第521話 兄妹弟と未来


(――ありがとう、華)


 前方を歩く華の姿を見つめながら、蓮はこれまでの16年間を振り返る。


 ずっと、一緒にいた。

 幼い頃から、ずっと。


 華の事なら、なんでもわかっていて、華だって、俺のことをなんでも理解してくれる。


 一緒にいたら楽しくて、安心して。


 喜びも不安も、何もかも共有して、常に傍に居続けてくれた華には、とても感謝をしていた。


 ──ありがとう。


 いつまでも大人になれない、頼りなくて、優柔不断な弟を、ずっとずっと、支えてくれて。


 でも、もう大丈夫だよ。

 俺、ちゃんと大人になるから。


 だから、華も未来に進んでほしい――


兄妹弟みんなで、大人になろう)


 誰も置き去りにはならない。

 

 一緒に成長すれば、誰も悲しまない。


 この先、どんな変化があったとしても、俺たちの未来は、きっと明るい。


 それを、兄妹弟みんなで証明しよう。


 三人一緒に、未来に進んで──…










 第521話 兄妹弟と未来









 ***



 華達が、特別棟に移った頃、飛鳥とあかりは、一年生の教室を確認し終わり、二年生の教室へ向かっていた。


 一年生の教室は、小さめの机と椅子がならんだ、可愛らしい空間だった。


 勿論、お化け屋敷というだけあり、今日は、不気味な空間に様変わりしているが、自分たちだって、こんなに小さな机と椅子を使っていた頃があったのかと思うと、どこか不思議な感じがした。


 それは、自分たちが、大人になったからなのか?


 背が伸び、体格も青年と言われる年代まで成長した。


 思考だって、もう子供とは言いきれない。


 無邪気に駆けずり回って、今だけを考えていればよかった頃は、とうに過ぎていて、将来の事も考えていかなきゃいけない年頃だ。


 そして、それは、華と蓮だけではく、飛鳥とあかりも同じだった。


「手、つなぐ?」


 二年生の教室へ向かう途中、二人は階段に差し掛かった。


 深い瑠璃色の浴衣姿で、さりげなく手を差し出したのは飛鳥。そして、手をむけられ、あかりは、飛鳥を見つめる。

 

 見つめた先では、いつも以上に優しい目をした彼が、愛のこもった言葉を投げかけていた。


 それは、眩暈がするくらい甘くて、夢の中で、まどろむような心地良さすらあった。


 きっと私は、あなたの、その目が好き。


 海のように深くて碧い瞳が、いつも、私の心を穏やかにしてくれる。


 そして、落ち着いていて、心地よい声も好き。


 音の波長が、私の不完全な耳にも拾いやすいのか、高くもなく引くもなく、ちょうどいい音程を聞くたび、安心する。


 傍にいて、これほどまでに気を遣わなくていい相手は、きっと、後にも先にも貴方くらいで


 この手を取れたら、どんなにいいかと


 この安らぎを手放せずにいれたら、どんなに幸せだったろうかと


 ばかりを考えてしまう。


「いえ、一人で大丈夫です」


 だが、そのさりげない優しさを、固い意志で跳ねのけ、あかりは、飛鳥から目をそらした。


 今日ここで、はっきりと終わらせないといけない。


 お互いの未来のためにも──

 

「つないだ方がいいんじゃない? さっきは、落ちそうになってたし」

 

「……っ」


 だが、不意に痛いところを突かれた。


 『さっき』とは、神社の境内での話だろう。

 

 参拝に向かうため、石段をのぼりきった瞬間、飛鳥と目があい、あかりは、バランスをくずして、落ちそうになってしまった。


 そして、それを飛鳥が助けてくれた。

 

 今、思い出しても、体が熱くなるような感覚があった。


 抱き寄せられた時の感触が、忘れられない。

 

 耳元で響く声も、髪から香る甘さも、なにもかも鮮明に思い出す。


 そして、あの時のことがあるからこそ、こうして、今、手を差し出してくれているのだろう。

 

 また私が、危険な目に合わないように。


 でも──…


「大丈夫です。こうして、手すりを掴んでれば落ちませんから」


 だが、断固として頼らないあかりは、飛鳥の手ではなく、階段の手すりを掴んだ。


 確かに掴まるものがあれば、大丈夫だろう。

 

 そして、頑なに手をとらないあかりは、まるで威嚇する猫のようだった。

 

 ここで、無理やり手を取ったら、爪でも立てられるのだろうか?


