侑斗さんとゆりちゃん ②


 身支度を整え、婚姻届を提出するため市役所に来ていた侑斗とゆりは、その後、市役所からでて、車まで移動する。


 ガーリーな白のトップスに、ブルーのAラインスカートを着たゆりと、黒のスキニーをはき、Vネックのブルーのシャツの上に、七分丈のテイラードジャケットを羽織った侑斗。


 久しぶりのデートだからか、二人ともそれなりにお洒落したつもりだが、お互いに差し色がブルーだったのは、たまたまである。


「ゆり」


 すると、ゆりの少し前を歩く侑斗が、足を止め、にっこりとゆりに微笑みかけた。


「どうだ? ちゃんになった気分は」

「……へへ」


 その言葉に、ゆりは、恥ずかしそうにはにかむと、侑斗の腕に抱きつき、その肩に寄り添う。


「うん……まだ実感はわかないけど、すごく幸せ」


 結婚して、名字が変わるのは、少しすぐったい。


 だが、もう、あの『阿須加あすか』の名に縛られることはなく、今、自分を縛るのは、目の前にいる『愛しい人』だけなのだと思うと、それが、また嬉しくてしかたなかった。


「ついに、結婚したんだね、私たち」


「そうだな。でも、これから名義変更とか、色々大変だぞ」


「そっか。あ! でも私、人生で、3回名字変わったことになるのかな?」


「3回?」


「うん。私、阿須加家に引き取られる前は『五十嵐いがらし』だったの、五十嵐 ゆり!」


「へー、そうだったのか?」


「でも、結婚の手続きって、案外あっさりしたもんなんだね」


「まーな。でも、おめでとーは言ってくれし」


「でも『スーパーのくじ引き、3等当たりました~』くらいの、おめでとうだったよ?」


「そんなもんだって。あの人たちも、毎日何十組もの婚姻届処理してるんだから、毎回、最上級のおめでとう発してたら疲れるだろ。それに似たようなもんだったよ」


 前も──不意に発されたその言葉に、ゆりは少しだけムッとすると、掴んでいた侑斗の腕をギュッと握りしめ、ニッコリと微笑む。


「そうだよねー、バツイチ男は、一度経験済みだもんね~」


「いった!? あのな! そのバツイチ男を選んだのはお前だからな!?」


 ちょっとしたヤキモチなのかもしれないが、やはりがチラつくと、少し意地悪したくもなる。


(……ドキドキしてたのは、私だけなのかな?)


 前に奥さんがいた人。

 それも、あんなに美人な奥さんだ。


 多少比べられるのは覚悟のうちだが、実際に比べられると、やはりモヤモヤする。


 自分とは全く違い、いろいろと経験済みの相手。


 全て同じタイミングで、同じように感動を味わえるわけではないのは、分かっていたはずなのに……


「なぁ、ゆり」

「ん?」


 すると、黙りこんだゆりに、また侑斗が声をかけた。だが、軽く頬を染める侑斗を見て、ゆりは首を傾げる。


「なに? どうしたの?」


「その、ゆりは……結婚式、したいか?」


「え?」


「ほら、女の子の憧れっていうだろ? 結婚式」


 その言葉に、ゆりは目を見開く。


 まさか、そんなことを、考えてくれていたなんて思いもしなかった。


 再婚なら結婚式なんてしたくないだろうし、何よりも前の奥さんとも挙げているのではとも思う。


 それでも、侑斗は、ゆりのことを考えて、ゆりのためだけに、その提案してくれているのだろう。


 そう思うと、なんだかすごく愛されていると感じた。例え、2回目でも、比べられても、今は、自分だけを見てくれているのだと……


「ふふ……結婚式かー」


 すると、ゆりはくすりと笑って、侑斗の前に立つと


「私、結婚式には、あまり興味ないかな!」


「え? なんだそれ」


「だって、親は呼びたくないし、親戚もいないし、呼んでも、ギャルの友達数人くらいだよ! それに、侑斗さんも親と不仲でしょ? なら二人とも挙げるメリットなくない?」


「……」


 メリット……確かに、あまりメリットは感じられない。


「それよりさ。後で、写真立て選びにいかない?」


「写真たて?」


「うん、写真たてをね、少しずつ増やしていきたいの。結婚式なんてしなくても、私はそれだけで十分」


 ふわりと、いつもの柔らかな笑顔で、ゆりが微笑む。その姿は、あまりに眩しくて、愛おしくて。


 だが……


「結婚式の代わりが、写真たてって……もっと他に記念になるようなものでも」


「いいの。だって、私のお母さんが、よくそうしてたの」


「……お母さん? て、産みの親の?」


「うん。私のお母さんね、家族の写真を写真たていれて、よく飾ってたの。お父さんとデートした時の写真とか、私が産まれた時の写真とか、思い出が増える度に、部屋の壁とか棚の上に一つ一つ増えていってね。……だから、私もいつか結婚したら、そういうのしたいなーってずっと思ってたの」


