第2章 絶世の美女
第56話 狭山さんと紺野さん
日が暮れた午後六時。住宅街に建ち並ぶとある一軒家の前に、一台の車が停まった。
「それじゃ、エレナちゃん。明日もまた、今日と同じ時間に迎えにくるから」
現在モデル事務所に勤める
深いブラウンの瞳に、眩いばかりの金色の髪。両サイドで高くツインテールにした可愛らしい風貌の少女の名は──
「狭山さん、今日もありがとうございました」
エレナは、狭山にエスコートされるまま車から降りると、その後、いつものように頭を下げ、鞄から鍵を取り出した。
「お母さん、まだみたいだけど大丈夫?」
「はい。もうすぐ、帰ってくると思いますから」
家の中を見れば、あかりは灯されておらず、シンと静まり返っていた。
狭山が二カ月前、突然担当を受け持つことになったエレナの家は、母一人娘一人の"母子家庭"だった。
通常スタジオまでは、保護者が送迎をすることになっているのだが、母親が忙しいからということで、今回は特例として事務所の社員が送迎することになったのが、女一人で子供を育てるのは、やはり大変なのだろう。
エレナの母は、一応五時には仕事が終わるはずなのだが、たまに残業を強いられるのか、モデルの仕事が終わり、エレナを自宅まで連れて帰ってきても、母親が帰宅していないことが、たまにあった。
「あの、狭山さん」
「ん? なに、エレナちゃん」
「……ぁ、ぃえ……明日も、また……宜しくお願いします」
何か言いたげな視線を向けられたが、どうやらその言葉は飲み込んでしまったらしい、エレナは改めて会釈をすると、玄関前の階段を駆け上り、鍵を開けはじめた。
その家は、母娘二人で暮らすには、なかなかに大きく立派な家だった。
築二十年くらいだろうか、少し古びた洋館のようなその家は、いわゆるファミリー向けの一軒家。
最近、引っ越してきたと聞いたので、賃貸なのだろうが、リビングやキッチンの他に、最低でも三部屋はあるのではないだろうか?
二人で暮らすには、あまりに広すぎる家。
だからか、なぜあえてこのような大きな家を選んだのか、狭山は甚だ疑問だった。
ガチャ──
玄関が開くと、エレナは、家に入るのを見届けようとしている狭山にペコリと頭を下げた。
するとその後、扉がバタンと音をたてたと同時に、エレナの姿は見えなくなった。
(エレナちゃん……今、四年生だったよな)
エレナは、この春から小学四年生になったらしい。だが、その年にしては、とても礼儀正しく、しっかりした子だった。
社長から突然話を持ちかけられて、どんな厄介事が待ち構えているのかとおもっていたが、エレナはモデルの仕事もレッスンもしっかりと忠実にこなすし、遅刻やドタキャンなどもなく、今のところなんの問題もなかった。
だが──
『あの母親には、気を付けろよ』
瞬間、同じエレナ担当である
それは、二カ月前──
◇◇◇
「狭山! 今から、紺野さん来るから、お前も一緒に来い」
社長からエレナの担当に抜擢されて二日後の朝。狭山は、同じエレナ担当の坂井から突然声をかけられた。
その日は日曜で、午後からは撮影で忙しくなる。その前に狭山のことを紹介するからと、応接室に一緒にくるよう坂井に言われたのだ。
「マジすか、坂井さん! そーいうことは、事前に言っててくださいよ、心の準備が」
「お前、そんな豆腐メンタルだったか? 仕方ねーだろ。こっちも色々忙しんだよ、ほらいくぞ!」
「えー」
「こら、シャキッとしろ! 助っ人にはいっといて、俺の仕事更に増やすなよ!」
「わ、わかってますよ~!」
しぶしぶ事務所の広い廊下を進み二階にある応接室の前までくると、どうやら既に「紺野さん」は中にいるようで、狭山は扉の前で、ふぅーと深呼吸をする。
「あ、そうだ狭山」
「?」
すると、扉に手をかけた瞬間、坂井が小さく声を上げた。
「一つだけ忠告しとくけど、
「え?」
ガチャ──
坂井から突然放たれた言葉に狭山は瞠目する。だが、その理由を聞く間もなく、容赦なく扉は開かれた。
(ちょぉぉぉぉ!!? 何その意味深発言!? やっぱヤバイの!? てか、絶対やばい感じだよねコレ! 厄介者くる感じだよね!? てか、坂井さん!!このタイミングって、アンタ鬼ですか!!?)
「紺野さん、お待たせしましたー」
開かれた扉の前で、滝のような汗を流す狭山。そんな狭山を無視し、坂井は笑顔で中にいる人物に声をかける。
「朝から呼び出してすみません。今日からエレナちゃんのマネジメントとメンタルケアを担当する"狭山"です。今後は二人でエレナちゃんのサポートをしていきますので、宜しくお願いします」
その坂井の言葉に、狭山は慌てて応接室の中に入ると、そこにある長机には、30代くらいの女性と、前に事務所の来客コーナーにいた、あの日の少女──紺野エレナが座っていた。
だが、その中に入った瞬間、狭山はエレナの横に座る"女性"に、一瞬にして目を奪われた。
綺麗な金色の髪と、透き通るような白い肌。そして、深いブルーの瞳──
そこには、目を見張るほどの、あまりにも美しい女性がいたからだ。
(っ……なんだ、この人。メチャクチャ美人)
この人が、エレナちゃんの母親なのだろうか?
