第209話 母と妹

「あの人は、俺の母親でもあるから──」


 その言葉と同時に、辺りはシンと静まり返った。


 時刻は10時半を回り、時計の音だけが静かに響く中、エレナとあかりは、微動だにせず飛鳥を見つめていた。


 無理もない。いきなり、こんなことを告げられたら、どんな反応をすればいいのか、わからなくもなる。


「……っ」

「えぇ!?」


 だが、そんな中、あかりが驚くような声をあげた。


 深刻だった場の空気が途絶え、飛鳥とエレナが同時にあかりを見つめると、不意に出てしまった声を恥じらい、あかりは自分の口元を押さえた。


「あ、ごめんなさい。その……続けてください」


「てか、なんで、お前が驚くの?」


「あ……それは……っ」


 飛鳥の言葉に、あかりは、バツが悪そうに顔をそむけた。


 あかりとて、二人(飛鳥とミサ)に何かしらの関りがあるのは気づいていた。


 だが、この状況を理解するには、幾分か情報が足りな過ぎる。


「あの……一つ、聞いても良いですか?」


「……なに?」


「その、つまり今のは……ミサさんが、神木さんのお母さん……ってことですよね?」


「…………」


 恐る恐る問いかけるあかりの言葉に、飛鳥は沈黙する。


「お母さん」と言ったあかりの言葉が、ひどく重く感じた。


 だが、どんなに否定したくても、それは紛れもない事実で──


「まぁ……そう言うことだよ」


「あの、ミサさんて、いくつなんですか?」


「は?」


 だが、あまりに的はずれなことを聞かれ、今度は飛鳥が困惑する。


 今、年齢とか関係あるか?

 ていうか、あの人、今いくつだ?


 遠い記憶になりすぎて、年齢がはっきりとわからない。


「ね、年齢って言われても……っ」


「41歳だよ」


 すると、悩む飛鳥に助け船を出すように、エレナがミサの年齢を告げた。


「41? じゃぁ、神木さんは、21歳の時の……」


 すると、どうやら納得したらしい。


 あかりは、再び飛鳥を見つめると、申し訳なさそうに謝罪の言葉を投げかけた。


「あの、すみません。私てっきり、まだ30代前半の方だと思ってて……まさか、こんなに大きなお子さんがいるなんて、思わなくて……っ」


「…………」


 30代前半!?


 流石の飛鳥も、その返答には顔を引きつらせた。


 前に公園で見かけたときも、40代には見えなかったが、まさか10歳近く若く見られているとは!


 だが、確かに30前半だと思ってた人に、いきなり20歳の息子が現れれば、驚くのも無理はない。


(てか、あの人……どんだけ若く見られてんの?)


