お兄ちゃんと家族旅行 ③


 その後、旅館の探索を終えた神木兄妹弟は、夕食前に、お風呂に入ることになった。


 夕日が沈む中、女の子である華は、男性陣と別れて、女湯へ。中はとても広く、美肌効果のあるさらさらのお湯と、優雅な露天風呂のおかげで、まさに夢心地だった。


 その後、入浴を済ませた華が、浴衣姿で部屋に戻ると、兄の飛鳥だけが、一人だけ和室に戻ってきていた。


「あれ? 飛鳥兄ぃ、早かったんだね?」


「うん……まぁ」


「えと、蓮とお父さんは?」


「まだ入ってるよ」


「え? じゃぁ、なんで一人だけ戻ってきてんの?」


 兄も浴衣を着ているので、お風呂には入ってきたのだろう。


 だが、明らかに早い。普段、家で入る時は、もっと、じっくり入ってくるはずなのに!


「それがさ、思ったより、お客さんが多くて」


 すると、飛鳥が、お茶を飲みながら、ぽつりぽつりと話し始めた。


「しかも、やたらと、じろじろ見られるもんだから」


「あー……」


「ゆっくり入れる感じでもなくて。だから、父さんと蓮だけ残して、早めに出てきた」


「……それは、残念でしたね」


 さすが、お兄様!

 その美貌のせいで、お風呂にも、ゆっくり入れないとは!?


「飛鳥兄ぃに、大衆浴場は向いてないのかもね。そういえば、子供の頃にいった温泉は、全部、家族風呂ばっかりだった気がする」


「そりゃ、そうだろ。華を男湯に入れるわけにはいかないし」


「あ、そっか」


 神木家には、母親がいない。だからか、幼い頃に旅行にいくと、いつも家族風呂のある宿で、四人で入っていた。


 でも、今はもう中学生で、一人でもお風呂にも入れる。だからなのか、今回は、家族湯ではない普通の宿になったらしい。


 だが、それが仇になってしまったのか。兄にとっては、ゆっくり入れないという、不測の事態に陥ってしまった!


「飛鳥兄ぃって、女風呂に入った方が、違和感ないかもね」


「…………」


「じょ、冗談です……っ」


「当たり前だ。それじゃ、ただの変質者だろ」


 真面目な顔で諭す、お兄様。確かに、見た目がどんなに美人でも、男が女湯にはいったら、ただの変質者だ。


「でも、しかたないじゃん。飛鳥兄ぃ、美人すぎるんだもん。名前だって中性的で、紛らわしいし」


「しかたないだろ。名前も容姿も、俺にはどうにも出来ないんだから」


「そうだけど……でも、せっかく温泉にきたのに、ゆっくり入れないなんて……あ、そうだ! 朝に入ってくれば?」


「朝?」


「うん。夕方とか夜は、入る人多いだろうけど、朝なら、いてると思うよ!」


 華の言葉に、飛鳥は『確かに』と納得する。


 早朝なら、みんな寝ているだろうから人も少ないだろうし、夜明けの景色を露天風呂から眺めるのも乙なものかもしれない。


「そうだね。じゃぁ、そうしよっかな?」


 ゆっくり入浴できなかった残念の気持ちも、華との会話で少し持つ直すと、その後、父と弟も戻ってきて、みんなで夕食をとった。


 久しぶりの家族旅行は、穏やかに、そして、にぎやかに過ぎ去り、神木家は、久方ぶりの家族団らんを楽しんだ。



 *


 *


 *



 それから、一夜が過ぎ、まだ薄暗い未明の朝、飛鳥は目を覚ました。


 家族四人、布団を並べて眠った。


 一番端にいる飛鳥の隣には華が眠っていて、その隣には蓮と侑斗が続く。


 そして、長旅の疲れもあったからか、みんな、くっずり寝入っているようだった。


「ふぁぁ~……」


 すると、飛鳥は小さく欠伸あくびをし、むくりと起き上がると、微かに乱れた浴衣の合わせ目を正した。


(温泉……入ってこようかな?)


