第154話 侵入者とトラウマ


 (……誰?)


 朧気に感じた人の気配。だが、自分一人しかいないはずのこの家の中で、人の気配がするなんて、本来ならあるはずがなかった。


「っ……ん」


 熱のせいか意識は朦朧としていて、雨が降っているのもあり、カーテンを閉めきったままの室内はやけに薄暗かった。


 ギシッ──


 すると、未だに思考が追いついていない飛鳥のもとに、今度は床が軋む音が聞こえた。


 気怠い思考を動かし、その薄暗い室内に目を凝らす。するとそこに、ゆらりと影が揺らいだ。


 見えたのは、自分を見下ろす、男の影。


「──ッ」


 その影が飛鳥を覆った瞬間、飛鳥はやっと自分の現状を把握した。


 逆光のせいで顔は分からないが、明らかに華や蓮とは違うその影。


 そして、伸びてきた、その男の手に思い出したのは──


《コレクションに、加えたくなったんだよ》


 10年前の、あの忌まわしい記憶だった。


 10月の黄昏時、飛鳥は、薄暗いトイレの中で一人捕えられた。


 押さえつけられ、身体を撫でられ、誘拐するために、意識を奪おうと首をしめられた。


 朦朧とする意識の中。その影が、あの男と重なった瞬間


《たくさんたくさん、可愛がってあげよう》


 自分を見下ろしながら笑う、男の声や、這う手の感触が


 記憶の奥底から、一気に蘇ってくる。




「──っ、あ……!」


 突然のことに、飛鳥はその身を一気に強ばらせた。


 咄嗟に手を上げ抵抗するも、熱のせいか身体は思うように動かず、反応が遅れたその手は、伸びてきた男の手によって難なく捕らえられた。


「……ッ」


 なんで?

 なんで、家の中に?


 嫌だ。怖い。気持ち悪い。


 いやだ。いやだ。嫌だ


 い──



「飛鳥、落ち着け!!」

「ッ……!?」


 だが、その瞬間、飛鳥の思考は一気に引き戻された。


 暴れる飛鳥の耳に響いたのは、酷く聞き覚えのある声だった。


 朧気な思考が、その呼び掛けによりしっかりと覚醒する。すると、自分の手を捕らえた人物を確認して、飛鳥は目を見開いた。


「っ……た、か……ちゃん?」

「お前、大丈夫か?」


 部屋の薄暗さになれた目で、目の前の人物を改めて確認すると、それは友人の隆臣だった。


 珍しく取り乱す飛鳥を見て、隆臣が心配そうに声をかけると、その姿を確認して、さっきの影は自分の勘違いなのだと気づくと、飛鳥は、すっと力が抜けていくのを感じた。


「っ……な、んだ……隆、ちゃん…か……っ」


 ──よかった。


 だが、そう思ったのも束の間。


「──て、良くない!? なんで、お前がここにいるんだよ!!」


 蒼白し、飛び起きると、飛鳥は悲鳴にも似た声をあげた。


「なんで!? どうやって入ったの!? さすがの俺も、熱出して家で寝込んでる時に変質者が現れたら、為す術もないっていうか……え? なにこれ、どういう状況? 俺どうなんの? やられんの? このまま、死ぬの?」


「誰が変質者だ。別に寝首かきにきたわけじゃねーよ。とりあえず差し入れ。食うか、プリン」


 そう言うと、隆臣は手にした袋を飛鳥の前に差し出してきた。飛鳥はその袋をみつめると


「……なにか、やばいもの……入ってたりしないよね?」


(めちゃくちゃ警戒してる)