狭山は女性をマジマジと見つめる。社長から聞いた話だと、母親の年齢は四十一歳だと言っていた。だが、その女性の姿は三十歳前後、実年齢より十歳は若く見えた。
「おい、狭山。名刺!!」
「あ、はい!」
「すみません、紺野さん。こいつまだ新人で、至らないところもあると思いますが」
すると、狭山の尻を叩く勢いで、坂井が再び急かしてしてきて、狭山はわたわたと名刺を準備しながら、再び坂井が忠告してきた「気をつけろ」という言葉を思い出した。
(もしかして、この人。美人だけど、すごく性格きつい……とか?)
怒らせたら厄介な相手なのだろうか?
だが、そう思った矢先──
「いいえ、気になさらないでください。うちのエレナも至らないところばかりですから。これから、よろしくお願いしますね……狭山さん」
そういうと、ニコリと綺麗な笑顔をむけて、女性は狭山に微笑みかけてきた。
(あれ? メチャメチャ、いい人そう)
怒られるどころか、見惚れてさそまいそうな綺麗な笑顔をむけられ、狭山はあっけにとられた。だが、その瞬間、再び坂井から「名刺!」と脇腹をつかれるとて狭山はぎこちないお辞儀をし名刺を差し出す。
「あ、あの改めまして、狭山誠ともうします。担当を持つのは初めてですが、坂井に教わりながら、しっかりサポートさせていただきますので、宜しくお願いします!」
するとその女性も、丁寧にお辞儀を返してきた。
「エレナの母の"
ミサと名乗った女性が深く頭を下げると、軽くウェーブのかかった長いブロンドの髪が肩からサラリと流れた。
少し赤みの入った細くしなやかな金色の髪。
だが、狭山はその髪を見て、ふとある「人物」のことを思い出す。
「ぁ、あの……エレナちゃんの髪は、地毛ですか?」
「はい。そうですけど……それがなにか?」
「あ、いえ……すごく綺麗な髪だったので、お母さんの遺伝なんですね?」
「はい。私がハーフなので、娘もこの髪色で」
「どおりで、エレナちゃんもですが、お母さんもとてもお綺麗な方だったので、あ。もしかして、お母さんも、モデルをされていたことがあるんですか?」
「…………」
だが、その瞬間、ミサが一瞬だけ氷のように冷たい視線を向けたのに、狭山は気づいた。
それは、美しいからこそだろう。
見つめられた瞬間、思わず身体が強張った。
「はい。学生時代に少しだけ、でも、すぐに辞めてしまいました」
だが、それはほんの一瞬のできごとだった。
まるで、錯覚だったのかと自分を疑いたくなるほど、ミサは先ほどと同じような、にこやかな笑顔を浮かべていたからだ。
(………き、気のせいか?)
だが、彼女のその容姿をみて、狭山はある疑問を抱く。
そう、彼女のこの姿は、あの少年と、あまりにもよく似ているのだ。
髪の色、瞳の色、顔立ち──もしかしたら、隣に座るエレナよりも、似ているかもしれない。
(いや……そんなはずないよな。だって、神木くんたちの母親は──確か、幼い頃に亡くなってるって)
それは、クリスマスに一緒に食事をした時、あの少年「神木 飛鳥」から聞いた、確かな話だった。
それに、確かに見た目は似ているが、その笑みはどこか違っていた。
彼の笑みは、とても暖かな優しいものに感じるのに、彼女の笑みは、まるで作り物のように
ひどく冷たいものに感じたから──
◇◇◇
(……あのあと理由聞いたけど、坂井さん、答えてくれなかったな)
二ヶ月前の記憶を遡り、狭山は再びエレナの家を見つめた。
この二ヶ月、エレナと一緒に仕事をこなしてきたが、今まで接してきた感じ、エレナに何か問題があるようには見えなかった。
なら、もし問題があるとすれば──
「あら、狭山さん」
「!?」
すると、突然、狭山を呼ぶ声がした。
視線を向ければ、そこにはあの息をつくほど美しい容姿をした、エレナの母親──ミサが立っていた。
スーツ姿のミサは、その長くしなやかな脚を惜しげもなく晒し、コツコツとヒールの音を響かせて、狭山に近づいてくる。
「今日も、ご苦労様です」
首を少しだけ傾けて、綺麗な笑顔をつくるミサを見て、狭山は再び、坂井の"あの言葉"を思い出した。
『あの母親には、気をつけろよ 』
一抹の不安と、疑惑を抱きながらも、狭山もまたそれを気取られぬようにと、彼女にいつも通りの笑顔をむけるのだった。
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