第304話 冬と朝

 季節が冬に入ると、朝は格段に冷え込む。


 まだ、薄暗い未明。飛鳥は、布団の中で軽く身動くと、微睡む意識を覚醒させた。


「……さむ」


 目が覚め、起き上がろうと少し布団を剥いだだけで、冷気が肌に触れて、軽く身震いする。


 その後、のそのそとベッドから出て、カーディガンを羽織ると、机の上に置いていたブルーのバレッタで、手早く髪をたばねて、飛鳥はそのまま部屋を出る。


 洗面所に向かうと、冷たい水で顔を洗う。


 水気を帯びて、すっかり目が覚めた顔を、タオルで拭き取れば、飛鳥は、ふと目の前の鏡に視線をむけた。


 綺麗な金色の髪と、青い瞳と、整った顔立ち。


 その鏡の中の自分と目が合って、数秒間、見つめ合う。


 もう、見なれた顔だ。


 あの人に……"母"によく似た、自分の顔。



(髪……いつか切るって言ったけど)



 自分は今、あの人のことを、どう思っているんだろう。


 不思議と、もう『怖い』という感情はなくなった。


 だけど───



「あ、洗濯……」


 ふと洗濯物が目にとまって、飛鳥は顔を拭いたタオルをほおり込むと、日課とも言える洗濯機のスイッチをいれた。


 だが、今はもうスイッチを入れるだけになった。干すのは華がしてくれるし、最近はエレナも手伝うようになってきたから。


 父が帰ってきてからは、家族5人分。洗濯も1回では終わらないし、何かと時間がかかる。


 だから、エレナが手伝ってくれるのはありがたい。


 ただ、どちらかと言えば男世帯の我が家で、エレナに男物の服を干させるのは気が引けるからと、華が気を利かせて、エレナには女物の服だけお願いしているらしい。


 まるで、妹のような。だけど、やっぱりまだお客様のような、そんな微妙な関係ではあるけれど、それでもエレナも、大分この環境に慣れてきた。



 ◇◇◇



 その後、洗面所をでると、飛鳥はそのままリビングに向かった。みんなが起きてくる前に暖房を付けておこうと、扉を開ける。


 だが、そこはもう既に暖かく、どうやら先客がいたらしい。ダイニングテーブルについて、仕事をしている父の姿が目に入った。


「おはよう、もう起きてたんだ」

「あぁ、おはよう、飛鳥」


 パソコンに向かっていた父が、顔を上げた。


 元々使っていた父の書斎は、今は蓮の部屋になっているため、こっちに帰って来た際、父はいつも、リビングに布団を敷いて寝ている。


 一番広い自分の部屋で寝てもいいと飛鳥は提案したが、夜中に仕事をする時、起こすと悪いからと、リビングでいいと言ってきた。


 まだ幼い頃、よくそれで自分を起こしてしまったらしい。もう、そんなに子供ではないのだけれど……


「コーヒー、入れようか?」

「あぁ、頼む」


 キッチンに向かい、お湯を沸かす。


 その間に、二人分のカップを準備しながら父に目を向けると、書類を手にしながら、父が話しかけてきた。


「飛鳥、俺、午前中だけ仕事行ってくる」


「こんな日にも、仕事? 大人は大変だね」


「あはは、でも、今の仕事は結構やりがいあって、それなりに楽しいんだ。それに、あと1年もすれば、お前もこうなるぞ!」


「…………」


 あと1年もすれば──その言葉に、思わず手が止まる。


 今は、大学3年生。確かに、来年には就活が始まるし、その次の春には社会人だ。


「幼稚園の実習はどうだった? やっぱり保育士を目指すのか?」


「うん。そのつもりで、今、勉強してるし……実習は『是非うちに来てくれ』って言われた」


「嘘だろ!? お前もう内定決まってんの!?」


 実習にいって、あっさり幼稚園側から気に入られてきた息子に、侑斗が思わず声を上げた。


 この容姿に、この性格!

 しかも、器用で気配り上手!

 相変わらず、人をたらしこむのは天才的だ!


