第253話 行かないで と たすけて


「お兄ちゃん、行かないで!!!!」

「……ッ」


 華が大きく声を発すれば、飛鳥は目を見張った。


 背後から抱きつき、必死に引き止める華の手は小さく震えていて、飛鳥はその手を無意識に握りしめる。


「華……っ」


 早く、行ってやらなきゃいけないのに、身体が言うことをきかない。


 こうして自分の服を、必死に握りしめている華を


 行かないでと泣きつく妹を、身体は拒もうとはしなくて──


「兄貴」


 するとそこに、華を加勢するように、蓮が飛鳥の前に立ちはだかった。


「どこに行くの?」


「──……っ」


 真剣に見つめる弟の瞳に、飛鳥はたじろぐ。


「狭山さんと何を話してたの? エレナって誰? 大体、そんな様子で出て行って『すぐ戻ってくる』とか言われても、信じられるわけない」


「……っ」


 その言葉は酷く胸を突いて、飛鳥は眉をひそめ黙り込んだ。


 二人が言いたいことは、よくわかる。


 だけど、今は話を聞いてる余裕も、迷っている時間もない。


「ゴメン、華、蓮……そこ、どいて──」


 ぐっと奥歯を噛み締めたあと、飛鳥は低く声を発した。


 だが、華と蓮だって、一度決心した心は変わらず


「嫌だ。俺も、華と同じ気持ちだ。もう二度と、家族を失うかもしれない、あんな恐怖、味わいたくない……どうしても行きたいっていうなら、全部話してよ。兄貴が話してくれるまで、俺たちは、絶対にここを通さない」















 第253話 『行かないで と たすけて』









 ◇◇◇


「……ちょっと作りすぎたかな?」


 夜7時を前にし、キッチンで夕食の準備をしていたあかりは、グツグツと煮込まれた鍋の前に立っていた。


 一人前にしては量の多いクリームシチュー。だが、ひと匙すくって味見をすれば、まぁまぁの出来栄えで、あかりは、残った分は冷凍しておこうと、そんなことを考えながら、料理を終わらせた。


 ~~~♪


 するとそこに、テーブルの上に置いていたスマホが、突然音をたてた。


 あまり着信のないあかりのスマホ。

 また家族からか?と思いながら、あかりは足早にテーブルの前へ移動する。


「……え?」


 だが、スマホを手に取り、相手の名前を確認した瞬間、あかりは目を疑った。


「……エレナちゃん?」


 一瞬戸惑う。

 なぜなら、前は母親からかかってきた。ならば、また『ミサさん』からという可能性もある。


「もしもし……エレナちゃん?」


 あかりは、その後電話に出ると、恐る恐る相手が本人かどうかを確認する。


『……っ、ぅ…ひっ…く…』


 だが、電話越しに聞こえてきたのは、泣き声だった。啜り泣くような、今にも消えてしまいそうな、弱々しい子供の声。


「? エレナちゃん?」


『……っ、…お姉…ちゃん───たすけて…っ』


「え?」


 ただ一言。声を震わせながら放たれた言葉に、あかりは目を見開いた。


 状況が分からず、困惑する。だが


 バタン──!!


「!?」


 瞬間──その電話の先で、突如扉が閉まる音が聞こえた。そして、その直後に聞こえてきたのは、また別の声。


『やっぱり、まだ連絡とっていたのね。あかりさんと──』


 まるで射るような、冷たい声。


 そして、その後、何か争うような激しい音が響くと、その電話は、あっさり切れた。


「…………な、に?」


 何が起こっているのか、全く状況がつかめず、不通になった電話に耳を傾けたまま、あかりはただ呆然と立ち尽くした。


 さっきの声は、ミサさんだった。


 だけど、なんで? あれからずっと、エレナちゃんとは連絡を取ってない。


 それなのに──


「ッ───!!」


 瞬間、あかりは弾かれたように、玄関へと駆け出した。


 きっとなにか、良くないことが起きてる。


 だが──



『もう、この件には二度と関わるな』


「……っ」


 玄関を出ようとした瞬間、不意に飛鳥に言われた言葉がよぎって、あかりは足を止めた。


 あの日、ハッキリ釘を刺された。


 もう、関わるなと、仮にエレナが助けを求めてきても、無視しろと、エレナの気持ちも考えろと……


(私が……行っても……っ)


 神木さんの言う通り。ミサさんに嫌われている自分がいっても、きっと、火に油を注ぐだけ。


「──っ…」


 あかりはその後、きゅっときつく唇を噛み締めた。そして


「……ごめん、なさい……っ」


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。


 例え、何の役に立てなくても

 例え、火に油を注ぐことになったとしても


 子供に助けを求められて、無視するなんて、そんなこと───


「ごめんなさい、神木さん……やっぱり私は、あなたの言葉には従えません……っ」


 そう言うと、あかりは家から飛び出した。



 もう、後悔したくない。

 もう二度と、繰り返したくない。


(エレナちゃん、お願い、どうか──)



 どうか、無事でいて───…っ









 ◆◆◆


「やっぱり、連絡とっていたのね。あかりさんと──」


「……っ」


 扉が閉まると、電話をかけていた手を取られ、スマホを無理やり奪われた。


 母親の異様な剣幕に、身体は自然と震え上がる。


「どうして、嘘ばかりつくの!! あの子とは、会ってないっていったじゃない!」


「ち、違う、嘘じゃない! 本当に──」


「じゃぁ、今のは誰!? あなたに"お姉ちゃん"はいないでしょ!!」


「──いッ」


 腕を強く捕まれ、激痛が走る。


「お、母さん……っ」


「どうして、どうして、どうして! どうして、私を裏切るの!? 私は、こんなに……こんなに、エレナを愛してるのに──ッ」


 掴まれた腕を伝って、母が震えているのが伝わってきた。長い髪をふりみだしながら、泣き叫ぶ母は、まるで子供のようで


「お母……さん…っ」


 私、裏切ってないよ。

 

 だって、私も、ずっとずっと、お母さんのことが大好きだもの。


 お母さんは、モデルのことになると、すごく厳しい。怒ると手が付けられないくらい取り乱して、怖くて怖くて、たまらなくなる時もある。


 だけど──


 それでも、お母さんは、いつも私のために一生懸命だった。


 どんなに仕事が遅くなっても、必ず、手作りのご飯を作ってくれて、私が一人にならないように、仕事が終わったら、出来るだけ早く帰って来てくれた。


 毎日、髪をといてくれて、頭を撫でてくれて「大好きよ」って言って抱きしめてくれた。


「お母さん……わたし……っ」


 私も、お母さんのこと、大好きだよ。


 でもね。"大好き"だからこそ──


「お母…さん、おねが…い……話を──っ!」


 瞬間、声を発すると同時に、きつく抱きすくめられた。


「大丈夫よ……エレナを、一人になんてしないわ」


 そう言って、抱きしめる母の声は、さっきの姿がまるで嘘のような、優しい優しい声だった。


 だけど……


「大丈夫、痛いのは、苦しいのは、ほんの少しの間だけだから……エレナが逝ったら、すぐに…………私も後を追うからね」


「………っ」


 抱きしめて、優しく髪を撫でられた瞬間、エレナの瞳からは、涙が溢れ出した。


(お母……さん…っ)


 お母さん、お願い……


 少しでいいから、私の話を……聞いて……っ




 私、まだ───










 死にたくないよ……っ







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