第407話 恋と別れのリグレット⑧ ~急転~


 亡くなったその日の夜には通夜をし、次の日には、ひそやかに葬儀が執り行われた。


 突然の死に、誰もが困惑していた。


 彩音の職場の人たちも、級友たちも、皆が口を揃えて、明るく前向きな彩音が自殺をするはずがないと言っていた。


 でも、実際に、それは起きてしまった。

 どんなに悔やんでも、もう何も変えられない。


 命が尽きた事実に直面に、人々は悲しみに暮れた。



(……蒼一郎さん、大丈夫かな?)


 葬儀場の控え室にて。冬のセーラー服に身を包んだあかりは、理久の面倒を見ながら、蒼一郎のことを考えいた。


 結婚の約束をした人が、亡くなってしまった。それも、自殺という最悪な形で。


 参列者の中には、マリッジブルーが原因ではないかと、何かしらの答えを導き出そうとしていた人もいたけど、それもどこか、違う気がした。


 なにより、最愛の人を亡くした蒼一郎の気持ちを思えば、胸が張り裂けそうだった。


(今日、これるかな? 蒼一郎さん)


 昨日、母が連絡した時、蒼一郎は、酷く取り乱し『嘘だ、嘘だ』と、何度と譫言うわごとのように叫びながら、泣き崩れたらしい。


 この後は、告別式がある。だが、それを終えれば、すぐに出棺の時刻を迎える。最後のお別れをするなら、もう今日しかない。


 でも、お別れをするかどうかは、蒼一郎くんに委ねると、両親は言っていた。


 あや姉の死を直視するのは、今の蒼一郎さんには、何よりも辛いことだから──…


「お姉ちゃん。これあげる!」


「……!」


 瞬間、あかりの思考を遮り、理久がお菓子を差し出してきた。茶菓子の中にあった最中もなかだ。


「ありがとう、理久」


 あかりは、それを受け取り、小さく笑って見せる。理久が、そばに居てくれるからか、あれから少しは落ち着いた。


 世界がガラリと変わった中で、普段通りの理久の姿は、あかりに安らぎを与えた。


 きっと、理久は何が起こったのか、まだよく分かってないのだろう。でも、分からないなら、それでもいいと思った。


 いずれは、わかることだ。


 人の死の悲しみは、大人になるにつれて、嫌でも分かっていく。


「お姉ちゃん、つまんない……お外で雪うさぎつくろう」


「だめだよ、理久。もうすぐ告別式、始まるから」


 退屈そうな理久に宥めながら、あかりは、窓の外を見つめた。使われていない駐車場の方は、一面の雪に覆われていた。


 白い雪は、今も変わらず降り続いていて、まるで、悲しみが一つ一つ積み重なるように、世界を真っ白に染めていく。


(明日の受験……どうしよう)


 そして、他人事のように、あかりは心の中で呟いた。


 明日は、高校入試の日。


 でも、あかりの心は、もうそれどころでは、なくなってしまった。








 恋と別れのリグレット⑧ ~急転~








 ◆◆◆


「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊 皆空 度一切苦厄……」


 僧侶が入場すると、その後、読経が始まり、弔辞、焼香を終えたあと、あっという間に、花入れに進んだ。


 ひつぎの中におさまった彩音は、とても綺麗だった。


 白装束に身を包み、穏やかに眠る姿。それは、亡くなっているようには見えず、まるで現実の話ではないみたいだった。


 だが、その彩音の左耳には、蒼一郎とお揃いでつけていたピアスがなかった。


 まるで幸せの象徴というようなピアスが外されてしまったことに、あかりは、酷く虚しさを覚えた。


 だが、火葬をする際、貴金属は厳禁。


 なら、致し方ないことだと、あかりは、彩音に花を手向たむけながら、また、蒼一郎のことを思い出す。


(来ないのかな、蒼一郎さん。あや姉のピアス渡したいのに……)


 両親は、蒼一郎くんに渡したいと言っていた。それなのに、蒼一郎は現れなかった。


 好きな人に見送られることなく、あの世に旅立とうとする彩音をみれば、なんだか、とても寂しそうに見えた。


(なんで……こんなことになったんだろう)


 そして、着々と花々に埋もれていく彩音をみつめながら、あかりは、また昨日の事を振り返った。


(もしも、あの時、私が……)


 ──バタン!!


