第156話 強い人と弱い人


「その大切な人を助けるために、もう一人のどーでもいい奴の手を、離すのか?」


「っ……そ、れは」


 その状況を想像する。


「大切な人」と「そうでない人」どちらを選ぶかなんて、分かりきってる。


「大切な人」を失いたくない。


 だからこそ

 迷わず「大切なもの」を選べるように


 自分の手から

 取りこぼすことのないように


 これ以上「大切な人」を増やさないように、生きてきた。


 だから……


「は……離すよ。それで……っ」



 "大切な人"を守れるなら───



「できねーよ」

「ッ……!」


 だが、飛鳥の意志に反して、隆臣はそれを真っ向から否定した。


「は?……なんなの?」


「お前、自分のことなのに、なにもわかってねーな。お前は、そんなこと出来るやつじゃねーんだよ。大切だろうが、そうでなかろうが、目の前で危険に晒されてる奴がいたら、無意識に手を差し出して、助けようとする。そんなお前が、大切な人と、そうでない奴、天秤にかけて、そうでない奴、を切り捨てるなんて、出来るわけねーだろ。だから、お前なら、きっと、


 飛鳥は、そういう人間だ。

 

 「大切なもの」だけを守りたいなら、他の人なんて、見て見ぬフリすればいいのに、結局、他人のことも気にかけて、見捨てようとはしないんだ。


 あの時も、そうだった。


 あの日、誘拐犯に見つかる前、俺と道路でぶつかった時も


『ちょっと待って、お前こっち行くの?』


『は? だからなに?』


『あの、あっちの道、行けば?』


『なんで!? そっち遠回りなんだけど!?』


 あの時飛鳥は、背後を気にしながら走っていて、俺とぶつかった。


 だから、本当は一刻も早く、あの場から立ち去りたかったはずなのに、俺を心配して、わざわざ回り道まで進めてきた。


 俺のことなんて気にせず、あのまま無視して立ちされば、あの誘拐犯につかまることも、なかったかも知れないのに


「結局お前は、"大切な人"だけじゃなく、"赤の他人"だって守ろうとするんだよ。誘拐犯に捕まった自分より、仲の悪いクラスメイトを優先するような奴なんだからな」


「……」


「それに、どうせお前のことだ。大切な人じゃなかったとしても、守れなかったら自分を責めるんだろ? そんなに、なんでもかんでも守ろうとして、お前は何になりたいんだ?」


「え?」


「小説やドラマの主人公か? それとも、世界を救うヒーローか? 魔法使いか? 理想を持つのはいいことだ。でも、俺達は、なんの力もないダダの人間で、ヒーローにも主人公にもなれない」


「……」


「だから、何の力もないお前が、どうでもいい奴すら切り捨てることも出来ないお前が、一人で全部、守ろうなんて無理なんだよ!」


「……ッ」


「それどころか、下手したら、お前も一緒に崖の下に真っ逆さまだぞ?」


「な……ちょっと待って……何、言って……っ」


 隆臣の言葉に、飛鳥は困惑する。



 どうにもならない?


 なんの力もない?


 俺には守れない?



 そんな……身も蓋もない話。



「じゃぁ、なに……諦めろっていいたいの?」



 守る方法なんて、ないって


 どうすることも、出来ないって



 どんなに助けたくても


 どんなに守りたくても



 "力のない俺"が



 失うのは






「仕方のないこと」だって───っ









「呼べよ」


「え……?」


 だが、耳を覆いたくなるような言葉の羅列に、飛鳥が耐えきれず目を閉じようとした瞬間、また声が届いた。


 俯き、ただ一点を見つめていた飛鳥が、ゆっくりとその視線を上げると、隆臣が真剣なまなざしで、こちらを見つめていた。


、飛鳥。全部一人で、抱え込もうとするな」


「…………」


 先程とは一転して、柔らかな声で放つ隆臣の言葉に、心の奥がかすかに波立った。


「でも……っ」


「でもじゃねーよ。崖から落ちそうなやつ二人、両手に抱えてたら、一人で引き上げるなんてできねーよ。でも、助けを求めて、みんなで引き上げれば、二人とも助けられる。一人じゃどうにもならなくても、助けを求めさえすれば、手を差し伸べてくれる人は、きっといる。俺も、そうだったんだ」


「……え?」


「あの日、お前を置いて逃げたあと、一人で何とかしようと考えた。だけど、弱い俺には無理だと思ったんだ。俺が一人で戻っても、お前は助けられないと思った。だから俺は、あの日……自分以外の"誰か"に、助けを求めた」


 泣きながら、走り回った。

 声が枯れるまで、叫んだ。


 ただ、飛鳥を助けたい、その一心で──


「あの時、もし俺が一人でお前のところに戻っていたら、きっと俺たちは二人とも助からなかった。親父や、ほかの警察官や、侑斗さんに、おふくろに、みんなが俺たちのこと助けてくれた。だから、あの日……俺は、お前を失わずにすんだ」


