第295話 始と終のリベレーション⑳ ~終わり~

「あら、ミサちゃん。久しぶりー」


 それは、私が仕事を始めて一年がたった頃。

 桜が散り始めた4月のことだった。


 買い物帰りにばったり会ったその人は、私の義理の母だった人。


 そう、侑斗の母親──神木 阿沙子だ。


「離婚してからぱったり見なくなったから、フランスにでも行っちゃったのかと思ってたけど。今は、なにしてるの? 仕事は?」


「そんなの、あなたに話す必要は無いと思いますけど」


「あらやだ、冷たい子だねー」


 ケラケラと高い笑い声を発するお義母さんは、相変わらずな人だった。


 結婚生活中の嫌だった出来事を思い出す。

 できるなら、もう関わりたくなかった。


「すみません、私急ぐので」


「そうそう。侑斗、


 すれ違いざまに、よく分からないことを言われて、私は思わず足を止めた。


「──え?」


「侑斗、あの後再婚したのよ。それで、この前、赤ちゃんが生まれたみたい。双子の男の子と女の子」


「赤……ちゃん?」


 意味が、分からなかった。


 侑斗なら、いつか再婚してもおかしくないとは思っていた。飛鳥もまだ小さかったし、母親は必要だと。


 だけど──


「赤ちゃんって、いくらなんでも……だってまだ離婚して、一年しか」


 いくらなんでも、早すぎると思った。去年の冬に離婚して、翌年の春に子供が生まれるなんて


「誰と再婚したか、教えてあげましょうか?」


「え?」


「阿須加 ゆりちゃん」


 瞬間、心臓がドクンと波打った。

 その名前には、酷く覚えがあった。


 阿須加ゆり──それはあの日、私が刺した女の子の名前だから


「っ……まさか、そんなはず……だって、阿須加さんは飛鳥を助けてくれたって、あの時、侑斗が……!」


「ねぇ、ミサちゃん。あなた、められたんじゃないの?」


「え?」


「侑斗と、ゆりちゃんに。あの二人、元々デキてたんじゃない? 飛鳥を引き取ったあと、すぐに同棲始めたみたいだし」


「同棲……」


「そうよ。だから言ったじゃない。侑斗、その気になればいつでも浮気できるわよって……さすがに12歳も年下の女子高生に手を出すとは、思わなかったけど。でも、やっぱり蛙の子は蛙よねー。私が"侑斗の父親"と付き合ってたのも女子高生の時だったし……きっと、ミサちゃんが邪魔だったのね」


「……っ」


 心臓が痛いくらい鼓動を刻んで、目の前が真っ暗になった。


 同棲? あの後すぐに?


 侑斗、やっぱり浮気してたの?

 あんなに『してない』っていってたのに?


 阿須加さんも、妻子持ちに手を出すような子だったの?


 騙されてた?

 侑斗と、阿須加さんに?


 じゃぁ、飛鳥は───?



「可哀想ね、ミサちゃん。あなたの大事なもの、ぜーんぶ、ゆりちゃんにとられちゃったわね」


「……ッ」


 ──とられた。


 その言葉に、阿須加ゆりを刺した時の感情が蘇ってきた。私がいるはずの場所に、なり変わって笑っていた。


 侑斗に微笑みかけられて、飛鳥に抱きつかれて、私が大事にしていたものを、全てあの女が横取りしていた。


「うそよ……そんなの……っ」


「嘘じゃないわよ。実際に、子供が生まれてるのが何よりの証拠じゃない。侑斗も飛鳥も、ゆりちゃんが来てたから、とても幸せそうよ」


「……」


「ミサちゃん、あなたは純粋すぎるのよ。お父さんとお母さんは、さぞかし立派な人達なんでしょうけど……世の中、あんな真っ当な人間ばかりじゃないのよ。綺麗なあなたを利用しようとする人はたくさんいるんだから……幸せになりたいのなら、利用される前に、利用するくらいでいないとね?」


 ただ、呆然と立ち尽くしたまま、お義母さんの話を聞いていた。


 幸せになりたかった。

 侑斗となら、幸せになれると思っていた。


 阿須加さんのことだって、すごく後悔した。


 なんども、なんども、心の中で謝り尽くした。


 だけど───


(利用された……?)


