第406話 恋と別れのリグレット⑦ ~別れ~


 ──パタン。


(おかしいわね。部屋にもいないなんて)


 彩音の部屋に向かった稜子りょうこは、誰もいない部屋を見て、ため息をついた。


 てっきり、部屋で寝込んでいるか、寝坊でもしたのかとでも思っていた。それなのに


(まさか、家を出た後に、事故にでも合ったんじゃ?)


 もしそうなら、彩音が部屋にいないのも理解出来る。だが、職場に行く途中で何かあったのだとしたら、それこそ一大事だ。


 小さな不安は更に大きくなり、稜子は、足早に階段を降り、1階に向かった。


「あかりー、理久ー!」


 子供たちを探しながら廊下を進む。すると稜子の耳にも、シャワーの音が聞こえてきた。


(この音……お風呂かしら?)


 もしかしたら、子供たちもいるかもしれない。


 そう思った稜子は、そのまま廊下を進み、浴室へ向かった。すると、案の定、脱衣場の前に、あかり達がいるのに気づいた。


 理久の手を握りしめたまま、浴室の中をみつめるあかり。それを見て、稜子が声をかける。


「あかり。彩音ちゃん、いた?」


 だが、聞こえなかったのか、あかりは、浴室を見つめたままだった。


 ただ、一点を見つめ、呆然と立ち尽くす、あかり。そして、その代わりとでもいうように


「お母さん……お水、


「え?」


 そう、理久が言えば、稜子は首を傾げた。


(……真っ赤?)


 何を言っているのか?

 幼い息子の言葉に、稜子は困惑しつつ、浴室を覗きこむ。


「──ッ」


 すると、そこには異様な光景が広がっていた。


 浴室の扉は開いたままで、お風呂に入っていると思っいた彩音は、服を着たまま浴槽の中に手をつっこんでいた。


 そして、その水面は、理久が言った通り──真っ赤だった。


 並々と注がれたシャワーの水は、浴槽中で赤く色を変え、そのまま浴槽の外へと溢れ出していた。


 彩音の白いセーターですら赤く染まり、そして、その空間は、錆びた鉄のような匂いに満ちていて、そして、その赤が、なんなのか理解した瞬間──


「あ、あかり、理久! 見ちゃダメ!!」


 そう言って、稜子は咄嗟に子供たちを抱きしめた。決して見ないように、必死に我が子達を腕の中に閉じこめる。


「彩音ちゃん! 彩音ちゃん……!!」


 そして、守りながらも、稜子は必死に声をかけるが、彩音はピクリともせず。


 なにより、まだ幼い理久はともかく、中学生のあかりには、その光景がか、もう分かっていた。


 母親の腕の中で、ただ呆然とするあかりの視界には、その光景が、はっきりと焼き付いた。


 赤く染った水面が、彩音のだということも


 そして、彩音が





 を図ったのだと言うことも──…









 ◆


 ◆


 ◆




「彩音さんは、自殺で間違いないでしょう」


 その後、警察や救急車が駆けつけたあとは、目まぐるしく時間が過ぎていった。


 あかりと理久は、稜子の姉の京子きょうこと共に自宅に戻り、現場に留まった稜子は、一報を聞き、駆けつけた夫の宏貴ひろきと共に、慌ただしいまま葬儀の準備をすることになった。


「なんで……なんで、彩音ちゃんが……っ」


 そして、その数時間後には、彩音の死因が自殺だと断定され、稜子は泣き崩れた。


「どうして、自殺なんて……蒼一郎くんに、プロポーズされて、今一番幸せな時だったのに……っ」


「理由は、俺にもよくわからない……しかも、あの光景を、あかりと理久が目撃してしまうなんて……っ」


 宏貴が声を震わせながらそう言えば、その言葉には、稜子も深く後悔した。


「ごめんなさい……私のせいだわ。私が、あの子たちを連れてきたから」


「何を言ってるんだ。稜子のせいじゃないだろ。でも、理久はともかく、あかりは大丈夫だろうか?」


「わからないわ……帰ったあと何度か吐いて、今も震えながら泣いてるって、姉さんは言ってたけど……っ」


「……っ」


 子供たちが受けた心身的なショックを危惧し、宏貴は苦渋の表情を浮かべた。


 そして、案の定、あかりたちが戻った倉色家の方では、稜子の姉である京子に介抱されながら、あかりが部屋の隅でうずくまっていた。


「あかり、大丈夫?」

「う、う……ぅっ」


 涙はとめどなく流れて、自分ではどうすることも出来ないくらい、体が震えていた。


 赤く染った水面が

 鳴り響くシャワーの音が


 鮮明に焼き付いて離れない。


(ぅ、うう……あやねぇ……なんで……っ)


 震える手で、握りしめていたスマホを見つめれば、やっと既読マークのついたメッセージを見て、あかりの瞳からは、また涙が溢れた。


 やっと、見てくれた。


 だが、この既読は、彩音が確認した印ではない。きっと彩音の死因を確定するために、警察が確認した証だろう。


 そう理解したあかりは、また涙を流し、膝を抱えてうずくまった。


「ぅ、うう……ッ」


 だが、どんなに涙を流しても、どんなに考えても、彩音が死を選んだ理由が、全く分からなかった。


 なんで、自殺したの?

 あのメッセージは、なんだったの?


(嘘って、なんのこと……?)


 ──あかり、嘘ついてゴメンね


 彩音は、昨夜、このメッセージをあかりにおくったあと、自殺を図ったらしい。


 死に際に送った、最期のメッセージ。

 それに──


『あのさ、あかり。少し話したいことがあるんだけど、今から、うちに来ない?』


 あや姉は、あの時、何を言おうとしたのだろう?


 このメッセージには、どんな意味がこめられてるの?


 ずっと、返事が返ってくると思っていた。


 いつもと変わらず、明るいあや姉から……


 それなのに、その意味は、彩音に確認できぬまま、完全に闇に葬られてしまった。


「……ひ、ぅ……っ」


「お姉ちゃん」


 すると、震えながら泣くあかりを見て、理久が、そっと声をかけてきた。


 あれからずっと、あかりの傍を離れなすにいた理久は、意味がわからないながらも、優しくあかりの頭を撫でてくる。


 小さな手で、必死に姉を慰めようとする姿に、あかりの瞳からは、また涙が溢れて


「……りく……ッ」


 弱々しい声で、幼い弟を抱きしめながら、あかりはひたすらに涙を流した。



 その日は、白い雪が、ずっと降り続いていた。


 ──2月18日。

 それは、大好きなあや姉の命日。


 決して、忘れることができない




 辛く悲しい、別れの日のことだった──…









 *あとがき*

https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16816927862807242031

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