「別に決まってるわけじゃないよ。ただのリップサービスでしょ? 俺、外見がいいから、けっこう色んなところから、打診があるんだよ」


「あはは、相変わらずモテモテだなー飛鳥は。そう言えば、この前商店街で『飛鳥くんが、社会人になったら、うちの娘と見合いして欲しい』って言われたぞ」


「あー、八百屋さんとこかな?」


「そーそー。俺もビックリよ。そう言えば、お前、今、彼女はいないのか?」


「いないよ」


「じゃぁ、好きな子とか、気になる子は?」


「いな──」


 い──と、言いかけた瞬間、唐突にある人物が過ぎった。


(あれ? なんで俺、今……あかりのこと……)


 不意に思いだしたのは、あかりの姿だった。


 あの後、別れてから、街でも大学でも一度も会ってないからか、ふと、今どうしてるか気になった。


 とはいっても、エレナとは連絡をとっているみたいだから、元気なのは知ってるけど……


「飛鳥! もしかして、いるのか好きな子!!」


 すると、突然黙り込んだ息子に、侑斗が仕事そっちのけで問いかける。


「え? あ、いや、いないよ。好きな子とか」


「ホントか!? 今誰か、頭によぎったんじゃないのか!?」


「よぎってないから。てか、その親バカ、マジでなんとかなんないの?」


「あのな、飛鳥! 息子の事だぞ!! これは親バカじゃない! 俺には把握しておく義務がある!」


(うわ……ちょーめんどくさい)


 コーヒーを入れつつ、苦笑いをうかべる。

 あかりのせいで、とんでもないことになった。


 だが、そんな飛鳥をよそに、侑斗は更に話し続ける。


「だいたい、お前、5年前のこと忘れたわけじゃないよな!? お前が、彼女がいたことずっと黙ってたから、俺は、いきなり昌樹さん(隆臣の父)から『おたくの息子が、元カノに刺されかけたよ』って報告で、知ることになったんだぞ!! あの時の俺の気持ちが分かるか!! お父さん、色々悲しかったよ!!」


「あ、うん、ごめん。……それは、本当にごめん」


 苦々しい記憶と、その当時の父の心境を思い、飛鳥は、真摯に謝罪する。


 昔、彼女がいた時期があったが、親にも妹弟にも完全に秘密にしていたため、警察沙汰になった、その元カノの件で色々明るみになり、その後、父からこっぴどく叱られた。


「次、彼女が出来たら、絶対報告しなさい」


「わ、分かったから……(作る気ないけど)」


「あと、付き合うにしても避妊はしっかりしなさい! 女の子を泣かすような男は、男じゃない!」


「離婚した男がよく言うね。あの人、毎日のように泣いてたんだけど」


「あー待って、それ言うのやめて! 俺だって反省してるんだよ、当時のことは!? いや、でも避妊は大事だからね!! それとこれとは、話が別だからね!! ちゃんと準備はしておきなさい!」


「準備?」


「だから、コン」


「あーもう、分かったから! ていうか、朝からする話か!!」


 相変わらずな父に、飛鳥が声を荒らげた。


 だいたい、なんで朝から、こんや色恋の話を父親としなくてはならないのか?


 ついでに言うと、毎度ツッコむのも疲れる。


「それより、はい、コーヒー!」

「あ、どーも」


 その後、淹れたてのコーヒーを一つ父に差し出しすと、残りの一つを手に、飛鳥は侑斗の向かいに腰掛けた。


 外を見れば、空が少しずつ明るくなっていているのが見えた。


 もう少ししたら、朝食を作ろう。

 飛鳥が、そう思った時──


「そうだ、飛鳥」

「?」


 また、侑斗が話しかけてきて、飛鳥は視線を移す。すると、侑斗は少し真面目な顔をして


「お前に一つ、相談というか……ちょっと、迷ってることがあるんだ。のことで──」


「え?」


 それは、あれから2ヶ月がたった、冬の日のこと。


 街に、イルミネーションが咲きみだれる


 ──12月24日。



 そう、クリスマス・イブの朝の事だった。




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