「……っ」


 だが、その時だった。

 葬儀場に、男性が一人駆け込んできた。


 喪服に身を包み、雪の中、走って来たのか、息を切らしながらやってきたのは、彩音の恋人である蒼一郎だった。


「蒼一郎くん……っ」


 突然、現れた蒼一郎に、場の空気が騒然とする。だが、そんな中、喪主である父の前までやってきた蒼一郎は


「申し訳ありませんッ」


 そう言って、床に手を付き、頭を下げた。

 そして、その姿を見て、誰もが困惑する。


 なぜ、謝っているのか?

 その意味が、全く分からなかったから。


「そ、蒼一郎くん、何を……っ」


「っ……俺たちの、せいなんですッ」


「え?」


「彩音が自殺したのは、俺たちのせいです!」


 そう言って、再度、地面に頭を擦り付けた蒼一郎は、その後、声を震わせながら話し始めた。


「昨日、結婚の挨拶をするために、彩音は、俺の家にきたんです。長い付き合いだったし、始めは、俺の両親も喜んでくれて……でも……でも、彩音の耳の話をした途端、両親が反対しはじめて……障碍のある女なんてめとって、耳の聞こえない子供が産まれたらどうするんだってッ……私たちを、障碍者の家族にする気かって……それで、彩音はッ……すみません、すみませんッ……俺が、俺が…悪いんです……俺が……あ゛ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ」


 まるで、この世の終わりだとでもいうように、蒼一郎は、全身で叫ぶように泣き喚いた。


 来るのが遅くなったのは、自殺の原因を作った両親を引きずってでも、彩音の前に連れてこようとしたらしい。


 だが、両親は批難を恐れ、それを拒絶し、傷つけるだけ傷つけて逃げ出した両親を、蒼一郎は、恥ずかしい親だと罵った。


 だが、自分も最愛の人を亡くしたのに、それにも関わらず、両親の代わりに土下座をする蒼一郎をみれば、酷く心が傷んだ。


 そして、ひとしきり慟哭どうこくした蒼一郎は、その後、フラフラと立ち上がり、彩音の柩の前までやってきた。


「ッ彩音……ごめん…ごめ……っ」


 泣きながら、柩の中に手を伸ばせば、蒼一郎は優しく頬に触れ、それと同時に、止まらない涙が、彩音の顔に流れ落ちた。


 冷たくなった彩音の目尻に、まるで、泣いているみたいに蒼一郎の涙が伝う。


 そして、そんな二人の姿を見て、あかりは呆然とする。


 二人が泣いている姿を見たのは、初めてだった。


 蒼一郎さんは、こんなにも、あや姉のこと、愛してたのだと思った。


 だって、いつも幸せそうだった。


 なごやかに笑いあって、喧嘩をしてるところなんて、一度もみたことがなくて。


 それなのに──なんで?


 何が、ダメだったの?

 何で、こうなったの?


 耳が聞こえないから?

 障碍があるから?


 でも、私たちは生きてる。


 ハンデはあっても、皆と同じように、生きていける。


 それなのに、なにがダメなの?


 障碍これは、そんなにダメなことなの?


 片方、聞こえないだけで?

 これはそんなに、許されないことなの?

 

 愛し合うことすら、許されないほどに──…?