「へー、それで写真立てか……ゆりのお母さんて、どんな人だったんだ? やっぱり、ゆりに似てたのか?」


「うん。似てたよ。でも、お母さんはどちらかと言うと、おっとりした人だったから、私、性格はお父さん似かな~?」


「え? そうなのか?」


「うん! いたずら好きなとことか、運動神経いいとことか……あとは、好きになったら、すっごく一途なところとか♡」


「……っ」


 そう言って、上目使いで見つめられた瞬間、侑斗は顔を赤くし、たじろいた。


 確かに、ゆりは一途だと思う。ほかの男には目もくれず、こんな年上の男をわざわざ選んでくれた。


 正直、こんなに若くて可愛らしい子に、一途に愛されるなんて、自分はどれだけ幸せものなのだろうか……

 だが、そんなことも思いつつも口にはできず、侑斗は気取られぬように、ゆりから視線をそらした。


「そ、そうか……お前のお父さん、よっぽどお母さんが好きだったんだな」


「うん。もう、怖いくらい一途なだったかな」


「こ、怖いくらい!?」


「だって、名家のお嬢様を口説き落として、駆け落ちまでさせた男だよ~。うちのお父さん、その気になったら、何でもする人だったみたい!」


 そう、なんでも、ゆりの両親は駆け落ちして一緒になったらしい。


 なるほど。ゆりのこの行動力と肝が据わった部分は、父親譲りなのか。


 侑斗は、妙に納得してしまった。


 これは万が一、不貞でも働こうものなら、ただじゃすまないかもしれない!!

 (はたらかないけど……)


「それに、うちのお父さん、料理も得意だったし、頭も良かったし! 英語もフランス語もイタリア語もできて、おまけに超イケメンだった!」


「なにそれ!? お前のお父さん、スーパーマンがなにかなの?!」


「ふふ、お母さんのために、いっぱい勉強したんだって~」


「へー、しかし詳しいんだな。親の馴れ初めに」


「あはは。まぁ、私も直接、聞いたわけじゃないんだけどね。馴れ初めとか、そんなのも全部、お父さんの日記に書いてあったの」


「日記?」


「うん、毎日じゃないけど、節目節目でお母さんのこととか、私のこととか色々書いてあったね。本当は、もう義理の親の家には帰りたくないっていってたけど、侑斗さんと一緒に結婚の挨拶しに行って、一度家に帰れたのは、よかったと思ってるの。あの日は、逃げるように、学校の鞄だけ持って出てきちゃったから、お父さんとお母さんの写真も日記も全部部屋に残したままで、それだけは心残りだったから……」


「…………」


 ゆりが結婚の挨拶をしに行く決意を決めたのも、それがあったからなのか、と侑斗は今にしておもった。


 まだ出会う前、義理の父に襲われかけて、必死になって逃げてきたゆり。


 久しぶりに入った部屋の中は、吐き気がするくらい気持ち悪かったらしい。だが、それでもゆりは、自分の部屋の中に入り、父と母の思い出の品を大事そうに抱えて出てきた。


 きっと、あの敵ばかりの家の中で、ゆりの心を守ってくれていたのが、両親が残してくれた写真や日記だったのだろう。


「そう、だったのか……」


「うん……私、義理の親とはうまくいかなかったけど、実の両親には本当に愛情いっぱいに育てられたの。だから、またいつか、あんなふうに幸せな時間を過ごしたいなって、ずっと思ってた。でも、それを、侑斗さんと飛鳥が叶えてくれたの。……私、今とっても幸せ。侑斗さんと同じ名字になれて、飛鳥の母親になれて……私が、今こんなに幸せだと思えるのも、侑斗さんが私をえらんでくれたから。本当に、ありがとう」


 そう言って、幸せそうな笑みを浮かべたゆりをみて、侑斗もまた優しく微笑んだ。


(お礼を言いたいのは……俺の方なのに)


 そう思うと、今度こそ、この笑顔を守っていきたいと思った。この絆が、決して切れることがないように……



「ねえ、それより、これからどうする?」


 すると、その後、駐車場に停めていた車の前に着いた二人は、車の中に乗り込むと、この後について考える。


「そうだな。もうすぐお昼だし、これから少しいい所に飯でも食いにいくか?」


「いいところ?」


「そ、せっかくだし、今日は贅沢しよう。それに、そこそこ雰囲気のいいオシャレな店って、子連れじゃなかなか行けないしな」


「へー」


 すると、子連れといった侑斗のその言葉にゆりはなにか思い出したらしい。車の助手席から、侑斗の方へと軽く身を乗り出すと


「ねぇ、結婚したってことは、これで、遠慮なくつくれるね♪」


「……っ!?」


 コソッと、からかうように発せられた言葉に、侑斗は思わず吹き出しそうになった。


「ッ……お前は、また!」


「だって、私は子供欲しいって言ってるのに、侑斗さん真面目すぎるんだもん! なんだかんだ、しっかり避妊するし、結婚する気ないのかと思った」


「……いや、結婚するつもりはあったけど、もし、ゆりが、急に心変わりとかしたらどうすんの? そのタイミングで妊娠分かったりしたらどうすんの? 俺もう修羅場は経験したくない」