 わかってはいたが、行き場のない手が、空中で彷徨うのが、なんとも虚しい。


「いいかげん、素直になってもいいんじゃない?」


「……何の話ですか?」


「言ってもいいの?」


 ニコリと含むような笑みを浮かべて、飛鳥は、あかりの顔を覗き込んだ。


 なんとなく『俺のこと、好きなんでしょ?』とでも言いたそうな瞳だった。


 そして、その様子から、完全に見抜かれているのがわかる。


(私が、まだ好きでいること、神木さんは、確信してる……っ)


 今日、出会ってしまったのが、そもそもの間違いだった。


 三ヶ月も心を鬼にして、既読スルーをし続けたのに、あの苦労はなんだったのだろう?


 神木さんは、私がまだ好きていることを確信していて、私も、まだ彼が好きでいてくれることを確信してる。


 赤い糸は、悲しいくらい繋がっていて、必至に解こうとする私の手を、彼が掴んで離さない。


(両想いって、こんなに苦しいのね……っ)


 いや、本来は、苦しくないはずだ。

 

 恋が実れば、二人は自然と結ばれて、ハッピーエンドを迎える。


 私たちの関係も、何か違えば、素直にそうなっていたかもしれない。


 私の聴力が正常であれば。

 せめて、普通の女の子であれば。

 この手をとることも出来たかもしれない。


 でも、持って生まれたものは、どうすることもできない。


 治ることのない病も、受け継いだ遺伝子も、何一つ、変えられない。


 だから、ハッピーエンドには、させられない。


 ここで発生するパッピーエンドは、いつの日か、後悔を招く、危険なハッピーエンドになるかもしれないから。

 

 だって、誰もハッピーエンドは先は、わからない。

 

 分からないから、怖い。


 私は、あなたの手をとるのが、怖い。


 手をとったあとに『あかりを選ばなければよかった』と、貴方に後悔されるのが、怖い。


 だから──

 

「月が綺麗だね」


「……!」


 瞬間、飛鳥が声を上げた。


 横にいる飛鳥に目を向ければ、飛鳥は、階段の踊り場にある大きな窓をみつめていた。


 全面ガラス張りの窓からは、月が見えた。


 丸く美しく月が、二人を優しく照らす。


 そして、その明かりが、飛鳥の髪に反射する姿が、まるで星を散りばめたように幻想的で、あかりは息を呑む。


「そう、ですね……とても、綺麗」


 綺麗で優しい、この人が好き。

 この時間が、たまらなく愛しい。


 あなたの隣にいるのが、こんなにも幸せで


 悪いことも

 怖いことも


 何もかも忘れて


 ずっと、あなたと、月を見ていたくなる。



「このまま、時間が止まればいいのにね?──なんて言ったら、怒る?」


 すると、飛鳥がまた言葉を紡ぎ、あかりを見つめた。


 うかがうように訊ねる飛鳥は、ほんの少しだけ不安そうで、あかりはまた目を細めた。


 怒ったりしない。

 だって、私も同じことを思ってた。


 このまま、ずっと、あなたと月を見ていたいって──


「怒ります」


 でも、そんな本心とは真逆な言葉を発して、あかりは、飛鳥から目を逸らした。


 こんな所で私に気をとられて、立ち止まってほしくない。


 あなたには、未来に進んでほしい。

 

 私には叶えることができない未来を、誰かと一緒に叶えて欲しい。


「私は、あなたに、立ち止まってほしくありません。だから、先に行ってください」

 

 どうか、私の手を離して、未来へ進んで。


 この時間は、貴方にとって、無駄なものにしかならないから。


 どうか、時間を止めたいだなんて思わないで


 私の、傍にいようとしないで──



「なんで? 行くなら、一緒に行こうよ」


「……っ」


 だが、その瞬間、手をつかまれた。

 

 繋がないと言った手を強引にとられて、あかりは慌てだす。


「ちょ、ちょっと、繋がないっていったじゃないですか!?」


「だって、一人で行けみたいなこと言うし。月を見るなら、あかりと一緒がいいな。それに、あかりが、迷子になっても困るしね」


「なりませんよ、こんな場所で!」


「ホントかなー。でも、確かに立ち止まってちゃダメだよね。のんびり進んでたら、理久くんと隆ちゃんが、追いついちゃうかもしれないし」

 

「それなら、それで」


「ダメだよ。せっかく二人きりになれたのに、邪魔はされたくないだろ」


「……っ」


 二人きりといわれて、穏やかだった鼓動が一気に心拍を増す。


 安心させるのも、この人だけど

 動揺させるのも、この人だ。


 神木さん、私は今日ここで、あなたとお別れをしなきないけないんです。


 あなたの心を、傷つけなきゃいけない。

 それなのに──


(これじゃ、切り出せない……っ)


 触れるたびに

 声をかけられるたびに


 意思が揺らいでしかたない。


 あなたを、傷つけなきゃいけないのに


 と、心がずっと叫んでる。


(言わなきゃ……っ)


 言わなきゃいけない。

 ハッキリと──


 それなのに

 なかなか『さよなら』を告げられない。


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