、お嬢様らしくなった!」


「あはは、嬉しー。でも飛鳥って、たまにグサッとくること言うよね?」


 脱衣場から出てきたゆりに、飛鳥が少し興奮気味に声をかけた。


 明るい髪の色もにあってたけど、黒髪は、またイメージと違ってみえた。


 母親は名家のお嬢様だとかいっていたが、その血筋のせいなのか、妙に清楚な感じがして、少しだけ驚いた。


「お兄さん、どう? 似合う?」


「ぁ、うん……よく似合ってるよ」


「っ……そ、そっか」


 素直に褒めれば、ゆりは少し恥ずかしそうに頬を染めて笑った。


 そして、髪を黒く染めなおし、学校にも真面目に通うようになったゆりは、それからしばらくたった


 ──3月10日。

 無事に、高校を卒業した。


 気がつけば、ゆりと一緒に暮らし始めて


 もう、3週間が経っていた。

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