「はぁ!? 心変わりするわけないし!」


「あのなー、女心なんて一瞬なんだよ! 今日好きだった男が、明日嫌いなってたりするんだよ!」


「なるほどー。一度失敗してると、慎重になるよね~。でも、もういいよね? しっかり結婚したわけだし! あ、侑斗さんは、女の子と男の子どっちが欲しい?」


「……っ」


 再び、にっこり笑って問いかけられた。だが侑斗は


「や、やっぱり、欲しいか?……子供」


「……もしかして、迷ってる?」


 するとゆりが、穏やかな声でそういって、その問いに、侑斗は細々と話しはじめた。


「……ゆりが、俺の子を産んでくれたら、勿論うれしいし、飛鳥に兄弟をつくっあげたいって気持ちはあるんだ……だけど、俺、本当に、まともな親の元で育ってなくて……母親は浮気ばかりの最低な人だったし、仲良いと思ってた父親にも急に冷たくされて、今じゃ言葉一つ交わさないし。愛された記憶なんて、ほとんどないんだよ……だから、正直どうやって子供を愛してやればいいのか、よくわからない。……飛鳥一人、まともに見てやれなかった。酷いこと言って傷つけて、俺は、父親には向いてないって自分でも思うんだ。それなのに、そんな俺が、また、子供を増やしていいのかなって……」


 その不安げな瞳をみて、ゆりは目を細めた。


 きっと、飛鳥を傷つけたことは、今でも侑斗の中で深く深く懺悔の念として残ってるのかもしれない。


「侑斗さん……」


 すると、ゆりは侑斗の手に、そっと自分の左手を重ね合わせた。体の向きを変え、真っ直ぐに侑斗を見つめる。


「さっき言ったよね? 私、実の両親には、愛情いっぱいに育てられたって」


「……!」


「だからね、愛され方なら……子供の愛し方なら、私が知ってるよ。愛し方がわからないっていうなら、私が侑斗さんに教えてあげる。愛されてこなかったって言うなら、その分、たくさんたくさん、侑斗さんを愛してあげる……だから、心配しないで」


 重なった手が、ほのかに熱を持つ。

 その言葉は、まるで魔法の言葉のようで……


「大丈夫だよ、侑斗さんなら……あの日、ミサさんに連絡せず、ちゃんと飛鳥を迎えに来てくれた侑斗さんなら……飛鳥の話をしっかり聞いて、抱きしめてあげられた侑斗さんなら、きっと、大丈夫」


「…………」


 何の確証も、なんの根拠もないはずなのに、そのゆりの言葉はひどく胸に響いた。


「……大丈夫かな、本当に?」


「大丈夫! だって、私が選んだ人だもん! じゃぁ、改めて……侑斗さんは、女の子と男の子どっが欲しい?」


 顔を近づけ、可愛らしく笑顔で尋ねられた。

 どっち?と聞かれて、侑斗は先の未来を想像する。


「俺は……ゆり似の女の子がいい」

「えー、私は侑斗さん似の男の子かなー」


 そう言って、至近距離で見つめえば、二人はクスクスと笑い合う。


 きっと、どちらが産まれても、幸せだと思った。


 二人愛し合った先に、授かる命があるとするなら、それは、なんて幸せで、尊いことだろう。


「……そろそろ行かないとな、お腹もすいてきたし」


「うん、そうだね。じゃぁ、今からご飯食べて、その後、写真たて選びに行って……あと、飛鳥お迎えにいったら、みんなでケーキ買いに行こう~」


 ゆりが、隣ではしゃぎながらそう言うと、侑斗はその姿をみつめたまま、さっきまで重なっていた、ゆりの左手を手にとった。


「そうだな。でも、あと一つ忘れてる」


「え?」


 再び繋がった手に、ゆりが侑斗を見つめる。


 そして、何を?……と不思議そうに見上げるゆりの手を、侑斗はキュッと握りしめると


「指輪」


「え?」


「結婚指輪、まだ、もってないだろ?」


 侑斗が、左手の薬指を指さしながらそう言うと、その言葉に、ゆりの胸は熱くなる。


 少しずつ、少しずつ

 結婚したという実感が湧いてくる。


 そして、これから先、こうして一つ一つ「家族」としての思い出を増やしていくのだろう。


 自分の、父と母のように──…


「うん……」


 するとゆりは、頬を染め、小さくうなづいた。


 その笑顔は、これまでにないくらい、幸せな表情をしていた。

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