 あの二人に、利用された結果が、これなのだとしたら、許せないと思った。


 私から、大事な飛鳥すら引き剥がして、不倫していたあの二人は、誰に責められることもなく、全部、私が悪者扱い。


 悔しかった。

 そしてなにより、許せなかった。


 私から、大事な我が子すら奪った、侑斗と阿須加 ゆりが───




 ◆◆◆



 だけど、結局それが分かったところで、現状を変えることはできなくて、私は心の底に醜い感情を抱えたまま、何度目かの春を迎えた。


「お母さん、こっち!」

「ちょっと待って」


 侑斗と離婚して、5年がすぎて、30歳を迎えた頃。ふと、小学生の男の子と、一緒に歩いている母親の姿が目に入った。


 仲睦まじい親子の姿を見て、不意に飛鳥のことを思い出した。


 成長していたら、ちょうどあのくらい。

 今、どうしているだろう。


 だけど、それと同時に、もう我が子を抱きしめることもすら出来ない自分に、虚しさを感じた。


 また、子供を持つ喜びを感じたい。


 それは30を過ぎて、世間で言う出産のタイムリミットが近づいていたのもあったのかもしれない。


 ずっと、一人で生きていこうと思っていたのに、また子どもが欲しいと思うようになった。


 幸いにして私は、30を過ぎても、まだ20代前半に見られるくらい若々しくて、男には困ってなかった。


「ミサ、ごめん待った?」

「うんん……」


 侑斗が再婚したと知ってからは、何人か男の人とも付き合った。


 もう結婚をする気はなかったけど、一人でいるのも寂しかったから、好きで一緒にいるというよりは、寂しさを埋めるために付き合ってた。


 美人なのは得だ。私を落とすために、みんな優しくしてくれるから。


 だけど、未だに私のなかには侑斗がいて、ほかの男に抱かれる度に、その存在を否が応でも思い知らされた。


 どれだけ情熱的な言葉を囁かれても、身体は全く反応しなかった。


 気持ちのいいフリをして、感じているフリをして、だけど、それも段々馬鹿らしくなって、付き合っては、捨てるの繰り返し。


 侑斗の存在を払拭するために、男たちの告白を受け入れて、何度と体の関係ももったけど、結局、侑斗以上の男は現れなかった。


 ただ、身体の相性が良かったのか、本気で愛していたからなのかはわからないけど、私を裏切った、あんなにも憎いはずの男が、未だに私の中に根を張っていて、ある時、ふと思った。


(また子供を持てば、忘れられるかしら…)


 忘れたかった。

 侑斗を忘れて、前に進みたかった。


 そう思ったら、子供が欲しくてたまらなくなって、そんな時、私が目をつけたのが


 ───東條とうじょう 慎也しんやだった。


 慎也は、私より3つ年下の、最後に付き合った男だった。顔は悪くなかったけど、素朴でつまらない男だった。


 だけど、笑った顔がどことなく侑斗に似ていて、不思議とこの人の子供なら授かってもいいと思えて、私は、子供のために、慎也を利用した。


 たまたま、できやすい日にデートする機会があって、いつもは自分からは誘わないけど、その日は、私の方から誘ってみた。


 みんなが私を利用するなら、私も利用してしまえばいい。だから、安全日だって嘘をついて、そのまま好きにさせてあげた。


 一種の賭けみたいなものだった。


 今日、授からなかったら、もう、子供を持つのは───諦めよう。




 ◆◆◆


「うそ……本当にできちゃった」


 だけど、その賭けにはあっさり勝って、私は人生で二度目の妊娠をした。


 多少の戸惑いもあったけど、それでも嬉しかった。また、子供を持つことができる。


 もう、一人じゃない。そう、思えたから…


 だけど、そのあと予想外のことが起きた。


「ミサ、結婚しよう」

「え?」


 慎也が、責任を取ると言い出した。


 夫なんていらなかった。

 子供だけいれば良かった。


 だけど、それを断るのもおかしな話で、私はその後、慎也と結婚して、私たちは夫婦になった。


 慎也との結婚生活は、すごく穏やかだった。お腹の子もスクスクと成長して、妊娠7ヶ月の時には、女の子だと分かった。


 だけど──


「なぁ、赤ちゃんの名前、何にしようか?」


「……レナ」


「え?」


がいいわ」


 だけど、私はそれでも、侑斗のことを忘れられずにいた。


 結婚しても、子供を授かっても、結局、侑斗は私の中から消えなかった。


 憎いはずの男を、私は、ずっとずっと思い続けていて、それを実感する度に、侑斗を奪った、阿須加ゆりへの憎しみが膨れ上がっていった。


 結局、私は、それでも、侑斗が好きなんだと思った。


 裏切られても、侑斗を愛していて、思い返せば、付き合った男はどこかしら侑斗に似ているところがあった。


 侑斗の面影を探して、だけど、それは侑斗ではなくて──


(やっぱり、結婚なんて、するんじゃなかった…っ)


 次第に私は、慎也に後ろめたさを感じるようになった。


 忘れられない男がいるのに、欺き続けてる自分が嫌になった。


 娘の名前にすら、侑斗の面影を残そうとする自分が、馬鹿みたいに滑稽で、そしてエレナが生まれて、半年がたった頃。


「これに、サインして」


 私は、慎也に離婚を申し出た。

 愛のない結婚に意味なんてなかった。


 このまま続けていても、私は一生幸せになれないと思った。


「なんで、離婚なんて……」


「ごめんね。私、あなたのこと愛してないの」


「え?」


「元々、結婚する気なんてなかったの。ただ、子供が欲しかっただけ。だから、もう──あなたに用はないわ」


 酷く冷たい言葉を放って、"二人目の夫"に別れを告げた。


 ◆


 そして、まだ幼いエレナをつれて、私はまた実家に戻ってきた。


 父と母と、幼い頃に暮らしていた、私が最も安心できる場所──


 その家の縁側に腰掛けて、私は、すやすやと眠るエレナに語りかける。


「エレナ。あなたなら、私の"夢"を叶えてくれるわよね」


 もう、裏切られるのは嫌。

 だから、他人なんて誰も信じない。


 信じられるのは、もう、エレナこの子だけ──…


「今度こそ、幸せになりましょう」


 二人で、誰よりも、幸せに──


 だから、私が必ず守ってあげる。


 痛い思いをしないように

 怖い思いをしないように


 私の全てをかけて、あなたを愛してあげる。



 だから、エレナは


 絶対に私を











 裏切ったりしないでね







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