 自分だって、未だに高校生に間違えられるため、人のことは言えない。


 だが、まさか実年令より若く見られるところも似ているなんて、何故か、予期せぬところで血のつながりを感じてしまい、飛鳥の複雑な心境になる。


 だが、ここで親子だと信じてもらえなければ、話もすすまない。


「はぁ……まぁ、顔見れば分かるとは思うけど、信じられないなら、母子手帳あるよ? 名前が『神木ミサ』って書いてある」


「あ、別に疑ってるわけでは! ただ」


「お兄さんのお母さんって、亡くなってるんじゃないの?」


 すると、今度はエレナが、飛鳥に問いかけた。


 飛鳥は、エレナと初めてあった時、エレナに


『お兄さんのお母さんて、どんな人?』


 と聞かれた。


 あの時は、まさか目の前の少女が、自分と血のつながりがある子だなんて思いもせず、飛鳥は素直に自分の『母親』である『ゆり』のことを話したのだが──


「……あーそっか。ごめん。それは、育ての母親の方だよ。俺の父親、あの人と……君の母親と別れた後、再婚したから」


「再婚?」


「うん。だから、さっきの双子の妹弟も、その再婚相手の子供で、俺とは『母親違いの妹弟』だよ」


「…………」


 ゆりの事を思い出しながら、飛鳥が事の真相を話すと、エレナはそんな飛鳥の話を黙って聞いていた。


 エレナなりに、必死に理解しようとしているのだろう。


 スカートをぎっと握りしめたまま、ただひたすら、飛鳥の話に集中しているのが分かる。


「ごめんね。急にこんな話して、俺も前にあった時は知らなくて……」


「あの、じゃぁ、お兄さんは……」


 飛鳥を見上げ、エレナが再び問いかける。


 だが、どうやら戸惑っているのか、その先の言葉を口にするのを躊躇しているようだった。


 母親が同じなのだ。


 いくら小学生でも、自分たちがどんな関係なのかくらい、自ずと理解できるだろう。


 飛鳥はそんなエレナの気持ちをくむと、その場から立ち上がり、エレナの前に膝をつきくと、まっすぐにエレナを見つめた。


「……そうだよ」


「え?」


「父親は違うけど、俺と君はあの人の……紺野ミサの子供で──正真正銘、血のつながった"兄妹"だよ」


「……っ」


 兄妹──そう告げた瞬間、エレナが息を詰める。


 正直、少し酷なことをしていると思った。


 オーディションの事でいっぱいいっぱいな今のエレナに、いきなり『異父兄妹』だと伝えるなんて──


「……驚かないの?」


「…………」


 だが、案外賢い子なのか、思いのほか冷静なエレナを見て、飛鳥が問う。


 すると、エレナは


「驚い……てるよ……っ」


 そう、小さく声を発したあと、キュッと唇を噛み締めた。


 それが意味するものが、受諾なのか、拒絶なのか全く検討もつかないまま、飛鳥はその先の言葉を静かに待つ。


「ねぇ、お兄さん…」


「ん?」


「その……名前、なんていうの? 神木……」


「あー、ちゃんと話してなかったね。飛鳥だよ。飛ぶ鳥で『飛鳥』」


「そ、そっか……」


 改めて名前を聞くと、エレナは、また黙り込んだ。


 考えてみれば、まともに自己紹介すらせず、話してしまった。


 飛鳥はエレナのことを、あかりづてに聞いていても、エレナは、まだ飛鳥の苗字しか知らず、エレナにとって飛鳥は『仲のいいお姉さんが通っている大学の先輩』くらい認識だったのだろう。


 そんな人間が、いきなり『兄』と名乗るわけだ。


 そう簡単に、心の整理がつくはずがない。


「あのね、私のお母さん……いつも大事に持ち歩いてる『写真』があってね」


「……え?」


 だが、暫くの沈黙を経た後、エレナがまたぽつりぽつりと話し始めた。


「その写真にはね、お母さんと一緒に、男の人と赤ちゃんが写ってて、初めて見た時には、その男の人が私のお父さんで、その赤ちゃんは私なのかなって思った」


「………」


「でも、よく見たら、その赤ちゃんの目の色、私とは違って青い色してたから、その男の人は、私のお父さんじゃなくて、お母さんの前の旦那さんなんだって気づいた」


 写真に纏わる話をするエレナの顔は、とても寂しそうだった。


 そして、飛鳥は、その写真に覚えがあった。


 あの人に、再会したあの日の夜、クローゼットの中から取り出した缶ケースにしまっていたあの写真。


 きっと、エレナが話しているのは、自分が幼い頃、3人で撮った、あの写真だと思った。


「でも、その赤ちゃんが私じゃないって分かった時に、もしかしたら、この世界のどこかに、兄妹がいるかもしれないって思ったの」


「え?」


「会えるなら会ってみたいって、ずっと思ってた。でも、お母さんは、赤ちゃんの名前も性別も、生きてるのか死んでるのかも全く教えてくれなくて……でも、前に飛鳥さんにあった時、飛鳥さんが、お母さんにそっくりだったから『もしかしたら』って思ったの……っ」


「……」


「そっか…じゃぁ、やっぱり飛鳥さんが……私の……"お兄ちゃん"だったんだ……っ」


「……っ」


 その言葉に、飛鳥は目を見開いた。


 さっきまで、寂しそうだったエレナの表情は、涙を浮かべてはいたが、どこか嬉しそうにも見えて……


 きっと、あの日


『お兄さんのお母さんって、どんな人?』


 エレナが問いかけたあの言葉には、色々な期待が込められていたのかもしれない。


 どこにいるのか、生きているか、死んでいるかすら分からない、自分の兄妹。


 だけど、そのエレナの気持ちは、なんとなくだけどわかる気がした。


 自分も幼い頃、ひどく兄妹に憧れたことがあった。


 独り閉じ込められた部屋の中で、誰もいない場所に話しかけては、来るはずのない返事をまっていた。


 そんな独りきりの時間が、あまりにも耐え難くて、兄妹がいれば、この寂しさも少しは紛れるかもしれないと思った。


 自分が「いるはずもない兄妹」に憧れたくらいだ。


 エレナが「いるかもしれない兄妹」を思うのは、当然のことだったのかもしれない。


(お兄ちゃん……か)


 目の前で、今にも泣きだしそうなエレナをみて、飛鳥は思いのほか、ホッとしていた。


 まだ、実感は薄いだろうけど


 それでも一応


 "兄"として、認めてくれた気がしたから──



「でも、なんでそんなこと、話してくれたの?」


「…………」


 すると、再び声を掛けられ、飛鳥が顔を上げた。


 泣き出しそうなエレナは、あかりにハンカチを差し出されていて、エレナは、そのハンカチで涙を拭いながら、再び問いかけてきた。


 そして、その言葉を聞いて、飛鳥は思う。


 今、話さなければ、このまま何事もなく過ごせたのかもしれない。


 エレナのことは、まだ誰も知らない。


 誰にも話してない。


 父にも、華にも、蓮にも──


 なら、このまま打ち明けず、自分の胸に閉まってさえおけば、もう「あの人」に関わることもないはずなのに……


「俺も……同じだから」


「え?」


「俺も昔、モデルをしてたことがある。子供の時に──」


「……っ」


 打ち明けたと同時に、あかりとエレナが同時に息をのんだ。


 瞠目する二人の表情と、自分の言葉に反応してか、記憶の底から、あの頃の思い出したくもない出来事が、一気に蘇ってくる。






 ────あぁ、重い。




 でも……




「ここから先は、かなり辛い話になるけど……俺の昔話、聞いてくれる?」




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