「──え?」


 じゃぁ、さっき『失いかけたことならあるぞ』って言った、あれは……


「飛鳥、お前は、あの頃から何も変わんねーよ。他人のことばかり気にかけて、巻き込みたくないからって、全部一人で解決しようとする。でもな、お前がどんなに強くても"一人"では限界があるんだよ。どんなに守りたくても、どんなに助けたくても、どんなに失いたくなくても、一人じゃどうにもならないことってのは、きっと、この先も沢山でてくる」


「……」


「だから、お前も、。一人で抱え込まず、誰かに頼ることを覚えろ。素直に助けを呼べ。どうしようもないなら、俺に頼れ。お前が『助けて』って叫べば、お前が守りたいものも、失いたくないものも、俺が一緒になって、守ってやるから」


「……っ」


 そう言って、穏やかに笑った隆臣の姿をみて、飛鳥は、涙が出そうになるのを必死にこらえた。


 それはまるで、全ての「答え」だとでも言うかのようで


 どこか釈然としない、心の中にあったモヤの様なものが


 ゆっくりと晴れて


 洗い流されていくような気がした。




 そして、なにより



 《俺が一緒になって、守ってやるから》



 そう言ってくれた、隆臣の言葉が


 なによりも

 なによりも



 嬉しくて───




「っ……なに、それ……っ、あんだけ落としといて、最後にそれって」


「お? 泣くのか?」


「ッ泣くかよ! てか、俺熱あるんだけど! 病人なんだから、もっと労れよな、バカ!」


「熱でもなきゃ、聞き耳もたねーだろ? まぁ、そんだけ憎まれ口たたけるなら、大丈夫そうだな。大体、お前こそ、日頃わがままばっか言う癖に、なんで、こんな時に限って遠慮するんだよ。こういう時こそ甘えて、日頃、自制しろ!」


「……っ」


「だから、ほら、飯もちゃんと食え。うどんか? お粥か? それとも他にくいたいもんある?」


「ぇ……と……じゃあ……うどん」


「よし、じゃキッチン借りるからな。お前はそこで、大人しくプリンでも食ってろ」


 そう言うと、隆臣は立ち上がり、部屋のドアの方へと歩き出した。


 飛鳥は、そんな隆臣の後ろ姿を見つめると


「……隆ちゃん」


「ん?」


「俺……隆ちゃんと……友達になれて、よかった」


 小さく小さく呟いた、飛鳥の声。


 その、あまりにも珍しい言葉は、どことなく、くすぐったくて……


「はは、気持ちわりーよ。お前がデレるのは、酔った時だけで十分だ」


「は? 俺がいつ、酔ってデレたんだよ」


「お前、早くそれなんとかした方がいいぞ。就職してから大変だぞ」


「はぁ?」


 笑いを堪えながら、隆臣が、からかい混じりに言葉を返すと、いつも通りの雰囲気に戻った飛鳥に、隆臣は、再び口元をほころばせた。


「まぁ、友達になれてよかったって思っているのは、お前だけじゃねーよ……それと、これからは、お前の"大切なもの"の中に"自分自身"もちゃんと加えとけよ」


「え?」


「お前に何かあったら、悲しむ奴が、たくさんいるんだよ。だから、悩みがあるなら、いつでも聞いてやるから、あんまり無理するなよ」


 パタン──と、言い終わると同時に、部屋の扉が閉まる。


 部屋に一人残された飛鳥は、ベッドに座り込んだまま、隆臣が出ていった部屋の扉を見つめていた。


「無理するな……か」


 瞬間、昨日のあかりの言葉を思い出した。



 『少し、無理をしていませんか?』



 俺は、そんなに


 無理をしていたのだろうか?



 傍から見ても分かるほど


 余裕なく見えてていたのだろうか?



 自分では分からなかった。




 でも、あの時


 あかりの服を掴んで、無意識にでた



 『ッ、側……に……ぃ…て……っ』



 あの言葉は


 紛れもない、俺の本心で───



 本当はずっと


 誰かに頼りたかったのかもしれない。



 誰かに


 助けを求めていたのかもしれない。




 もし、あの時



 『学校で、何かあった?』



 母さんに、素直に助けを求めていたら



 また、違った未来があったのだろうか?




 男に後をつけられることなく


 緒方くんと回り道することなく




 母さんを救うことも




 出来たのだろうか?





『もう、一人ではどうにもできないって、気づいてるんじゃないですか?』




 本当は、気づいてた。


 ずっと前から



 母さんが亡くなった、あの時から



 誘拐犯を前にして


 何もできなかった、あの時から




 俺一人じゃ


 どうにもできないって……っ





 だけど、それを認めたくなくて



 それを、認めるのが怖くて




 認めてしまうと


 本当に何も、守れなくなるような気がして




 気づかないふりをして




 ──蓋をした。






「いい加減……認めなきゃな」






 俺は、弱い。






 自分の「弱さ」を認めて








 ちゃんと前に、進まなきゃ──








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