【あかり、嘘ついてゴメン】


「……っ」


 瞬間、またあのメッセージを思い出した。


 彩音が送った、最後の言葉。

 最後に伝えたかった──絶望の言葉。


「あ……ぁ、ッ」


 そして、それを思い出した瞬間、よろよろと柩から遠ざかったあかりは、耐えきれず、その場から逃げだした。


 建物から出て、真っ白な雪の中を、まるで逃げ惑うように走り去る。だが


 ──ドサッ

「きゃ!」


 雪に足を取られたあかりは、そのまま雪の中に倒れ込んだ。


 冷たい雪がクッションになり、あかりの身体をつつむ。だが、その冷えた雪は、同時にあかりの身体を冷やした。


「はぁ、……はっ」


 呼吸が荒い。全身が凍える。


 それでも、何とか起き上がり、雪の中に手をつくが、その手は、酷く震えていた。


「あや……姉……っ」


 彩音が死を選んだ理由が、やっとわかった。


 そして、それと同時に、思い出したことがあった。


 少し前、山野くんに告白されて、相談した時のことだ。


『大丈夫だよ、あかり。心配しなくても、私たちはよ』


 あや姉は、確かにそう言っていた。


 ちゃんと会話もできるし、仕事だってできる。片耳難聴でも、結婚して子供産んでる人は、たくさんいる。


 だから、大丈夫だ──と。


「っ……もしかして……」


 もしかして、あや姉は、あの時の事を、謝っていたの?


 嘘ついて、ゴメン──と。


 なんて言って、ごめんねと。


「っ…や……やだ、っ」


 すると、全てを察した瞬間、またあかりの目から涙が溢れ出した。


 視界いっぱいに滲んた涙は、雪の上に落ちては消えて、あかりの後悔を飲み込んでいく。


 やっと、わかった。

 あや姉のメッセージの意味が。


 昨日、あや姉は、蒼一郎さんの家族に、結婚の挨拶をしにいった。


 そして、反対されて、私に会った。


 好きな人の家族に拒絶されて、あや姉は、どんなに、辛かっただろう。


 もしかしたら、障碍があることを呪ったかもしれない。


 好きな人と結ばれないことに、絶望したかもしれない。


 だから、あや姉は───…っ



「あかり……!」


「……っ」


 瞬間、あかりが、出ていったのに気づいたのか、稜子が理久と共にやってきた。


 稜子は、雪の中に座り込む、あかりの小さな背を撫でると


「何やってるの、あかり! こんな所に、座り込んで……っ」


「……お母さん。わたし、私ね……昨日、あや姉にあったの……塾に行く前に……っ」


「え?」


「話したいことが……あるって言われて……それなのに、私……っ」


 もし、あの時──


 私が塾に行かずに、あや姉の傍にいてあげたら、何か変わっていたのだろうか?


 同じ障碍をもつ、私だからこそ、あや姉の気持ちに、寄り添うことが出来たかもしれない。


 一緒に、行ってあげればよかった。

 一緒に、悲しんであげればよかった。

 一緒に、泣いてあげればよかった。


 それなのに、私は……っ


「あ、……私が、あや姉を……」


 ──ようなものだ。


 気づかなかった。

 気づけなかった。


 大好きな、あや姉の悲鳴サインに。


 なんで、気づなかったの?

 なんで、私は、塾に行ったの?


 塾よりも、なによりも


 大切にしなきゃいけないものが



 目の前に




 あったはずなのに──…っ






「ぅ……うぁ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁッ」




 雪の中に蹲って


 声がすりきれるまで、泣き叫んだ。




 涙を流す度に


 身体には、冷たい雪が触れた。




 深々と降り注ぐ雪は



 容赦なく心を冷やし



 私を、絶望に叩き落とした。







 私たちは





 普通じゃない。







 普通には、生きられない。







 だって




 どんなに、普通でいたいと願っても







 世間は




 




 決して、許してはくれないのだから──…







    ❄️



 *




     ❄️



 *



    *




  ❄️




 *



      ❄️






 ❄️️あとがき❄️❄️

https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16816927862655067163

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