 束ねていない金の髪が、衣擦れの音の合わせて、さらさらと靡く。


 すると、音をたてないように立ち上がった飛鳥は、入浴の準備を始めた。


 昨日、華が言っていた通り、この時間なら、人はいないだろう。


 飛鳥は、髪を下したまま、こそっと部屋を出ると、館内をすすみ、そのまま大浴場の方を目指した。


 途中、窓から外を見れば、まだ日が昇らない頃の空は、とても美しかった。


 今にも消えてしまいそうな星が、とても儚く幻想的に煌めき、まるで、一枚の絵画でも見ているよう。


(写真、撮っておこうかな? あとで、みんなに見せてあげよう)


 すると、飛鳥は、スマホを手に写真を撮った。

 昨日だけで何枚撮っただろうか?


 今でも、写真を撮られるのは、あまり好きではないが、家族と一緒だと、不思議と嫌ではなく、飛鳥のスマホの中には、沢山の家族写真が増えていく。


 その後、写真を撮りおえ、大浴場まで歩くと、飛鳥は『男湯』と書かれた暖簾のれんをくぐり、中に入った。


 モダンな脱衣所の中は、昨日の密度が嘘のように、誰もいなかった。


 まさに、貸切状態だ。


 これは、ラッキーだと、飛鳥は荷物を置き、上機嫌で浴衣を脱ぎ始めた。


 帯をほどき、浴衣をするりと下げれば、細い肩と、日に焼けていない透き通るような肌が晒される。


 それは、細身だが、均整のとれた美しい体つきで、まさに芸術品のような仕上がりだった。


 だからか、昨日、飛鳥と入浴中に鉢合わせた人々が、飛鳥の身体をじろじろと見てしまうのも当然だった。


 とはいえ。昨夜と違い、今は誰もいない。


 これなら、たぐいまれなる美貌を兼ね備えた飛鳥だって、ゆっくりと入れるというもの!


 その後、裸になった飛鳥は、浴場に入り、髪や体を洗い流した。


 中二の頃から伸ばしているからか、長い髪を洗うのは、なれたものだった。


 細くつややかな金色の髪を、繊細に取り扱う姿は、まるで女性のよう。だが、彼は間違っても女の子ではない。そう、断じてない!


 だが、洗い終わった髪を、器用に束ねる姿は、もう美女でしかなかった。


 これを見れば、昨日、一緒に男湯に入った客たちが、どれほどドキドキしていたのか?


 考えると、ちょっと、可哀想になってくる。


(あ。本当に、誰もいない……)


 その後、体を清めた飛鳥は、露天風呂にやってきた。


 自然豊かな温泉宿の露天風呂は、とても風流で、奥ゆかしい。


 実を言うと、昨日は露天風呂を見ることなく、浴場を出る羽目になった。だからか、ゆっくりと湯を堪能できることに、飛鳥は素直に喜ぶ。


 ──ピチャン


 湯船につかれば、お湯が跳ねる音が、鼓膜に優しく響いた。


 肩までじっくりつかって、空を見上げれば、もう直、日が昇るのか、空が白み始めていた。


 紺碧こんぺきの空が桜色に移りかわる。


 朝焼けの色は、心を落ち着かせるには、十分すぎるくらい穏やかな色だった。


(蓮華にも教えてあげようかな、朝焼けが綺麗だったよって……)


 なんだか、独り占めするのはもったいない気がして、可愛い可愛い妹弟たちにも、朝風呂を進めてみようと思った。


 なにより、今回の旅行は、二泊三日。今日は、テーマパークに行った後、またこの宿に戻ってくる。


 なら、明日の朝も、この景色を堪能できるだろう。

 飛鳥は、湯熱でぽーっとなりつつも、そんなことを思う。


 ――バタン


「?」


 だが、その瞬間、脱衣所の方から音がした。

 どうやら、誰か入ってきたらしい。

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