 びくびくと疑惑混じりの視線をむける飛鳥をみて、隆臣ははぁと深く息をつく。


 どうやら、余程怖がらせてしまったらしい。まぁ、誰もいない家に、いきなり人がいたら、驚くよな。


「……飛鳥、スマホは?」


「え?」


「来る前に、メッセージ送ったのに、全く既読つかないし、インターフォンも何度か鳴らしたけど出ねーから、中で倒れてるんじゃないかとおもって」


「え? それで入ってきたの?……て、まさか玄関、破壊した?」


「んな訳ねーだろ。普通に鍵使って……」


「普通じゃないだろ!? なんで、隆ちゃんがうち鍵もってんの!? お前、マジで警察呼ぶぞ!?」


「あのな、さっきから人のこと犯罪者扱いすんな!」


 だが、いくら仲がいい友人とは言え、オートロック式のセキュリティマンションで、鍵も持たない他人が、いきなり不法侵入してきたら、誰だって驚く。


「いや、マジで、どうやって入ったの?」


「実は今朝、蓮からLIMEがきて」


「え?」


「俺の講義、今日は午前中だけだって話しをしたら『兄貴が熱出して寝込んでるから、良かったら様子見に行ってくれ』って、わざわざ家まで、鍵渡しに来たんだよ」


「……」


 その返答に、今隆臣がここにいる経緯を納得した飛鳥は、華と蓮の行動に顔をひきつらせる。


「なにそれ……俺いくつだよ、小学生か!」


「まぁ、お前、体調管理には人一倍気をつけてるからな。そんな兄貴が久しぶりに寝込んだから、心配だったんだろ?……で?熱はどうだ?」


「あー……朝よりは、下がったかも」


「そうか、飯は? キッチン借りていいなら、適当に作るぞ?」


 カーペットの上に腰を下ろすと、隆臣はベッドに座る飛鳥を見上げながら、いつもと変わらない声を発した。


 昼前にわざわざ来てくれたのは、お昼ご飯を作りにきてくれたのか?飛鳥は、ほんの少しだけ、申し訳ない気持ちになった。


「お昼は、いいよ……プリンだけ貰う」


 すると、そう言って視線をそらす飛鳥をみて、隆臣はその後一呼吸考え込むと、袋の中から、買ってきたスポーツドリンクとプリンを差し出す。


「まー少しは食え。朝もあまりくってねーんだろ?」


「ん……ありがとう」


 隆臣から受け取ると、飛鳥は水分をとるため、冷えたスポーツドリンクで喉を潤す。


「ごめんね? うちの子たちが迷惑かけて……」


「別に、迷惑じゃねーよ。お前だって、家族が寝込んでたら、いつも甲斐甲斐しく看病してたじゃねーか、華や蓮だって同じだろ。少しでもお前の役に立ちたいと思って、俺のとこに来た。お前、滅多に寝込まないし、アイツら凄く心配してたぞ。華なんか目赤かったし、泣いたんじゃないか?」


「泣くほど心配すること? ただ、熱出しただけだよ。今すぐ死ぬってわけじゃないんだから……」


「でも、ゆりさんは、突然亡くなったんだろ?」


「……っ」


 瞬間、その名を聞いて、飛鳥の身体がピタリと止まる。


「だから、華と蓮も、お前に何かあったらって思ったら、不安だったんだろ」


「……」


 そう言われて、胸の奥が、かすかな痛みを発した。


 思い出すのは、あの日救急車の中で息を引き取った



 ──母の最期の姿。



 でも……


「それは、ないよ……だって、あいつらは……覚えてない」


 母さんが死んだ時のことなんて、何一つ、覚えてない。


 むしろ、覚えてなくていい。




 ───あんな、辛い記憶。




「覚えてなくても、アイツらだって、もう家族を失うのは嫌なんだろ。特にお前は、母親代わりみたいなもんだったし」


「……」


 それは、酷く心に響いて、飛鳥は隆臣に向けていた視線を自分の手元に落とすと、薄い掛布団をぎゅっと握りしめた。


「隆ちゃんは……失ったことある? 目の前で、大切な人……亡くしたこと……ある?」


 目をふせ、ポツリポツリと呟く飛鳥いた飛鳥の言葉。それを聞いて、今度は隆臣は目を細めた。


(……珍しいな。飛鳥が、俺にそんなこと聞いてくるなんて……)


 結われていない髪の隙間からは、苦しそうに表情をゆがめる飛鳥の顔が見えた。


 日頃、弱音を吐かない飛鳥の、どこか悲痛な問いかけ。


 熱のせいか?


 それとも───




「そうだな……そいつが大切な人だったかはわかんねーけど、失いかけたことならあるぞ」


 隆臣は、その後飛鳥から視線を逸らすと、あくまでも普段通り話し始めた。


「え? 失いかけたって……助かったの? その人」


「あぁ、ギリギリな」


「そう、なんだ……凄いね、隆ちゃんは」



 ──なにが違うんだろう。


 俺には無理だった。


 そしてそれは、あの日、母さんが息を引き取るのを目にして、更に実感した。


 ほんの少し選択を間違えただけで、人は簡単に失ってしまう。


 どんなに守りたくても


 どんなに失いたくなくても


 簡単に、失ってしまう。



「どうしたら……守れるんだろう」


 すると飛鳥は、またポツリポツリと呟く。


「どうしたら、大切なもの全部、守れるんだろう……どうしたら……なにも、失わずに、生きていける……?」


 目を閉じれば、思い出す。


 母さんの笑った顔──



 守りたかった。


 でも、守れなかった。




 どうしたら、守れた?



 どうしたら、失わずにすんだ?



 どうしたら?


 どうしたら?


 どうしていたら?




 その方法を、ずっと探してるのに





 『答え』が見つからない───





「全部、守りたいのか?」


「うん……っ」


「……」


 重く言葉を発すれば、隆臣がまた口を開く。だが


「そうか……でも、だ」


「……え?」

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