第453話 罪と糸


「倉色さん、休憩行ってきていいよー」


「…あ。はい、ありがとうございます」


 喫茶店のバイト中。

 先輩店員に声をかけられ、あかりは明るく返事をした。


 少し聞き取りにくかったが『休憩』という言葉は、はっきりと聞こえたため、タイミング的にも、そう判断した。


 あかりは、キッチンの仕事を引き継ぐと、すぐに休憩室に向かった。


 この喫茶店の制服は、とてもおしゃれで、モダンな雰囲気のこの喫茶ラ・ムールにピッタリなデザインだ。


 だが、可愛らしさで言えば、キッチンの制服よりは、ウエイトレスたちの制服の方がまさっているかもしれない。


 休憩室につけば、若い女性店員が二人で、雑談をしながらくつろいでいた。


「休憩、入ります」

「「はーい。お疲れさまー」」


 あかりが声をかければ、その二人から、明るい声が返ってきた。


 バイトをはじめて、四ヶ月。

 他の定員たちとも、大分打ち解けてきた。


 あかりは、その二人と軽く会話を交わすと、その後、奥のロッカールームから、スマホと水筒を取り出し、休憩室の隅に席に腰掛けた。


 スマホを見れば、いくつかのアプリに通知が入っていて、その中でLIMEの通知が3件入っているのを目にしたあかりは、すぐさまメッセージを確認する。


 ひとつは、ファッションショップの広告で、もうひとつが、母から。そして、最後の一つが


(神木さん……)


 飛鳥から届いたメッセージを見て、あかりは小さく胸を痛めた。


 ここ三ヶ月ほど、あかりは、飛鳥からのメッセージを無視し続けている。


 読むだけ読んで、返事は送らない。

 ただ、それだけを繰り返してきた。


 だが、この行為が、またあかりの心に、大きな罪悪感を抱かせる。


 無視するたびに、心が重くなる。

 まるで、罪の意識が重なっていくように──…


(いつまで、続ければいいんだろう)


 これは、あからさまな拒絶だ。

 きっと、相手だってわかってるはず。


 だから、一ヶ月もすれば、愛想をつかされるかと思っていた。


 でも、彼は──この糸を、決して離そうとはしない。


(神木さん。今、フロアにいるんだ)


 飛鳥のメッセージをみれば


《今、ラ・ムールにいるよ。バイト、お疲れ様》


 と、そんな簡単な言葉が、一言だけ添えらていた。


 今、この店に、彼がいる。


 ただそれだけで、鼓動が微かに早まった気がしたのは、きっと気のせいではない。


 会いたくない。もう、二度と。


 そう思ってるはずなのに、心と体は、なかなか言うことを聞いてくれない。

 

「はぁ……」


 深くため息をつくと、あかりは返信はせず、切り替えるように、母のメッセージを確認する。


 あかりの母、倉色くらしき 稜子りょうこのメッセージは、今度、泊まりに来る時のことが書かれていた。


《なにか、必要なものはある? 一緒に持っていくから、早めに教えて。あと、夏祭りにはいくの?》


 なにかと世話焼きな母は、時々、段ボールいっぱいにインスタント食品やら、お菓子を送ってきてくれる。


 だからか、今度来る時もそのつもりなのだろう。


 だが、そのいつも通りのメッセージと共に書かれた『夏祭り』という単語が気になった。


 昨年、帰省した時に、理久が夏祭りに行きたいといっていた。


 だから、ちょうど祭りと重なるように、休みをとった。もちろん、家族を連れて夏祭りに行くため。


(行かないなんていったら、理久が残念がりそう)


 あかりは、すぐさまスマホをタップすると、母にむけて《行くよ》と入力する。


 なにより、桜聖市の夏祭りは、あかりも楽しみにしていた。一人では行きづらいが、家族となら行きやすい。


 だが、ふと気になって、あかりは、文字を打つ手を止めた。


(あ、そう言えば、神木さん達は、どうするんだろう?)


 確か、昨年は夏祭りに行っていた。そして、その帰りに、あかりのアパートに飛鳥がやってきた。


 大野さんに気をつけろという助言と、差し入れを手にして。


(なんだか、懐かしいな……)


 あの時のことが、もう遠い昔のことのよう。

 できるなら、あの頃に戻りたい。


 普通の友人として過ごしていた、あの頃に──…


 だが、もどれるはずなんてなかった。


 もう自分達は「友人」という枠から、はずれてしまったのだから……


「えー! なんで、誘わないのよー!」


「……!」


 すると、あかりの耳に、さっきの女子達の話が聞こえてきた。


 休憩室は狭くて静かだからか、話は思ったより筒抜けになる。


「隆臣くんも休みなんだからさー、誘ってみなって!」


「ムリだよー! 私なんて眼中にないって!」


「そんなの、わかんないじゃん! 夏祭りに誘ってみて、あわよくば告白!」


「でも、フラれたらどうするの。バイト中、気まづくなりそうで……っ」


 あかりの横で、恋バナを続ける二人。


 どうやら、そのウエイトレスは、隆臣に恋をしているらしく、思い切って告白しろ!と、もう一人の女子に、せっつかれているようだった。


(そういえば、橘さんも休みだったっけ)


 二人の会話を聞いて、あかりはふと思い出す。たしか、シフト表に、あかりと同じく休みのマークがついていた。


 なら、橘さんも、夏祭りの日は、お休み。

 

 しかし、隆臣が休みだということは、神木家が来る確率が、更に上がってくる。


(どうしよう……行かない方がいいかな? でも、行かなかったら、今度は理久をガッカリさせちゃうし……)


 神木家御一行と、祭り会場で鉢合わせするのは避けたい。だが、弟を悲しませるのも嫌。


 あかりは、自分の都合より、弟との約束をとると、意を決してメッセージを送信した。


 《行くよ》と書かれたメッセージが、母親に届く。

 すると、意外にも直ぐに返事がきた。


《わかったわ。じゃぁ、浴衣も持っていくわね》


(え!? 浴衣!?)


 これは、予想外だった。まさか、浴衣を持参するかしないかの話だったとは!?


(浴衣かぁ……そういえば、彩ねぇとも、浴衣きて夏祭りに行ったっけ)


 懐かしい、懐かしい記憶。

 彩音が亡くなる前の記憶。


 倉色家は、とても賑やかで仲の良い家族で、夏祭りにも、よく家族みんなで行っていた。


 浴衣を着て、出店をまわり、最後に花火を見る。


 あの頃は、とても楽しかった。

 未来だって、輝いていた。

 

 でも──…


(今なら、彩ねぇの気持ちが、よくわかる)


 好きな人ができて、その好きな人と両思いになった。

 だからこそ、自殺した彩音の気持ちが、痛いほどわかる。


(……もう、あんな悲劇、繰り返しちゃいけない)


 悲しい結末バッドエンドは、もう見たくない。


 私の家族に、二度と悲しい思いはさせない。


 だからこそ──…


(早く、嫌われなきゃ……)

 

 未来は、もう決まってる。

 この先、私たちの未来が交わることはない。


 あかりは、スマホを握りしめると、その後、静かに目を閉じた。



 固い意志は、より強靭なものになる。


 折れない心は、たくさんの悲しみを乗り越えてきたからこそ、より強くなる。


 うずくまって泣いていた。

 あの雪の中から、必死に這い出て、未来を見据えた。


 それ故にの強さだった。

 


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